保存情報 第110回
登録有形文化財 覚王山日泰寺 奉安塔・礼拝殿・土塀 谷村 茂/アール・アンド・エス設計工房
礼拝殿の奥に奉安塔が見える 奉安塔を取り巻く土塀 通天門
■紹介者コメント
 覚王山日泰寺は、名古屋市千種区法王町にあるが、日本でも唯一の超宗派寺院として有名である。この寺院は成立の性格上、日本仏教徒全体の寺院であり、その運営に当たっては、19宗派の管長が輪番制により交代で住職を務めている。「覚王山日泰寺略記」によると、明治31(1898)年インドで発掘された釈尊の御遺骨はインド政庁によってタイ国に寄贈された。その一部は、セイロン、ビルマに分与されたが、その後、タイ国国王より日本にも一部が贈られることとなった。
 その御真骨をお祀りする寺院の建立計画地をめぐって意見が分かれたが、名古屋官民一致の誘致運動の結果、1904年に現在の地に建立が決まった。しかし、空襲によって文化財指定されている一部の建物を除き伽藍は消失し、RC造で再建されている。
 釈尊御遺骨を安置する「奉安塔」は、東大教授伊東忠太の設計によって、ガンダーラ様式で花崗岩を用いて大正7(1918)年に建立されている。伊東忠太は、何回かのインド旅行を著作にまとめているので、その見聞の結果が設計に生かされたものだと思われるが、現在は礼拝殿を通してその基壇しか見ることはできないので全体は想像するしかない。
 奉安塔の前面には寄せ棟造りの礼拝殿が置かれ、通天門を含む土塀がそれらをぐるっと取り巻いているが、これらはすべて県の有形文化財に指定されている。
 この取材は10月ですが、近々、タイ国大使がお参りにこられるとのことです。

所在地:名古屋市千種区法王町1-1 
登録番号:奉安塔・礼拝殿 23-0153、
     通天門 23-0154、
     土塀 23-0155
データ発掘(お気に入りの歴史的環境調査) 郷蔵 神谷勇雄/ユウアンドアベトウ
郷蔵全景 入り口
■発掘者コメント
 名古屋市守山区大森小学校の西側、新興住宅街の中に、なまこ壁と漆喰壁に覆われた、間口2間半ほど、奥行き3間半ほど、高さは道路から8mほどの小さな建物がある。車で通れば、気を付けていないとまず見つからない。一見何の変哲もない建物であるが、土蔵に比べて非常にプロポーションがいい。
 これは、江戸時代より、“字”(今の学区のようなもの)ごとに米を貯蔵する蔵であった。年貢米や共同備蓄米を確保するための施設である。表には「大森 中之島 郷蔵」と刻んである。
 建設年は、定かではないが、江戸の中期から後期にかけてと思われる。地元で生まれ育ったという隣の住民の方にお聞きしたところ(70歳ぐらいの女性)、小さい頃より建っていたらしい。その間には曳き屋をしたり、かさ上げをしたり、また補修も以前のままに行ったようである。入り口の戸も竹で作られ、当時の姿を醸し出している。 戦前までは米を備蓄していたが、現在は瀬戸街道を挟んで北側にある八剱(やつるぎ)神社の祭礼の道具(獅子やお神輿など)が納められている。
 新しい住民が移り住むようになり、何度も取り壊す危機があったようである。そのたびごとに大森小学校の先生方や近所の方々、学区の皆さんが、保存に向けて努力されたと聞いた。この地域には神社、お寺、古墳も多く存在し、古いものを保存する気風が残っていることに感心した。
所在地:名古屋市守山区大森4-405
建設年:江戸時代?
構 造:木造