かわづくり×まちづくり
           第4回
人はなぜ川に魅せられるか

秀島 栄三
(名古屋工業大学大学院工学研究科准教授)
ひでしま・えいぞう|
1992年京都大学助手
1996年博士(工学)
1998年名古屋工業大学講師
2000年JICA 長期専門家を経て現在に至る。
専門は土木計画学。
著書に『土木と景観−風景のためのデザインとマネジメント』(学芸出版社)、『環境計画―政策・制度・マネジメント』(共立出版)など。
国土交通省中部地方整備局入札監視委員会委員、愛知県尾張地域水循環再生協議会座長、名古屋市行政評価委員会委員、㈶名古屋都市センター企画委員などを務める。
撮り川? 釣り川?
 人はなぜ川に魅せられるのか。言い切りすぎているかもしれないが、どこに行っても川に惚れ込んでいる人、非常に博識な人によく出会う。水理学の研究者や環境保全活動家だけではない。国や自治体を引退されてから川に対する思いや考えを本に著す人も結構多い。
 ファン、あるいはマニアが愛好する対象は様々である。独特の存在感を放つ建築物や看板などを取材、鑑賞する「路上観察」はひと頃よく話題になった。最近は臨海部などの製鉄所や大工場、特にその夜景が巷でも話題に上る。ダム管理事務所が出していた「ダムカード」は、最近では発行されていないため、かえって希少価値が増している。そういう中で鉄道愛好家は層が非常に厚い。写真に収めるのが好きな人、鉄道で旅するのが好きな人、鉄道模型が好きな人、時刻表を“読む”のが好きな人…と興味の対象や行動形態が多種多様である。近頃は撮影ファンを「撮り鉄」、旅が好きな人を「乗り鉄」、なぜか少ない女性の鉄道ファンを「鉄子」と言うらしい。川で言うならば撮影するのが好きな「撮り川」、釣りを通じて川に触れる「釣り川」、女性なら「川子」といったことになるだろうか。残念ながらいずれも語呂が悪い。
 昨秋、行き過ぎた「撮り鉄」が記念列車の運行を妨害したというニュースがあった。彼らは本物の愛好家ではない気がする。モラルの有無だけではない。本当の愛好家は、熱意や博識さでは他に譲らないが、もっと慎み深く、場をわきまえる、そういうイメージがある。「おたく」という言葉が使われはじめた頃から何かが変質したように思えるのだがよくは分からない。インターネットの普及も影響しているかもしれない。“explorer”と名の付く大変普及しているブラウザ(ウェブ閲覧ソフト)があるが、皮肉にも希少な知識を探し求める(explore)ことの価値は低下してきた。学生のレポートも変質した。単なる知識はどこかのウェブサイトからとってきて、思考に多くの時間と努力を割くようになるというならばそれはいい方向だが、実情はそうではない。ひと言で言えば“あっさり”している。“遊ばない”若者が増えていることともどこかで関係している気がする。
 愛好家は知識を積み上げていく。そして情報を交換し、共感しあうようになると、やがてコミュニティが出来上がる。それは同好会に、学術目的を有する研究会に、あるいは社会貢献を目的に掲げた特定非営利活動法人になることもある。「NPO法人あらかわ学会」はそのひとつで、活動成果を着実に積み上げている。国土交通省荒川下流河川事務所と同じ敷地にある荒川知水資料館(写真1)に事務局を置いている。


写真1 荒川知水資料館
都市河川・運河の魅力
 河川にもいろいろあるが、個人的には人工的な都市河川・運河が好きである。個人の好みの理由などどうでもよいがあえて言えば、あらゆる面で人の手が加えられているところに引かれているように思う。名古屋・堀川(写真2)では今年初めに護岸が崩れたことが話題になった(*)。海の干満により海水が逆流する感潮河川のため、護岸が低いところまでむき出しになることがある。そこには400年前の人々の手が加えられており、その苦労を思い量るひとときとなる。干潮時には鳥が佇む浅瀬が浮き上がるなど、自然環境を普段より多く感じることもある。
 掘ってつくられた、堀川と名の付く人工河川・運河は至る都市にある。大阪・道頓堀川(写真3)が一番有名だろうか。2007年にリバーウォークが完成し、水辺が近くなった。近づくに十分な水質とはいえないが、最近ではイケチョウ貝を入れたり東横堀川を通じて流入する淀川と寝屋川の水を水門で制御しながら水質改善を図っている。八百八橋と言われた大阪はもともと縦横無尽に水路が引かれており、2009年には「水都大阪」をアピールして多彩なイベントが開催された。
 松江・堀川(写真4)は道頓堀と対照的に落ち着いた城下町の風情が魅力的である。遊覧船に乗ると水面に近い橋の下で屋根を下げ、乗船客がみんな身をすくめるのもまた一興である。京都・堀川(写真5)は数年前まで日頃は涸れ川のようで、大雨が降ると大量の下水が流入する、典型的な嫌われるべき都市河川だった。現在は川底の下に管路を通した上で、人々が馴染みやすい流量のせせらぎがつくられている。昨今の京都市の町家保存や景観保全への力の入りようは本気さを感じさせる。遅きに失している面もあるが。
 北九州・堀川運河(写真6)は、知名度は低いかもしれないが個人的にはハマった。遠賀川上流の炭坑から北九州の製鉄所、工場へと繋ぐ、日本の近代化を支えてきた川である。産業構造が変わり、折尾駅周辺などではあまり冴えない風采だが、上って行くと当時の面影が十分に残っている。視察時に案内をお願いした方が、この川の歴史・文化の継承に精力的に取り組む方と、さらに福岡から大学の研究者も呼んでくださり、川縁の立ち飲み屋(これもまた歴史を感じさせる)で初対面にもかかわらず盛り上がった。
写真2 名古屋・堀川−干潮時に現れる護岸・浅瀬
写真3 大阪・道頓堀川−水辺整備事業
写真4 松江・堀川−船着場と遊覧船
*中日新聞2010年1月5日(火)朝刊など。
川に学ぶ 写真5 京都・堀川−整備前・整備後
 「かわづくり」にしても「まちづくり」にしても、愛好し、創造しようとするアプローチと、今ある問題を解決しようとするアプローチの両方がある。両者が組み合わさることは理想的に見えて案外不都合も生じる。愛好は「飽きる」こともある。後者が使命に燃えているとき、自由に動く前者に不満が向けられることもある。しかし問題解決だけではしんどくてつまらない。また、問題解決は知識さえあればうまく行くとは限らない。強い関心や協調性がなければ能力は生かされない。そういう現実に直面するうちに身の回りに多様な知識、能力、性格を持つ人々がいることに気づかされる。そういったプロセスを通じてコミュニティはまた成長する。川は(町も)いつもそのことを教えてくれるのである。
 国土交通省、河川環境管理財団、リバーフロント整備センター、河川情報センターなどがリードして「川に学ぶ」という主題の下、市民団体や自治体によって様々な河川学習の教材や講座が提供されている。当地で言えば名古屋市水辺研究県は「あいち水循環再生構想」などを通じて各種団体の活動を支援している。各務原市にある河川環境楽園は、国営公園ながら( 国営公園ゆえに?)独特な河川学習の場を提供している。来る7月は全国的に「河川愛護月間」だが、年間を通じて川を見つめ、接することも有益である。
写真6 北九州・堀川運河−近代化の歴史を感じる