ロンドン滞在記₁
           第2回

まちへのまなざし

谷田 真
(名城大学理工学部建築学科准教授)
たにだ・まこと
1971年名古屋市生まれ。
1995年名城大学建築学科卒業。
1997年名古屋大学大学院修士課程修了、仙田満+㈱環境デザイン研究所入所。
2003年名古屋大学大学院博士課程満期退学。
2004年名城大学建築学科講師。
2005年名古屋大学にて博士(工学)学位取得。
人間と構築環境の相互関係に関心を持ち、学生との時間、家族との時間を大切に日々活動中
鳥の目、虫の目
 まちの成り立ちを手早く把握・考察するには、山やタワーのような展望できる場所に上がり、まち全体を見渡す目(鳥の目)と、自分の足で動きながら現場でしか得られない現象をつぶさに見つめる目(虫の目)、この両極のスケールでとらえた情景を重ね合わせながら考えていくことが近道だと、どこかで教えられた記憶がある。筆者は渡英当初、このおぼろげな教えを愚直に信じ、地図を片手にまち中を歩きまわった。本稿では、それぞれの目で当時の日常の一端を振り返り、まちの空間構成やその意味、生活の様相やその広がりを探ってみたい。
丘からの眺望
 まち歩きで「坂」に出会う確率は低い。ロンドンはおおよそまっ平らな土地と言っていい。ゆえに、わずかな起伏の頂に身を置くだけで想像以上の見晴らしが獲得でき、爽快感と征服感が堪能できる。筆者が足しげく通った住まい近傍のプリムローズ・ヒルやパーラメント・ヒルも、そんな感覚が味わえる頂のひとつであった。
 日差し暖かな休日、ロンドン市民はこぞって丘を目指す。思うままのスタイルで芝の斜面に散在する彼らに混じり、筆者も遠くシティ方面の摩天楼を時おり眺めた。近景に名士たちが住む煉瓦と石で固められた古い邸宅群、遠景に近代的なオフィスビルのシルエット、その間を原生林生い茂る緑が繋ぐという、この理想とも思える環境に、実は操作が施されていると知ったのは、渡英後しばらくしてからのことだった。
 大ロンドン市(Greater LondonAuthority)が策定する地域の戦略的計画「ロンドンプラン-グレーター・ロンドンの空間開発戦略-」の中には、セントポール寺院およびウェストミンスター宮殿を焦点とするランドマークの眺望軸(Landmark viewing corridors)と言われる景観戦略が謳われている。寺院と宮殿、二つのランドマークと見晴らしの良い丘(上記二つ以外に、アレクサンドラ、ケンウッド、グリニッジ公園、ブラックヒース)を結ぶライン上に加え、その側面エリア(Landmark lateral assessment areas)、背面エリア(Landmark backgroundassessment areas)には、景観を損なうような建物を原則建ててはいけないという規制がかかっている。実際、プリムローズ・ヒルから約5㎞先にあるセントポール寺院を探すと、規制エリア以外に林立するいくつもの高層ビルの間から、かすかではあるが寺院のドームを確認することができる。
 容積率制度がないロンドンで、このランドマークへの眺望軸が強固に守られていることを理解したときから、筆者の目には、丘からの眺望が、ロンドン市民の景観に対する強い「関心」と「覚悟」を体現している風景として映るようになったのである。
  
プリムローズ・ヒル
 

ハムステッド・ヒース
水際のしつらえ
 セント・ジョンズ・ウッド地区周辺で住まいを構える際の決め手のひとつになったのが、リビングの窓から目にすることができた幅7 ~8m程の小さな運河リージェント・キャナルの存在であった。木々の間から見え隠れする、ひっそりと水をたたえたその運河は、産業革命時代に全土に張り巡らされた総延長約3,000kmにおよぶ水路網の一部であり、人や物資の運搬に大いに貢献したという。現在は、交通手段としての役割を終え、遊覧船が穏やかなエンジン音を鳴らしゆっくりと航行する貴重な観光資源となっている。
 グランドレベルから一層分下がった位置に整備された運河脇の遊歩道には、散歩やジョギング、サイクリングなどを楽しむロンドン市民が行き交っており、筆者一家らも幼い娘をバギーに乗せてたびたび散歩に繰り出した。歴史を感じるくすんだ煉瓦のテクスチャーを足の裏で感じながら歩けば、フラットの庭からあふれ出す花木の香りやロンドン・ズーのケージから聞こえる動物たちの鳴き声、賛否両論ある高架下トンネル内のウォール・アートが楽しめる。さらに、華やかなマーケットで知られるカムデン・タウン周辺まで足を伸ばせば、瀟洒なガストロ・パブでオーガニック料理まで味わえてしまう。こうして運河の脇を、流れに沿って移動してみれば、自身の五感をフルに使って風景を感じ取っていることに気付き、見慣れたまちへのまなざしも一変するのである。
 運河の船溜まりリトル・ベニスに係留された多数のナローボート(narrow boat)の姿も興味深い。大きなボートが使えない運河で、船上の容積を最大限稼ぐために創造された幅2m、長さ20m程度の極端に細長い船体がその名の由来であり、多くは、キッチン、ダイニング、ベッドルーム、トイレなど長い水上生活にも耐えうる居住性能を備えている。運河際の家を売却してボートでの暮らしを始める人や、ボートを借り長期の船旅を始める人が意外にいると聞く。
 前項で触れた「ロンドンプラン」の中には水系に関わる計画も盛り込まれている。ブルーリボンネットワーク(the Blue RibbonNetwork)と呼ばれるその戦略では、テムズ川はもちろんロンドン中の河川、小川、湖、貯水池、そして運河を広域にわたって連携させ、ロンドン市民がより豊かに住み続けられるための重要な仕掛けとして強化していく指針が詳細に明記されている。当然、ロンドン市内を蛇行するリージェント・キャナルもその一翼を担っているが、もっと大きな目で俯瞰すれば、この運河は全長250kmにもおよぶグランドユニオン運河の一部分として、遠くバーミンガムやリバプールまで繫がっており、イングランド全土を背景とした、広大なネットワークも見えてくるのだった。   
   
 リージェント・キャナル リトル・ベニス 
まちのイメージ 
 都市計画のバイブルである、ケヴィン・リンチ『都市のイメージ』(1960年)に記された五つの構成要素を頭に浮かべれば、筆者が上記で綴ってきた「丘からの眺望」と「水際のしつらえ」は、さしずめ「目標(ランドマーク)」と「移動路(パス)」に当たるのだろうか。彼の理論に照らし合わせると、筆者の住まい近傍に偶然あった「丘」と「水際」は、まちにおける重要なイメージアビリティ(都市がイメージされる可能性)として、筆者の日常に多大な影響を与えていたことになる。言い換えれば、筆者のロンドンというまちに対するイメージのすべてが、この風景から始まったと言っても過言ではないだろう。
 以後、「丘」と「水際」という二つの風景から想起されるイメージを拠り所に、点から線へ、そして面へとまちの理解を深めていくことで、ロンドンというまちに対する筆者のイメージも膨らませていくことになる。