建築の境域から考える
           第5回

建材の可能性

北川啓介
(名古屋工業大学大学院工学研究科准教授)
きたがわ・けいすけ|
1974年3月26日名古屋市内の和菓子屋生まれ。
専門は、建築設計計画、建築意匠、現代建築、都市計画、情報空間論、サブカル論、ナゴヤ論。
1999年ライザー+ウメモト事務所(NY)など。
2001年名古屋工業大学大学院工学研究科博士後期課程修了、博士(工学)。同大学大学院助手、講師、助教授を経て、現職。
その他、UIA2011フォーラムジャパン部会企画委員、名工大ラジオ局長など。
報文:『マンガ喫茶白書 社会問題に先行するひとり一畳の聖域』『もうひとつの建築設計資料集成』(日本建築学会建築雑誌)など。
著書:『ハイパーサーフェスのデザインと技術』(彰国社)など。
受賞:日本建築学会東海賞、名古屋市都市景観賞など。
メール:kitagawa@kitalab.jp
 紅梅、水仙、椿もち、丹頂、干支、初霜、清流、花びらもち・・・。
 季節の素材やその土地の産物は、職人の掌の中で、風雅な銘と共に花鳥風月を映した約40gの和菓子として彩られています。それらは日本の風土に根ざして徐々に育まれ、伝統を受け継ぎ、技巧を凝らし、素材を吟味してきました。和菓子と建築は、一見すると異なる分野の産物であるととらえられがちですが、実は、両者はとても密接な関係があるのです。
 今回は、私たちの生活に欠かせない食文化のお話から、私が海外で進めている新しい建築用の素形材の開発プロジェクトをご紹介しつつ、建築の、特に建材の可能性についてご紹介したいと思います。
□和菓子と建築
 元来、菓子のルーツは果物や実などの自然物そのものです。狩猟や農耕による肉や魚介に継ぐ二次的なデザートや間食に当てた食物でした。やがて、大陸から点心や南蛮料理などの人工的な菓子が伝わり、肉や油をたっぷり使った調理法の時代が始まっても、それは遂に日本の菓子の本流にはならず、逆に小豆の餡が独自に発達することになりました。
 風土や気候に合って育てやすく、日本人の嗜好にかない、長期保存が効き、色彩がめでたいという点もその背景にあったのです。茶の湯の発達にも伴い、情緒を引き立てるその地方独自の趣の高い創作菓子が、人間の五感を満足させるかの如く、絶妙に進化してきているのです。
 一方、建築は、古くから、風土、気候、構造、防御などの物理的な要求により人間を守り、また宗教・信仰などの精神的な要求により、宗教建築物や支配者の宮殿に人々を集めてきました。時代ごとの文明や社会に対して、時にはピラミッドにみられるような絶対象徴的な幾何学により、時にはブルネレスキのように遠近法的な世界観に従い、自然的環境と社会的環境の変化に順応しつつ、人間の理念を建築の形態として具現化してきました。本質的に、建築も文明や社会に応じて、絶妙に進化してきています。
□パスタと建築
 もう少し私たちが日常的に調理する食文化として、パスタを例にとってみます。通常、パスタを調理する際、一般的にはスーパーでパスタの棒状の乾麺を買ってきて、ソースを絡めて調理する、という過程を経ます。食市場での乾麺消費の割合も、統計から知る限り、ほとんどのケースで乾麺をお湯で湯立てて調理する、という過程を経てしまうようです。
 ただ、いつも乾麺をスーパーで買ってくる方でも、一度は、粉と水を調合して、自らの手で練って、試行錯誤しながら調理した思い出があるかと思います。腕が筋肉痛になりながら生地を練り、何とか製麺し、湯立てた後の触感や舌触りが記憶に残っている方もいらっしゃれば、調合の結果、あまりの柔らかさに鍋の中でパスタとは言えない不思議な料理になってしまった方もいらっしゃるかと思います。いずれにせよ、ひとりの人間が試行錯誤しながら、まず素材を選んで、初期段階の調合を行い、数時間ある温度の下で寝かせたりして、少しずつ下ごしらえから調理、そして、料理、と移行していく身体感覚は、人の記憶にも残りやすく、建築に例えれば、人の心象風景が刻まれた住環境の記憶に近いのです。
 いかがでしょう。建築、または建築すること自体の本質を、静的で制約のある対象として扱ったり、建築に内含する体制を弱体化したり細分化したりするのではなく、逆にそうした狭義な概念を拡充し、潜在的な可能性が溢れんばかりのものとして建築をとらえてみるのです。基準や仕様、定石は、人類が目的を達成するための行動内容を規定する語句ですが、何かと規定の好きな建築の設計環境、教育環境では、建築の内的体制と物理的論理との一体化を生む蓋然性は低く、かえって不統一な建築を生む非常に大きな要因となっているのではないでしょうか。
 生物学の自然選択的な進化過程において、ダーウィンは強者生存ではなく適者生存を主題としましたが、インターネットや遺伝子技術など、人類を取り囲む技術や環境の進化においては、むしろ規定という環境の一要素からの解放こそが必要であり、その解放の根底には、万物の形成過程における未知で新たな可能性が潜んでいるのです。
 例えば、産業革命以降も、世の中の要素技術などは確実に進歩しています。プラスチックやセラミックなどのメーカーによる要素技術は、メーカーの研究所でも日に日に開発が進んでいます。その要素研究を建築に適用していくには、メーカーの研究者というよりも、やはり、建築分野の専門家がそれら要素研究と建築の境域に積極的にアプローチして、次世代の建築のあるべき姿を提案して適用していくことが、時代としても可能になってきているのです。
   
和菓子のいろいろ   バブルハウスのドローイング バブルハウスの内観写真 
□バブルハウス
 数年前に私が提案し、現在、オーストリアのウィーン工科大学大学院と共同で進めている新しい建材開発による住宅のプロジェクトを紹介します。
 皆さんは、割れにくいシャボン玉、という製品をご存知でしょうか。誰もが遊んだことのある一般的なシャボン玉は、膨らませて飛ばしても、約10秒で割れてしまいます。数年来の玩具部門でのヒット商品である割れにくいシャボン玉は、一般的なシャボン玉液の調合を少しだけ変えて割れにくくし、土の上をも転がったりするシャボン玉です。飛ばすとすぐに割れてしまうシャボン玉よりも、子供たちが追いかけたときに一番楽しむことのできる割れにくさを追求して実現したシャボン玉です。また、最近は、カラーシャボン玉という玩具もヒット商品のひとつです。同じく調合を少し変えただけで、色とりどりのシャボン玉をつくることが可能です。
 こうした、わずかに調合を変えるだけで楽しみ方自体も変わったこれらのシャボン玉をヒントに、実現に向けて研究開発を続けているのがバブルハウスです。
 数年前から国内外の化学の研究者と打ち合わせを進めてきました。彼らと実験を重ねて特別に調合した液体樹脂を、建設予定地に一斗缶に入れて持参します。そして、建設予定地で多くの泡を生成し、連続した泡の建材として半ば固化した状態にしていくのです。それを、古典的な仕口や金物などではなく、同じく化学の研究者が特別に調合した糊で接着していくだけで、オクラのように、壁と屋根が連続するのです。それを、不陸をとった基礎構造の上に載せることで、あっという間に断熱性が高い内部空間を実現できるのです。また、泡の色や透光度を調整することができますので、例えば、下方は乳白色で不透明度を高くし、頂部へ向けて連続的に透明度を高くすることで、穴を開けたような古典的な窓ではなく、空間を構成し人を取り巻く四方八方の建材の透光度の度合いで、採光を調整することが可能となります。上方から柔らかい光が満ちてくる自立した内部空間が達成できることになります。
 建築のみならず、人工物の質量が少なくなるということは、価格、労務、工期、危険性、地震時の揺れ、荷重など、さまざまな要因が大幅に軽減されます。
 建築家が建材の調合から設計することで、建築の挙動も様相も変わるのです。
□建材の可能性 
 現在の都市や建築をとりまく環境は、地球規模で見直しが迫られています。鉄とガラスによる箱形建築物が世界を一世風靡してから1世紀以上が経ち、これまでの概念ではとらえられない環境が存在しているのです。
 限られた製法と素材だけからも多様な表情を生み出す食文化のように、さまざまなものづくりに潜む造形や創造の摂理が、建築分野の専門家に伝えるものは意外に大きいのです。今一度、パスタの生地をこねながら、建材が実現する建築の可能性を考えてみていただければ幸いです。