ロンドン滞在記₁
           第4回

歴史的ストックを考える

谷田 真
(名城大学理工学部建築学科准教授)
たにだ・まこと
1971年名古屋市生まれ。
1995年名城大学建築学科卒業。
1997年名古屋大学大学院修士課程修了、仙田満+㈱環境デザイン研究所入所。
2003年名古屋大学大学院博士課程満期退学。
2004年名城大学建築学科講師。
2005年名古屋大学にて博士(工学)学位取得。
人間と構築環境の相互関係に関心を持ち、学生との時間、家族との時間を大切に日々活動中
まちのギャップ
 ロンドン中心部は、重厚感のある歴史的街並みの中にある。住まい近傍の散策が日課であった筆者家族らは、そんな古い建物が持つ重みに圧倒されながら、リノベーションやコンバージョンにより、新たに上書きされた空間とのギャップをしばしば楽しんだ。
 例えば、住まいの1ブロック先には、フューチャー・システムズ(FutureSystems)設計によるメディアセンターが、200年以上の歴史をもつローズ・クリケット・グラウンド(Lord's CricketGround)のスタンドから頭を出し、その強いかたちから周囲に異彩を放っていた。また最寄り駅ベイカー・ストリート(BakerStreet tube station)への道中には、妻と娘が足繁く通ったシュタイナーハウス(Steiner House)があり、外観こそ周囲の硬質な街並みに溶け込んでいたが、一歩内部へと足を踏み入れれば、窓枠、手摺、エレベーターの扉など有機的フォルムに包まれた柔らかな空間が奥深くへと広がっていた。
 本稿では、このような新たに上書きが施されることで、興味深いギャップが生まれた歴史的建物にスポットを当てたい。本紙読者にとっては知られたリノベーション・コンバージョン事例とも思われるが、いつもながらの自己本位の観点で、歴史的ストックについて考えておく。
 
ローズ・クリケット・グラウンドから見えるメディアセンター シュタイナーハウス
リノベーション(改築)とデザイン手法
 筆者がお気に入りのリノベーション事例のひとつに、ノーマン・フォスター(Norman Foster)設計によるセント・パンクラス駅(St Pancras international)がある。19世紀末、ビクトリアン・ゴシックの大家ジョージ・ギルバート・スコット(GeorgeGilbert Scott)とウィリアム・バーロー(William Barlow)らが手掛けた、赤レンガ造の駅舎本体とプラットホームを覆うヴォールト大屋根からなる建物は、2007年暮れ、パリやブリュッセルを結ぶ国際列車ユーロスター(Euro Star)乗り入れに伴いリノベーションされた。
 その改築の特徴は以下の通りである。①ヴォールト大屋根を、長大なユーロスターに合わせ延長させる際、あえてフラット大屋根を採用・付加し、デザイン、構法技術上のギャップをつける。②大屋根の下に広がるひとつながりの大空間を、機能ごとに集約されたボックスとサンクンプラザなどによるレベル差でゆるやかに区切る。③優美で繊細な装飾が施された鉄骨フレームを残し、ヴォールト大屋根を半透明な膜に置き換えることで、赤レンガ造の駅舎本体をプラットホームから透過可能とする。
 特に最後に記した特徴、一部を取り除くことにより、歴史的建物との隠されていた関係性を顕在化させるというシンプルであるが印象的な演出は、筆者に想像以上の爽快感を与えた。この歴史的建物との関係性の取り方は、ドイツ連邦議会新議事堂ライヒスターク(The New German Parliament,Reichstag)や大英博物館グレートコート(British Museum, Great Court)といった他のリノベーション事例でも見られる演出であり、ノーマン・フォスターの一貫したデザイン手法とも言える。  
 
 セント・パンクラス駅プラットフォームの大屋根
コンバージョン(用途転用)とまちづくり  
 テムズ川南岸、タワー・ブリッジ(TowerBridge)のたもとに広がるバトラーズ・ワーフ(Butlers Wharf)。数あるコンバージョン事例の中でも、建築群として筆者の脳裏に最初に思い浮かんだこの地区は、行政区でいえばサザーク(Southwark)区に属し、低所得者層が集まる場所として歴史的、社会的に多くの問題をはらんできた。ゆえにサッチャー政権下においてドックランズ再開発計画(the LondonDocklands Development)に組み込まれ、「低所得者の追い出し(ジェントリフィケーション)」と揶揄されながら、特殊な発展を遂げることになる。
 100年以上前のヴィクトリア朝期に建てられたレンガ造の倉庫が建ち並ぶ通りは、現在、住宅やオフィス、雑貨、レストランギャラリーなどの用途をもった瀟洒な建築群としてコンバージョンされている。デザインコードがしかれた地区全体は、インテリアデザイナーほかマルチな顔を持つテレンス・コンラン(Terence Conran)によってディテールまで監修されており、ブランド力を高める効果に一役買っているようである。またタワー・ブリッジやロンドン塔(Tower ofLondon)にも近いため、近年は観光ツアーのルートにも組み込まれているらしい。
 ここで筆者が注視するのは、コンバージョンされた建築群に混じって、強いかたちや色彩を持つ現代建築が立地している点である。明らかにコンバージョンが呼び水になったと思われるこれら建築の連鎖が、新旧のギャップ、用途のギャップを加速させ、バトラーズ・ワーフの風景をより複雑なものにしている。まちの賑わいとは多様で雑多な都市機能の混在から生まれるものだと考える筆者には、コンバージョンから始まる建築の連鎖が、そうした複合的なまちづくりに繋がる可能性を示唆しているように見えるのである。 
   
バトラーズ・ワーフ ウォレス・コレクション
至近の贅沢
 再び筆者の住まい近傍に目を移す。徒歩圏内には、絵画、彫刻、家具、陶器、武器、甲冑など数々の収集品が並べられた美術館ウォレス・コレクション(The WallaceCollection)があった。この美術館は、そもそも18世紀末に貴族であったウォレスが暮らした邸宅であり、これもコンバージョン事例のひとつと言っていい。建物は地上3階、地下1階(一部ロフト付き)で、街区形状に沿ったロの字型プラン。当時は中央の中庭を要として、小部屋が並ぶ外周部で生活が営まれたのであろう。現在、中庭はガラス屋根がかけられ、大きなトップライトをもつカフェ空間に、外周部は邸宅の雰囲気を残しながらも、コレクションが所狭しと並べられた展示空間にコンバージョンされている。
 ここは筆者家族らが食材の買い出しついでにたびたび立ち寄った場所であり、ガラス屋根から降り注ぐ柔らかな光に包まれたカフェ空間で、買い物袋を提げた来館者らに混じって思うままにくつろいだ場所でもあった。筆者は、ロンドンに散在した数々のリノベーション、コンバージョン事例の中でも、特に歴史を重ねた高貴な空間に日常が違和感なく溶け込んでいる環境に強く誘われ、その体験を通してロンドンの豊かさの一端を垣間見ていた。