保存情報 第104回
登録有形文化財 大野宿 美術珈琲 鳳来館
( 旧大野銀行本店/本館・土蔵)
森口雅文/伊藤建築設計事務所
鳳来館本館(旧大野銀行銀行本店本館) 鳳来館ギャラリー蔵(旧大野銀行本店土蔵) 鳳来館本館の木造階段
■紹介者コメント
 愛知県新城市大野は、江戸時代は秋葉街道(秋葉神社~鳳来寺山)の宿場町として、明治時代には別所街道(豊橋~別所(現東栄町))が開通、大正12年(1923)には鳳来寺鉄道三河大野駅が開設され、二つの街道と鉄道がこの地で接することになり、主産業である林業、養蚕・製糸業の隆盛を背景に経済・物流の要衝として繁栄した。
 ㈱大野銀行は明治29年(1896)に設立された東三河最初の民間銀行で、同本店は大正14年(1925)に設計・請負 志水正太郎(棟札に表示あり)により、現在地に建て替えられた。外壁と外廻りの柱は鉄筋コンクリート造で、床と屋根を木造とした混構造の2階建。建物の隅切り部分の曲面とメダリオンのついた玄関が特徴的で、JR三河大野駅前通りのランドマーク的存在となっている。内部は、営業室の古典様式の3本の木造の円柱や、素朴な木造階段が美しい。
 同本店は、戦後、東海銀行三河大野支店、東三河信用組合三河大野支店、豊川信用金庫三河大野支店と変遷して平成18年(2006)9月に同金庫鳳来支店三河大野出張所を最後に金融機関としての使命を終えた。その後、地元の遊彩書画家で㈱スエヒロ産業取締役社長 安形憲二氏が土地と建物を購入し、社会貢献事業として再利用するために修理修復と改装工事を行い、平成19年(2007)10月に「大野宿 美術珈琲 鳳来館」として開館した。銀行時代の1階の営業室は喫茶・レストラン、金庫室は展示庫に、事務室だった2階は多目的ホールに改装され、地域の文化拠点として活用されている。
 本館西側にある土蔵は、明治中期に初代本館と同時に建築されたと考えられ、銀行の重要書類を保管していたようであるが、現在はギャラリー蔵として利用されている。旧大野銀行本店は、本館と土蔵合わせて平成21年(2009)1月に(国)登録有形文化財〔建造物〕として登録された。

所在地:愛知県新城市大野字上野17-2
所有者:㈱スエヒロ産業
     ( 生コンクリート製造・販売、二次製品販売)
登録番号:本館/23-0311 土蔵/23-0312
登録有形文化財 小栗家住宅 藤田淑子/名古屋文化短期大学
西側正面東側から見る 東側から見る 所在地:愛知県碧南市錦町一丁目7番地
■紹介者コメント
 「小栗家住宅」は寄棟造り桟瓦葺の総2階建て居宅と店舗部分を含む(旧萬三商店)主屋、渡り廊下、茶室、書院、辰巳蔵、北座敷、離れ、北門の8件が文化財に登録されており、文献によれば、「主要な建物は当時のまま、それは詳細な家相図が残されていることからもわかる」とある。2006年4月から半田市観光協会が東道路側の旧店舗を借りて「蔵のまち観光案内所」を開設、半田を訪れる観光客の道標となっている。
 この辺りは半田を代表する商家が建ち並んでいたと『半田市誌』にあるが、この建物は1867年から1870年にかけて10代主小栗三郎兵衛が建てた延べ約210坪にも及ぶ木造和風建築で、140年もの長い間には、濃尾大地震、関東大地震、東南海大地震、伊勢湾台風など幾多の災害に見舞われた由である。
 ご家族のお話によれば、古来の茶道と異なり広く自由な気分で嗜まれた煎茶は、半田の商家の旦那衆にとっても親しみやく、盛んであったとのこと。「この建物をつくるにも各地を旅し、気に入ったデザインを取り入れたようです」とおっしゃるように、煎茶席の天井や透かし窓に中国風の装飾を見ることができる。
 各部屋の建具は大きく、無双窓が入った障子や庭を眺める工夫は至るところで展開し、自由で闊達なデザインは驚くばかりであった。名古屋工業大学の麓和善教授の絵はがき(非売品)にもあるが、吟味して集めたと思われる建物の資材は各所に見られ、10m以上も続く継ぎ目のない杉材の渡り廊下、意匠を凝らした欅の大梁など、それらを見事に使って建てた職人達の技の結集が、幾多の災害にもめげず、びくともせず今日に至っている所以であろう。
 大和絵の展覧会や煎茶会を開くなど、今日でも折に触れて公開し、維持管理に努めておられるご家族の姿には深い感銘を覚えた。


所在地:愛知県半田市中村町1-18
登録番号:23-0122 ~0129(2004.3.2)
参考資料:『半田市誌』文化財篇(1977)
     『日本の家2』講談社(2004)