保存情報 第107回
登録有形文化財 齋藤家住宅主屋 原眞佐実/原建築設計事務所
齋藤家外観 座敷から庭を望む 「やなか水のこみち」
■発掘者コメント 
 「郡上踊り」と「宗祇水」で有名な岐阜県郡上市八幡町は四方を山に囲まれ、町の中を吉田川と小駄良川が流れ長良川へと合流しています。
 「齋藤家住宅主屋」は吉田川にほぼ平行する新町筋の東方にあり、北側を道路に面して南北に建っている慶応年間以前の建物です。登録有形文化財であり、現在、郡上市教育委員会などにより平成22年(2010)秋を目途に重要文化財への申請も計画されています。
 平入りの木造2階建て鉄板葺き屋根の町家は、間口約13m(約7間)、奥行約18m(約10間)の規模を有しています。通りに面した開口部には連子格子が1階、2階ともに設けられ、瀟洒な外観を見せています。西側には屋内土間に通じる大戸口があり、東側は出格子となっています。当主によれば齋藤家は、現在の可児市から約270年前(1740年頃)に郡上八幡へ移住したらしいのですが、享保3年(1718)の初代から、代々の郡上藩主とは親交があり、有名茶道具や屏風、掛軸などが数多く残されています。住居部分の裏手(南側)にある齋藤美術館(昔の土蔵)で、両替商で財を成した齋藤家の往時を偲ぶことができます。
 間口7間の西側4間は嘉永5年(1852)まで遡り、東側3間は慶応元年(1865)以降の建築物と考えられています。郡上八幡の新町筋で、隣家を売買して敷地を増減し、住み繋げ、改修して使用することで、町家を近世、近代から現代へと維持・継続できたのでしょうか。
 ほかに2例ほど、こういった住み繋げ事例が見受けられますが、齋藤家は確認ができる中では現在最も古い町家で、郡上八幡の町家建築と町屋敷の変遷を示す重要な建築物と言われています。
 現存する建屋の中には茶室や土蔵、また復元された水琴窟など、手入れが行き届いており、歴代の当主の努力がうかがえます。


所在地:岐阜県郡上市八幡町新町927-1 
登録番号:21-0026                 
構造及び形式等:木造2階建、鉄板葺き 建築面積 270㎡ 
参考文献: 『郡上八幡町史 史料編四 地方史料(上)』
齋藤家所蔵文書        
データ発掘(お気に入りの歴史的環境調査) 白壁 長久寺 尾関利勝/地域計画建築研究所
長久寺境内 長久寺不動堂 尾張名所図会に見る長久寺
■発掘者コメント
 名古屋市東区には、名古屋城築城あるいは清洲越し以来の歴史が多数残され、その証を尾張名所図会に見ることができる。尾張名所図会は天保12年(1842)と明治13年(1880)に編纂、絵は尾張藩士の画家である小田切春江(1810 ~1888)によって描かれ、大正7年校訂版、昭和45年に復刻版が出された。私は3年ほど、毎月1回、尾張名所図会の今昔巡りを続けており、今に残る江戸期の尾張名古屋の風景を多数発見することができた。その代表例といえるのが、白壁の長久寺である。
 長久寺の名は、全国で40 ヶ寺以上をホームページで見ることができる。白壁の長久寺は慶長15年(1610)に清洲から移された真言宗智山派の寺だが、元は慶長6年(1606)に武蔵国(埼玉県行田市)長久寺から開祖を迎えて創建された。ちなみに武蔵国長久寺は上記40 ヶ寺に含まれる現存する寺で、ともに創建当初から徳川家とゆかりの深い寺であった。
 尾張名所図会に見る長久寺は、隣接する金城学院中学を含む広大な境内地を有し、東に隣接する片山神社とともに、名古屋台地の北端にあって、上街道や下街道など城の北東の口を固める役割を担った様子が伺える。
 今は境内は狭くなっているが、不動堂、庫裏の配置と姿は、尾張名所図会とそっくりそのままに残されているのに驚かされた。正面の唐破風、しころ屋根に似た本瓦葺き寄せ棟屋根を持つ不動堂のつくりは、庫裏、山門とともに江戸期の様式をよく今に伝えている。
 長久寺の庚申塔が創建時のものとして名古屋市の文化財に指定されているが、それ以上に建物群が江戸期の遺構ではないかと推定されるだけに、ぜひいつか、これらの建設年代を調べたいと思っている。

所在地:名古屋市東区白壁三丁目24番47号
創建:慶長15年(1610)          
建築年:未確認(江戸期と推定される)    
構造:不動堂/木造本瓦葺き寄せ棟造(しころ屋根)
規模:未確認 
公開:未確認 門が開いていれば入山可
問合せ:052-931-6149
アクセス:名鉄瀬戸線「尼ヶ坂」駅下車 徒歩5分 市
バス「白壁」下車 徒歩5分