ロンドン滞在記₁
           第3回

まちなかアート・スタディーズ

谷田 真
(名城大学理工学部建築学科准教授)
たにだ・まこと
1971年名古屋市生まれ。
1995年名城大学建築学科卒業。
1997年名古屋大学大学院修士課程修了、仙田満+㈱環境デザイン研究所入所。
2003年名古屋大学大学院博士課程満期退学。
2004年名城大学建築学科講師。
2005年名古屋大学にて博士(工学)学位取得。
人間と構築環境の相互関係に関心を持ち、学生との時間、家族との時間を大切に日々活動中
まちなかのアート
 学年末を迎えるロンドンの夏は、建築、デザイン、アート、ファッション系を持つ学校によって一斉にショーが催される季節でもある。それらを巻き込んだイベント(London Festival of Architecture、London Design Festivalなど)も目白押しで、ロンドンは一層刺激的なまちへと昇華する。建築系に属する筆者は、特にまちなかで展開されるインスタレーション・アート(Installation Art)に関心があった。場所や空間全体を含めひとつの作品として体感させるこのアートは、近年わが国でも多くの建築系大学に属する研究室が関わっている分野である。しかしながら、建築教育の中でその位置づけが確立されているわけではなく、思考プロセスにおいて指針となる拠り所を見失いがちなのも事実である。
 ここでは、建築学校として世界的に知られるAAスクール(The ArchitecturalAssociation School of Architecture)に注目し、中でもDRL(Design ResearchLab)ユニット内で毎年制作されるパヴィリオンを話題の俎上にあげる。そしてパヴィリオンの成り立ちや周辺環境との関わり方などを読み解くことで、建築とアートの関連性について考えてみたい。
自己流アートの見つめ方
1 AAスクールの教育  
 建築に対する多義的な捉え方が特徴だといわれるAAスクールでは、具体的な建物のみならず、概念的、抽象的な領域も教
育の対象となり、閃きや実験的なもの、偶然性といったものまでが許容されながら設計が進められている。したがって、各ユニットの成果が発表される、夏のプロジェクツ・レビュー(PROJECTS REVIEW)などを見学すると、見慣れた建築模型に混じって、概念的なオブジェやインスタレーション、パフォーマンスなどが並べられ、ひときわ存在感をもって筆者の目に飛び込んでくるのである。DRLで制作されたパヴィリオンもこうした背景の延長線上にあり、特にこのユニットは現在のAAスクールにおけるデザイン・トレンドの中心を担っていると聞く。
   
  「London Festival of Architecture」  プロジェクツ・レビュー
2 立地環境 
 パヴィリオンは、ロンドンの中心地、ヴィクトリアン様式のタウンハウスに取り囲まれた、ベッドフォード・スクエア(Bedford Square)におもむろに置かれている。関係者でなければおおよそ学校とは気付かれないAAスクールの入った建物も、タウンハウスの一画をさりげなく占めており、学期末の数週間、突如出現するパヴィリオンは、歴史的ファサードで囲まれた重厚な雰囲気の中で異彩を放つと同時に、AA教育の一端をまちに知らせるインターフェースの役割も果たしているようだ。 
3 スクエアの成り立ち 
 そもそもスクエアは、タウンハウスからの眺望を確保する目的で、17世紀に生まれた中流住宅の開発プロトタイプであり、ロンドンの裏通りを歩けば、しばしば出会うことができるまちのヴォイド空間である。20世紀初頭には、私有地であったスクエアを乱開発から守り、都市の重要なオープンスペースとして恒久的に保護することを目的とした「ロンドン・スクエア法」が制定されており、当時からスクエアがまちづくりの中で強く意識されていたことが伺える。
 現在、公園として市民に開放されているスクエアもあると聞くが、筆者が出会ったスクエアには、堅固な扉と柵が設けられ、縁に沿って配された植栽によって内部を見ることすらできない事例が多かった。ソフト面に関しても、特定の住民らによって運営・管理がなされており、物理的にも、視覚的にも、そして社会的にもアクセス不可能なサンクチュアリとなっているようである。
 もちろんパヴィリオンは、誰もがアクセスできる歩者道側に置かれているが、スクエア全体を俯瞰すれば、プライベート領域(人によって立ち入りの可否が制限される領域)とパブリック領域(誰でもがいつでも立ち入れる領域)が入れ子になった特異な場所に立地しているとも読めるのである。 
     
 ふだんのベッドフォード・スクエア  パヴィリオン パヴィリオン内側 
4 パヴィリオンのつくられ方 
 おにぎりのようなユーモラスなシルエットを持ち、内側に人が滞留できる場が設えてあるパヴィリオンは、ガラス繊維で補強されたプレキャストコンクリートパネルを円弧状に切り出し、縦横に差し込み、噛み合い部分をゴムで補強しながらつくられたもの。DRLのウェブサイトを覗けば、ユニットメンバーらの手によって組み上がっていくパヴィリオンの様子が垣間見えるのだが、そのプロセスの主題は、個々のパーツに対する型の設計と組み合わせ方であり、一般図を描くことにもはや意味はないようである。設計の出だしから三次元のモデリングを始め、必要に応じて切断した面が平面図や断面図になったりするのがDRLの進め方らしい。 
5 プライベートとパブリック 
 先に筆者は、スクエアがアクセス不可能なプライベート領域だと記したが、例外もあるようで、年に数回催されるAAスクール主催の公式パーティ時には、スクエア一帯は開放され、パブリックな祝祭の場と化すらしい。このスクエアを通して見えてくることは、まちなかのどんな場所もプライベート領域とパブリック領域の二面性を持っているということ。それらは対立概念ではなく、アクセシビリティ(近づきやすさ、入りやすさ)や所有者・管理者との関係などによって変化し、その相対性のなかに見出されるものと言えるだろう。パヴィリオンはそれら領域の狭間を漂い、領域の存在を顕在化させながら、中間的領域としてまちの居場所をつくっている。 
ものづくりのキッカケ
 筆者は、ブルーノ・ムナーリによって30年以上前に書かれた『芸術家とデザイナー』という本の思想に共感を抱いている。この中で綴られている芸術家とデザイナーの違いを端的にまとめれば、発想のキッカケが自分の内側にあるか、外側にあるかという違いであり、前者が芸術家タイプ、後者がデザイナータイプになるという。つまり、芸術家タイプの作品は内なる思いを前面に出すことでかたちづくられており、他人はその世界観を共感できても、追体験できるものではない。一方でデザイナータイプの作品は、それがなぜそのようにかたちづくられたのかを容易に理解でき、思考プロセスを追体験できるものと筆者は解釈している。
 自己本位ではあるが、前項で展開した思考プロセスのように、時に難解なアート作品も、ムナーリの定義で言うところの「デザイナータイプ」からの観点で翻訳を試みれば、ものづくりにおけるキッカケの種になりうる。
 ロンドンに散在していた数多くのアート作品との出会いから、こんな思考癖を持つようになりました。