保存情報 第113回
登録有形文化財 掛川市 竹の丸 山田正博/建築計画工房
竹の丸 外観 主屋 座敷 離れ 貴賓室からの眺め
■紹介者コメント
 掛川駅で下車し、北へ向かうと掛川城に至る。室町時代、駿河の守護大名今川氏が築城したのが始まりとされる。戦国時代には、豊臣秀吉に任命された山内一豊が入り、天守閣をつくった。その後藩主は入れ替わったが、安政の東海大地震により損壊し、再建されることなく明治維新となった。平成6(1994)年、140 年ぶりに木造により天守閣は再建された。再び遠く新幹線の車窓からも美しい姿を見ることができる。
 その東に藩主の公邸である御殿があり、安政の大地震で倒壊したあと、時の藩主によって再建され、現存している。隣接して二の丸茶屋、二の丸美術館、報徳社の建物があり、その北に竹の丸がある。
 竹の丸は、城の防衛上重要な場所にあり、家老の屋敷にされていた。明治維新の混乱、大火などを経て、明治36(1903)年、葛布問屋を営んでいた松本家が、本宅を建てた。主屋は西側に書院があったが、その後解体し移転したため、現存していない。各部屋が板廊下で繋がれ、手入れにより美しい光沢を出している。離れ1階は、上段を持った座敷がある。2 階は、昭和初期に増築され、東側に水屋を持った和室、西側に洋間となっている。各所に意匠を凝らし、南側には欄間にステンドグラスを嵌め込み、バルコニーと共に大正期の西洋化の最先端がうかがえる。
 主屋と離れが、近代豪商の住宅を伝える建造物であるとして、平成17(2005)年登録有形文化財に登録された。 


所在地:静岡県掛川市掛川1200番地1
休館日:第4月曜日 年末年始
登録番号:22-0095・96
データ発掘(お気に入りの歴史的環境調査) 主税町( ちからまち)長屋門(武家屋敷門) 三輪邦夫/RE建築設計事務所
現在の長屋門 内部
■発掘者のメント
 この長屋門がある辺りは名古屋城の東に位置し、尾張藩の中級武士の屋敷地であった。名古屋開府以来の古い歴史と町並みが残されている地区である。平成14(2002)年から16(2004)年にかけて都市基盤整備公団中部支社(当時)が「ちからまち」会館の跡地に高層の共同住宅を建設、同時に長屋門を保存・修復し、歴史的資産を生かした魅力ある町並み景観形成などのためポケットパークを設けるとともに、その内部を会議、展示に利用可能な空間として整備をしている。
 名古屋城下の武家屋敷門で残っているものは少なく、移築された旧兼松家門(名古屋市東山植物園)、旧佐地家門(川崎市日本民家園)などがあるが、当時のままの位置に残るものはこの長屋門が唯一と思われる。構造形式は木造平屋建て、寄棟造り桟瓦葺き、腰壁下見板張り、上部土壁漆喰仕上げ、間口6間半、奥行き2間、中央2枚扉、左手に脇入口、左右に長屋を設ける。左手に出格子付番所(武者窓)を設けるなど武家屋敷門の典型を示している。武者窓は武家屋敷のみに設けることが許されたともいわれている。
 資料によれば、昭和20年代の写真からは、東側の長屋は現在よりもまだ東に伸びており、西側は敷地沿いに塀が設けられていることが分かる。昭和48(1973)年からは「ちからまち」会館となり、このときに塀および長屋の一部が撤去され、現在の大きさになったようである。その痕跡が修復工事中の礎石の配列、構造軸組などからも確認することができた。 


所在地:名古屋市東区主税町4
所有者:独立行政法人 都市再生機構
建築年代:江戸時代(推測)
建築面積:46.3㎡
参考資料:東区史(1973、東区史編纂委員会)