保存情報 第111回
データ発掘(お気に入りの歴史的環境調査) 名古屋大学 古川記念館(旧古川図書館) 谷口 元/名古屋大学
正面ファサード:上階は博物館、下階は世界屈指の年代測定センターが稼働 展示室(旧閲覧室)の吹抜:風除室にあった脇田和のステンドグラスは吹抜上部の窓に移設
■発掘者のコメント
 図書館は政府に頼らず建設という条件をつけられていた本学に対し、当時の杉戸市長や地元経済界の斡旋などによって、日本ヘラルド映画㈱会長の古川爲三郎氏が名乗りを上げられました。1億円を寄附しようとしたところ、志ま夫人の強い後押しで建設に必要な2億円全額をいただくこととなり、当時の学長は驚喜のあまり靴を履くのも忘れて帰ったという逸話が残っています。設計の依頼は、これも夫妻の意向で東京工業大学教授の谷口吉郎氏に。隣接するグリーンベルト正面の豊田講堂が33才の若き気鋭の槙文彦氏であったのに対し、図書館は60才間近で円熟期を迎えつつあった建築家の手に委ねられました。
 柱梁の構造部材や庇の軒先、バルコニーの見付部分などは、基本的にコンクリート打ち放しで線的に構成され、線的要素によって分割された外壁面は、重厚なクリンカータイルが貼られています。最上階のキャンティレバー部分とその上部の庇部分は、特に水平線を強調したデザインとなっています。正面側の柱間が8.4m、奥行き方向が4.2mというグリッドパターンにより、東西に展開するグリーンベルトに沿って伸びやかさを強調しているように思われます。内部の吹き抜け空間には十字形に面取りを施された柱や梁が繊細であり、PCの折版屋根がアクセントを加えています。
 平成19(2007)年に耐震改修が認められましたが、概算要求の設計時点では、外壁など目立つところに筋交が露出する恐れがありました。施設管理部と伊藤建築設計事務所の努力に加え、構造の先生の助言もあり、収蔵庫など目立たないところに補強することで落ち着き、原型を保存することができました。豊田講堂と並ぶ本学の永遠の財産です。 
竣工:昭和39(1964)年
 設計:谷口吉郎 施工:大林組
改修工事竣工:平成20(2008)年
 基本設計:名古屋大学施設管理部・施設計画推進室
 実施設計:伊藤建築設計事務所
 施工:イリヤ建設
構造:鉄筋コンクリート造 地上3階建
建築面積:1,111㎡ 延床面積:4,074㎡
データ発掘(お気に入りの歴史的環境調査) 龍華山 神蔵寺と貴船神社 中澤賢一/堀内建築研究所
右が神蔵寺、左が貴船神社 東山通りから(右奥が寺社の森)
■発掘者のメント
 神蔵寺と貴船神社は名古屋市営地下鉄一社駅と上社JCTの中ほど、東山通りからほんの一区画南へ入った場所にあります。この寺社は起伏の激しいかの地にあって丘の頂きに隣り合って位置しており、大きな森を形成しています。東西に東山通り、南北に環状2号という大通りを擁した、まさに車社会名古屋といった都市風景の中でこの緑豊かな森は東山通りからも望めます。
 神蔵寺は織田家重臣であった柴田勝家の祖父、柴田勝重により文亀元(1501)年に創建されました。元はここに勝重の居城である一色城があったと伝えられており、自身の墓が本堂の脇に残されています。境内には区内一の大きさを誇る薬師如来木造を安置する薬師堂があり、山門前には市指定保存樹のクロマツの大樹が茂っています。
 一方、貴船神社は雨の神を祀る神社で五穀豊穣を祈願し、江戸時代初期に創建されたと伝えられています。
 寺社どちらも本堂、本殿をはじめとする各構造物は、古くは小牧長久手の戦い、その後は伊勢湾台風などにより被害を受け、今ではコンクリート製となっていますが、その配置は当初から変わっていません。創建当時は神仏習合の流れを受け、互いに管理しあう関係にあったようです。その後、神蔵寺にあっては神仏分離、廃仏毀釈の流れの中で廃寺の危機にも見舞われたそうですが、現在もこうして並び建っています。
 1本、道を隔てれば車が激しく行き交う環境であるにもかかわらず、この森では鳥のさえずりや木々のさざめきに静かに耳を傾けることができます。 
所在地:龍華山 神蔵寺/名古屋市名東区一社3-11 
    貴船神社/名古屋市名東区一社3-14