建築の境域から考える
           第3回

CAD の可能性

北川啓介
(名古屋工業大学大学院工学研究科准教授)
きたがわ・けいすけ|
1974年3月26日名古屋市内の和菓子屋生まれ。
専門は、建築設計計画、建築意匠、現代建築、都市計画、情報空間論、サブカル論、ナゴヤ論。
1999年ライザー+ウメモト事務所(NY)など。
2001年名古屋工業大学大学院工学研究科博士後期課程修了、博士(工学)。同大学大学院助手、講師、助教授を経て、現職。
その他、UIA2011フォーラムジャパン部会企画委員、名工大ラジオ局長など。
報文:『マンガ喫茶白書 社会問題に先行するひとり一畳の聖域』『もうひとつの建築設計資料集成』(日本建築学会建築雑誌)など。
著書:『ハイパーサーフェスのデザインと技術』(彰国社)など。
受賞:日本建築学会東海賞、名古屋市都市景観賞など。
メール:kitagawa@kitalab.jp
 画面上でスケールを自在に変更できるがため、設計製図演習中の建築物のスケール感の欠如した建築図面。仮想の3次元空間にオブジェクトを配置する作業のみでオブジェクトの取り合わせを考えなくてもよいがため、構築するという建築の感覚が欠如した中身のない表面的で張りぼてのごとくペラペラな建築模型。
 CADは鉛筆と同じ製図道具と指導する大学教員がいまだに多くいます。CADを建築設計の主な道具としている世代の学生の作品と設計スキルは、一部の好例を除き、全体的に表現手法に傾倒するなど、稚拙の一途を辿りつつあり、その背景には、こうした現状に本気で対策を講じようとせずに、大学経営の厳しい現実なのか、CAD教育の可能性をチャンスととらえない教育機関が多いことが挙げられます。全国の卒業設計でも、CADによる問題点を露呈しっぱなしの作品が連なることが多々あり、これからの日本の建築界を少なくとも40年近く担っていく若き学生を指導する教員は、CADの導入に最大限の切迫した危機感をもって接するべきと願います。しかしながら、CADで1本の線も引いた経験がない年配の教員もあり、CADの弊害に対する何らかの解決策を見出すこともできていないのが現状です。
 大学でCADの教育が盛んに推し進められてきたのは1996年頃、ちょうどWindows95の鮮烈な発表によって日本の一般家庭にパソコンが普及しはじめた時期でした。それまでの手描きの図面・透視図・模型による設計教育から、図面のプリンタ出力・3次元ソフトでの自動描画機能などによる設計教育へ一気に移行しました。当時、日本の建築系の大学や企業は、CADを利用した建築設計製図の方法論、つまり、アナログな道具からデジタルな道具への転換法を模索し続けましたが、結果的に明確な回答を見出せていません。
 そしてあれから約15年が経っても同じ状況の今、大学でCAD演習も担当する立場から、あえて昨今の国内の建築設計製図教育の可能性についても考えてみましょう。
□鉛筆のラブレターに近い「間」の概念
 そもそも、CADの線とスケッチの線とでは線の持つ空間的な次元が大きく異なります。恋する相手にラブレターを送るとすれば、自らの想いを手で記すのが他者への伝達の上で何よりも有効であるのは、本機関誌を読まれている方には理解になんら難しいことはないはずですよね。
 CADは画面上に数式で表現できる範囲の点と点を結ぶ軌跡を残すあくまで2次元の投影であり、主に建築物の輪郭を描くのに対して、スケッチは2次元投影をより高次にする線の太さや色調や描画速度、そして線の重ね合わせなど、いわば空間的で時間的、つまり人が内部で生活する建築に本来必要な「間」の概念の試行錯誤を可能にする建築家との双方向な道具なのです。古典から現代までの巨匠の手描きのスケッチ1枚1枚には、こうした複数の次元が積層されていますが、CADの思考が主である昨今の建築技術者は、スケッチで試行錯誤できないだけでなく、過去の膨大な建築の歴史から学ぶ術すらも本質的に困難になってしまいました。作曲家が市販CDを聴き、電子式ピアノを弾くだけで音楽を大成しようとするようなものです。もしくは、熟練の和菓子職人が、工作機械で菓子づくりに励むようなものです。さらに、良かれ悪しかれ、CADと併せてインターネットの普及も重なりました。安易に建築物の情報が低解像度で閲覧できるようになって以降、建築設計の深い思想と過程よりも、建築物の明快な部分ばかりが先走っていることも建築設計の上で危惧しなくてはいけません。
□携帯のラブレターに近い「間」の概念
 しかし、もう少し視線を広げてみると、現代には、前述の手書きのラブレターのような熱い人情の因果の連続である恋愛のようなものだけでないのです。
 虚像空間の機械的な文字によるドライな匿名性と簡便さが、実際に生活する実空間での体験と相互作用するソーシャル・ネットワーキング・サイトや出会い系サイトのような、これまでになかった全く新しい概念として世の中に爆発的に普及し、こうした概念は、今では認知症の処方としても注目されています。
 私はCADの弊害ばかりを受動的にとらえるつもりはなく、全く逆手にとってこれまでとは一線を画す建築設計環境を導入するチャンスでもあると確信し、以下に国内外の実践例を紹介します。非常に重要なのは、CADにしかできない利点を大いに生かすことです。
 まずは、建築の実務面の応用のひとつとして、すでに欧米の一部の建築設計事務所にて、10 年ほど前から開発され設計段階で導入されているCAD上でのコンピュータ・プログラミングの利用を紹介します。彼らは、設計の最初の段階で、建築を取り巻くさまざまな設計条件や環境条件をコンピュータ内でプログラミング言語として入力し、その後、淡々とあたかも方程式を解くかのようにデザインを進めます。例えば、コンペに取りかかる最初の段階は、要項に記載されている条件を入力することに終始し、次第に建築の形態がCADにより決定されます。その際、方程式が複数の解を持つ場合もあれば、解がなくなる場合もあり、その決定を行うのが建築家という応用法です。必然性の集積体としての建築物が提出されるため、こうした結果、彼らがコンペに参加するとまず間違いなく1等という時期がありました。
 次に、建築の教育面の応用のひとつとして、前述した手描きや模型での高次な設計スタディを、CADを用いた別の視点で行う設計教育の可能性を紹介します。設計のエスキス段階から仕上げまでに、つねに模型制作と並行してCGによる3分程度の短編映画を制作させるのです。建築は人の生活に関わる長短の時間進行が必ず関係するので、まるで映画の原作からコンテから映画そのものを完成させるような過程で、建築物に生活のレベルの物語性を付加して設計演習を進めることが可能となります。表現の効率化と透視図の簡便さは格段に進んだこともあり、即物的な建築物の設計演習から、従来まで演習作品に表現されてこなかった建築物の素材や材料や家具といった建築物本体に附随する要素も織り交ぜた、より柔軟な設計教育への折返し地点とも言えます。高次という意味では、平面図や断面図といった平行投影図は誰でも描ける時代でもあるからこそ、2次元投影ではなく最初から立体空間の透視図により、3次元空間とインタラクティブに設計教育を行うことが可能となります。また、今の学生は入学時ですでにデジタル技術に長けており、1年次からの全学生に机を配してコンピュータが設置されています。製図室での演習に予想を遙かに超えて昼夜を問わず時間をかけるため、同級生・先輩・後輩、そして教員と切磋琢磨していく絶好の場となりえます。つまり、学生のボトムアップが以前より非常に容易となります。
 かれこれ6年前にCADの独自の方法での導入を開始した結果、今では、入学したばかりの18、19歳の新入生も、1年次の終わりには住宅の設計作品をCGと実写を組み合わせた短編映画にまとめるに至っています。そして、学部の女子学生による国際建築設計競技での最優秀賞をはじめ、学生による国内外での建築設計競技の入賞数は年々倍増しています。ひとりで10近くも受賞している学生もおり、今ではその教育方法は名工大式と呼ばれています。
学部1年後期時の住宅設計演習の短編映画作品例(鈴木健史君)
学部1年後期時の住宅設計演習の短編映画作品例(鈴木淳平君)
□CAD による建築設計教育の可能性
 CADの導入に際しては、多くの大学教員が言うような手描きの代替や後継の道具ととらえるのではなく、全く異なる次元での体系ととらえるべきです。新しい技術は取り入れ方によって、いつの時代でもハイテク、ハイテクとだけしか言えない人を堕落させることもありえますが、慎重に、かつ挑戦的に扱わずして、テクノロジーに未来はありません。