7代先の子孫と生きる5

伝え合うということ

広田 奈津子
ひろた・なつこ|
1979年愛知県
生まれ。アメリカ大陸やアジアなど、自然と共生する民族に知恵を学び、音楽交流や映画制作を行う。海外の自然破壊の多くに日本の経済活動が関わっていることを知り、2006年ブログミーツカンパニーを立上げ。企業向けのエコ提案を募り、賛同署名とともに企業へ届け、実現すれば買い支える活動として展開。茨城県の納豆会社が石油系パッケージを間伐材に変えるなど提案が実現された。COP10なごや生物多様性アドバイザー。2009年旧暦にそって行事を行う「こよみあそび」プロジェクトをスタート。ドキュメンタリー映画「CANTA! TIMOR」を監督、2010年公開予定。
死刑ディスカッション
 15歳の頃、イギリスの学校の、なぜか9割以上がイタリア人のクラスに短期間通ったことがありました。忘れもしない初授業は、死刑制度について反対と賛成に分かれての議論。先生は、「あなたのお母さんを殺した犯人がいたとする。彼を死刑にすべきか、自由に意見を述べて」と私を指名しました。多くのイタリアの子らにとって、生身の日本人は初めて見るエイリアンのようなもの。クラス中から穴が開くほど見つめられ、小さくなってうつむいてしまった私を見かねたのか、隣の女の子が立ち上がり「殺した理由が問題なのよ!」と発言、圧倒される私を残し、クラス中がそのまま激しい議論に突入、正解が出ないまま授業は終了しました。行儀よく並んで、先生が知っている正解を当てるのが勉強だと思い込んでいた私にとって、衝撃的な経験でした。
 数週間もするとクラスメートとも仲良くなり、私は英語よりもむしろイタリアの、それも品の悪い言葉をたくさん覚え、帰国後もお互い行き来するような仲になりました。彼らの出身は地中海に浮かぶシチリア島。1995年頃、まだリラが通貨で大型店も少なく、市場は売り子の歌声が響いて活気がありました。夕食の席では死刑制度の授業さながら、激しい議論がしょっちゅう展開されました。私は同じ席にいながらも、議論とケンカの見分けもつかずハラハラしたり、大声でまくし立てられる理解不能なシチリア弁をただ音楽のように聞いたり、激しい議論のあと人目もはばからずキスをして愛を確かめ合う夫婦のあり方に目を丸くしたりして楽しんでいました。
ダイヤモンドと女の選択
 98年頃の滞在中、友人のお母さんと恋愛の話題になりました。シチリア島は歴史的に混血が多いからか、ドキッとするような美女が多く、彼女も深く澄んだ緑色の目をした大変美しい人でした。私は彼女の結婚写真を見せてもらいウットリしながら、「いつか私もダイヤモンドの婚約指輪をこの指に」などと間抜けな発言をすると、なんと彼女は「ダイヤはお断りよ」ときっぱり。理由を聞くと、「ダイヤモンドはアフリカから、血に汚れて運ばれる。だから身につけない」とのことでした。
 巨大な企業が資源と経済を支配し、アフリカの国々の政府は腐敗して、住民は恐怖政治に怯えながら奴隷のように働かされる。そうしたものを高いお金で買う消費者がいる。だから戦争は終わらない。美しくいたければ、背景まで美しいものを身につけなさい、と教えてくれたのです。
 そうして彼女を見ると、上質なものを何十年も大切に使っていて、シンプルだけど自信に満ちた姿は凛として美しいのでした。
 彼女のような消費者が増えたことで、不買運動を恐れたダイヤモンド業界は石の認証制度に乗り出し、2002年に制定されました。制度の信頼性についての議論はさておき、巨大な経済界をも動かそうとする女性らの意思に、私は驚きました。
 そうした意思表示はダイヤモンドだけでなく、コーヒーや砂糖、綿花、タンタルなど、様々な業界に影響を与えています。家庭や学校に始まり、恋愛、職場、何においてもしっかりと意思表示をして議論を尽くす気風が、社会全体に表れているように感じます。
お金は海をこえて
 2002年、東ティモールで、Mさんという男性に出会いました。彼は西パプアから亡命中で、幅広のだんご鼻と、屈託のない笑顔、握手もハグも温かい、優しい空気をまとった人でした。その雰囲気から、危険な亡命の経緯をまるで想像できずにいた私は、故郷の音楽について質問したそのままの軽いノリで、亡命の理由を尋ねました。そんな日本人をどう思ったでしょうか、彼は笑顔さえ交えて穏やかに、村人の命を支えてきた森林が開発業者によって消されたこと、それに異を唱える村人を国軍が殺していること、Mさんも家族を失ったことを話してくれました。
 帰国後、知人や書籍から、Mさんの森の消失にも日本の経済活動が大いに関わっていることを知りました。パプアでは金や銅、木材などがとれます。資源とお金と軍事。世界中の破壊に共通するからくりです。
 西パプア住民は、国軍の撤退を何十年もかけて訴えていますが、Mさんの話は、市民による政治変革がいかに困難に満ち、多大な時間と労力を必要とするかを伝えてくれました。唯一の解決法は、そうしたビジネスで運ばれる商品を買う一人一人が、選択を改めることしかありません。しかも日本は、木材や食糧から鉱物、ダイヤモンド、石油に至るまで世界トップクラスの輸入大国。あの日のMさんの曰くありげな瞳は、「君は何を選んでいるかい、それこそが大事なんだ」と伝えたかったのだ、と急に合点がいってしまった私は、勢い余って、いつも商品を購入していた製紙会社に「社長と話したい」と電話し、「社長には繋げませんが、お話を伺います」と言う電話口のお姉さんに、Mさんという人に会ったこと、外材でなく国産材の商品を売ってほしいことを伝えました。しかし、「貴重なご意見、まことにありがとうございました」との丁寧な一言で会話は終了、私には空しさだけが残りました。でも落ち着いて考えてみると、商売にならなくては企業も動きようがないのは当然のこと。それでは、もしこれが一人でなく100人の意見だったら…と考え始めました。
表現しあう食卓 美しいシチリア島
ブログミーツカンパニー
 そのとき思い出したのが、2003年頃友人から聞いた「ブログ作者訴えられる」というニュースでした。アメリカでのことです。人気のブログ作者が取り上げる商品は売れる、ということで、企業がお金で記事を書かせていたことが分かり、問題になったというものでした。大企業のCMでなく、小さなブロガーの記事が市場を動かす時代が来たなんて、と面白く感じていたのです。
 日本ではイタリアのように、主婦らが街へ出てダイヤモンド不買デモをするとは考えられない・・・でも、ブログや口コミでいいものを広げるムーヴメントなら起きるかもしれません。
 そこで、インターネット上にサイトを立ち上げ、企業へ伝えたいエコロジカルなアイディアを募ることにしました。集まったアイディアのうち、気に入ったものをクリックすると票が入れられ、100票集まったものから企業へ届ける、そして企業がアイディアを実現すれば、投票した賛成者に「実現しました。ブログや口コミで企業の応援をしましょう」と連絡することで、企業のメリットにも繋げようという考えです。「ブログミーツカンパニー」と名づけ、2006年2月、友人や姉とともに立ち上げました。
 これまで、「納豆のゴミを減らしたい」という提案に対し、経木で包んだ納豆の発売(茨城県・菊水食品の「頑固一徹」)や、「割り箸変えたらすごい」という提案に愛知の飲食店グループ「娘娘」がこたえて塗り箸を導入するなど、企業の温かい反応がありました。
 無責任な「お客さん」ならではの自由な発想で集まったアイディアは、「隣の家を照らす鏡付き住宅」「時間経過でインクが消える印刷物」など、形にするには大変なものが多いのですが、ただ受身で商品を買うときにはない、発想する楽しさを感じるようになりました。
 活動はまだ始まったばかりで思うようには行きませんが、企業の方との会話や新しい発見を楽しみながら仲間と試行錯誤を続けています。


ブログミーツカンパニーのサイト トップ画面(http://www.blog-meets.com/)
新しいコミュニケーション
 ここ数年、客の空想を商品化する無印良品の「空想無印」や、議員に質問をして回答を公表する「エコ議員つうしんぼ」、実現のためのお金を集めて企業へ差出し消費者の意思を伝える「キャロットモブ」、エースコックによるミクシイ上「カップめん開発オーディション」など、新しいコミュニケーションの方法がどんどん生まれています。
 垣根を越えて人が繋がり、知恵をしぼる頭が多様になれば、面白い発明がきっと待っているはず。そして新しいアイディアが世界のシステムをより良く変えていって、いつかは海の向こうのMさんとも本当の友達になれる日が来るように、と願っています