保存情報 第112回
登録有形文化財 大高 春江院 尾関利勝/地域計画建築研究所
本堂 鐘楼
■紹介者コメント
 大高(名古屋市緑区)は、名古屋の城下町よりも古く、重層的な歴史を持つ。知多丘陵北端の位置と地形は、およそ1 ~ 2 万年を遡る伊勢湾形成期には存在していたようで、養老年間に描かれた縄文海進期と思われる古絵図に、大高の地名が示されている。尾張の形成期となる2,000 年ほど前、ヤマトタケル伝説にかかわる豪族尾張氏にまつわる氷上姉子神社がこの地にあり、今はもともとここを起点とする熱田神宮の摂社になっている。氷上姉子神社のほぼ真北に、戦国期、今川と織田が、つばぜり合いを繰り返し、桶狭間の戦いにもかかわった史跡大高城跡がある。
 城の西側一帯は、江戸期から醸造で栄えた旧大高城下の集落で、今も町並みを良く残し、最盛期には8軒あった蔵元は、3軒が醸造を続け、町並みのランドマークになっている。
 大高城の東南、近年開発が進む住宅地に囲まれた谷間の緑の中に、ひっそりと清楚にたたずむ曹洞宗の大高山春江院がある。今川方で後に織田側になる大高城主水野大膳が、父の和泉守の菩提寺として建てたものと言われ、尾張名所図会にもその姿が記されている。
 寺社には比較的少ない北入りの緩い坂の参道を上ると、山門に行き当たり、そこから鍵の手に南に進むと、正面に本堂、右手に書院と庫裏、左手に弁天池を配した境内に出る。
 山門も本堂も江戸期の建立で、これらとともに鐘楼、玄関、書院、茶室、庫裏、不老閣の8棟が国の登録文化財に登録されている。
 尾張名所図会今昔巡りで大高の街一帯を歩いた際、この名刹に巡り会ったが、この時点では登録文化財であることを知らず、茶室や不老閣はじめ、寺の内観を拝観せず、緑の谷間に清楚にたたずむ寺の境内に、しばし感銘をうけて帰ってしまった。次回は必ず拝観したいと思っている。
  創  建:弘治12年(1556)室町期
建築年(登録番号):
 本堂・山門/文政13(1830)年(23-0189・23-0194) 
 鐘楼/慶応元(1865)年(23-0195) 
 玄関・書院/江戸後期(23-0190) 
          移築 明治12(1879)年 
 茶室/明治後期(23-0192) 
 庫裏/昭和 8(1933)年(23-0193) 
 不老閣/昭和11(1936)年(23-0191) 
 他 観音堂、弁天堂/時期未確認
構  造:本堂/木造本瓦葺 他/木造桟瓦葺
公  開:未確認 門が開いていれば入山可
問合先:TEL 052-621-2041
アクセス:JR 東海道線「大高」駅 「南大橋」駅下車 
それぞれ徒歩約20分
データ発掘(お気に入りの歴史的環境調査) 天恩寺 渡邉 勇/ユウコウ建築設計事務所
仏殿 山門 境内(総門・見返りの大杉(右側))
■発掘者のメント
 額田町は岡崎市と平成18(2006)年1月1日に合併された。その旧額田町に天恩寺がある。市の中心部から岡崎支所(旧額田町役場)を抜けた先の片寄町にあり、とてものどかな田園風景の山間にある。
 天恩寺は建武2(1335)年、足利尊氏が矢作川の戦いで勝利を祈願した地と伝えられる。その後、尊氏は室町幕府を開き、貞治元(1362)年、尊氏の孫3代将軍足利義満が尊氏の遺志を継ぎ、見性悟心(けんせいごしん)禅師に命じて天恩寺を創建したとされる。臨済宗で、江戸時代には額田地域の中心的な寺院として栄えた。
 作者不詳であるが、貴重な室町時代の禅風の建築であり、仏殿・山門は国の重要文化財に指定されている。仏殿は地蔵堂とも称され、檜皮葺きの入母屋造りである。山門は切り妻造りで、サワラや杉の薄板を用いたこけら葺きで現存する薬医門としては最も古いものである。つい最近(平成20年)この屋根が改修された。岡崎市内では重文級の寺社の屋根は多くは檜皮葺きで、こけら葺きは珍しいという。
 また、境内には、徳川家康ゆかりの大杉(家康公見返りの杉・樹齢約450年)もある。慶長7(1602)年、徳川家康より寺領百石の寄進があり、以後江戸幕府により保護を受けた。
  建造物:天恩寺仏殿1棟、天恩寺山門 1棟
所在地:岡崎市片寄町山下59
     (バス停滝尻口より徒歩5分)
国指定重要文化財/仏殿・山門 明治40(1907)年5月27日指定
岡崎市指定文化財/からうすの図(江戸中期作)、蝦蟇・鉄拐仙人図(がま・てっかいせんにんず)(江戸中期作) 昭和45(1970)年1月21日指定