保存情報 第103回
登録有形文化財 旧黄柳橋(つげばし) 福田一豊/福田建築事務所
川原からみた旧黄柳橋 橋のディテール 並行する新旧2本の橋
 新城市内の国道151号線から浜松方面に向かう257号線に入り、橋(鳳来大橋)を一つ越え最初の交差点(乗本)を右折した黄柳川の上に並行して2本の橋が架かっている。下流側が平成6年(1994)に建設された3代目の橋で、その上流側(南側)に2代目の旧黄柳橋が登録有形文化財として残されており、現在も歩道橋として使用されている。
 黄柳川、すぐ下流で合流する宇連川などは江戸時代から明治にかけて奥三河と吉田(豊橋)を結ぶ河川交通の中心として栄えたことが橋のたもとにある鵜飼船の碑でも分かる。この地に明治24年(1891)に木造の橋が架設され、その後大正7年(1918)に2代目として鉄筋コンクリート製オープンアーチ橋に架け替えられた。この橋のアーチ長さ30.3mは建設当時全国1位の長さを誇り、大正時代を代表する鉄筋コンクリート橋であった。長さ50mを超える橋を架けるため路面とアーチ環が離れており、その間を高い柱(4.4m~8.2m)で床桁部分を支える構造となっている。柱の中央には1 ~2本の横梁を入れ、4本柱と井桁状に組まれた日本古来の木造の木組みを思わせる形が、この橋のデザイン的特徴となっている。アーチ環の力強さとは対照的に柱の繊細な感じが微妙なバランスを保ち、深い渓谷美と調和して想像していた以上に美しい景観を作り出している。
 車で通ると橋の形状やこの川の美しい渓谷を見ることはほとんどできないので、歩いて橋を渡り、橋の東側にある2本の橋の間に設けられた急な階段で川原に降りると、美しい渓谷と、この橋の勇壮な姿を充分に楽しむことができます。
※注 オープンアーチ橋・・・アーチと路面の間に空間がある橋

所在地:新城市乗本地内 
アクセス:JR飯田線本長條駅徒歩7分 
建設年代:大正7年(1918) 
構造・形式:鉄筋コンクリートオープンアーチ橋 
規模:アーチ型長さ30.3m・橋長 51.2m・幅3.6m 
設計者:愛知県技師=舘喜八郎、吉田仙之丞、和田清三郎 
登録番号:23 ー0012 平成10年(1998)9月2日 
参考資料:『東三河の歴史』『図説東三河の歴史』『愛知県の歴史散歩』『三河の街道と宿場』
データ発掘(お気に入りの歴史的環境調査) 旧大浜警察署(大浜下区民館) 本田伸太郎/本田建築設計事務所
西側正面東側から見る 東側から見る 所在地:愛知県碧南市錦町一丁目7番地
■発掘者のコメント
 碧南の大浜堀川の、湊橋南岸に位置する旧大浜警察署は、大正13年(1924)に建設されました。もと安城警察署大浜分署の木造庁舎の老朽化に伴い、大浜町の寄付により、当時まだ珍しかった鉄筋コンクリート造に建て替えられたものです。大浜地区は、江戸時代から港町として栄え、みそや醤油、みりんなどの蔵や由緒ある寺が並ぶ街です。鉄筋コンクリート造の採用は、大正7年(1918)の米騒動や、大正12年(1923)の関東大震災を契機に、治安を守る上で最適であると考えられたからです。
 外観の様式は、当時流行した直線的な幾何学模様で特色のある、セセッション様式を部分的に取り入れています。正面向かって右手にいかめしい八角形の塔屋がそびえており、治安上周辺を見渡したり、衣浦水道を出入りする漁の船などを監視したものと思われます。現在でも敷地の北西部には、漁に出る船のための気圧計「バロメートル」を埋め込んだ石柱が立っています。残念ながら中へは入れませんでしたが、塔へ続く木造のらせん階段には、美しい文様が施されているようです。登りきっての3階部分「汐見台」は周りすべてがガラス窓となっており、周囲が見渡せます。設計者は当時刈谷を中心に活躍した、大中肇と思われます。大中肇は刈谷の亀城小学校、現在の「刈谷市郷土資料館」も設計しており、柱と外壁をRCのラーメン構造にして、水平力を負担させ、床と屋根は木造にしたのと同じ手法を用いています。ただ、大浜警察署のほうが4年ほど早いようです。いずれにしても小さいながらも、バランスがとれ、趣もあり、威厳も感じさせられるすばらしい建物です。