かわづくり×まちづくり
           第2回
木曽流域市民放送局

秀島 栄三
(名古屋工業大学大学院工学研究科准教授)
ひでしま・えいぞう|
1992年京都大学助手
1996年博士(工学)
1998年名古屋工業大学講師
2000年JICA 長期専門家を経て現在に至る。
専門は土木計画学。
著書に『土木と景観−風景のためのデザインとマネジメント』(学芸出版社)、『環境計画―政策・制度・マネジメント』(共立出版)など。
国土交通省中部地方整備局入札監視委員会委員、愛知県尾張地域水循環再生協議会座長、名古屋市行政評価委員会委員、㈶名古屋都市センター企画委員などを務める。
流域という空間
 建築物や都市空間には、人間の身体規模に合ったサイズというものがある1)。「流域圏」もそういうものかもしれない。われわれの生活の営みは流域に立脚あるいは関係していることが多い。環境問題、とりわけ水循環の問題は、水を湛える森から海までを河川がつなぐ「流域」を単位として考えるのが適当である。生態系も流域に強く影響を受ける。それがわれわれの食文化、生活文化にも影響する。この地域でいえば尾張藩は木曽川と切っても切れない関係にあった2)。
 しかしながら現代生活では河川と人間および社会の関係は希薄になってしまった。様々な交通体系が流域圏を超えるべく整備され、文化面などにみる流域圏の固有性は失われていった。川も交通体系の一部分だったが、そのような機能は今ではほとんどない。木を使うことが少なくなったことも一因かもしれない。中部圏が第2次産業によって大きく発展したのはいいことだが、産出地を謳う製品は意外と少ない。日本製品が「安かろう悪かろう」と言われた時代にそういった匿名性が高じたのではないかと推測する。そして流域に対する人々の認識は低下していった。
 流域は、二つの分水嶺によって挟まれる地帯として明確に特定できる。20 ~30年も以前から道州制の実現に向けた動きがあるが、道州間の境界線はいつも議論になる。しばしば県境がそうなっているように流域界を道州の境界線に反映させてはどうかと思う。
木曽流域市民放送局
 昨年10月「木曽流域市民放送局」(*1)がスタートした。ボランティアベースでインターネットを使って流域の様々な情報を配信する仕組みとして、「平成21年度地方の元気再生事業」に採択された。単に番組を放送(*2)するだけでなく、イベントを開催(交流)、流域の産品を販売する店舗を設置(物販)、そして流域に学び、かつ新たな流域社会を考える(流域塾)、これら三つの側面から流域圏の地域活性化を促進する。「交流、物販、流域塾」は、地域の成立要件として言われる「人・もの・情報(知識)の移動」に対応している。将来的には持続可能な仕組みとして、もう一つの要件「カネ」の成立も目指す。以下、交流、物販、流域塾それぞれについて解説する。
 本事業の一つの背景には、名古屋市の水道が木曽川の水を水源としてきたことがある。名古屋市上下水道局では以前から上下流交流を積極的に進めてきた。下流が上流の水源の恩恵を一方的に受けてきたという事実がある。愛知県で「あいち森と緑づくり税」を始めたのにも同様の考え方が背景にある。木曽流域市民放送局に話を戻すと、この取り組みは、市民による手づくり感もその特色といえるが、上下流交流を背景に官民協働の動きにもなっている。
 「物販」はまさに流域の「地産地消」を促す。道の駅などで地産地消を謳い、昼までに完売するといった話はよく聞かれる。形が悪くとも、虫がついていようとも、生産地の匿名性がないものを人々は選んでいる。さて地産地消の産地はどこまで含めてよいのだろうか? 流域界は一つのラインと考えられる。
 上下流で意見を交わし、知恵を交え、地域の活力を生み出す、それが「流域塾」だと定義している。個人的見解だが、流域塾を繰り返し開催することで、新たに提供された情報を積み上げ、より高度な知識に作り直していくことが大事である。
 単発で開催されるシンポジウムではなかなか知識が積み上げられない。参加自由の場合、関心がある聴衆だけが来ていることになる。かといって動員をかけると関係分野の聴衆ばかりになる。素人が登壇して話が深まらないこともある。専門的すぎるとついていけない。時間が短いと事実関係を披露するだけでおしまいになる。かといって長ければいいというものでもない。
 議論の成果を本気で社会に、政策形成に生かそうとするならば連続性を持たせ、深めていくべきである。かつ関心層が少しずつでも広まっていけば理想的である。前回も触れたが「かわ」(社会基盤)や「まち」(地域)は普通に存在して当たり前、なかなか深く関心を持ってもらえない宿命にある。当たり前に存在する自然環境、それに加え、社会の繋がり(ソーシャルキャピタル)もまた損なわれつつあることへの危機感をどうしたら拭い去ることができるだろうか。流域市民放送局あるいは流域塾でその答えを導き出したい。


図1 木曽流域図
インターネットの功罪
 まちづくり、かわづくりの機運が高まり、「さぁホームページを立ち上げよう!」という展開になることはよくある。しかし掲示板を持とうものならば“荒らし”に見舞われる。更新作業が予想外に面倒でやがて息切れする。見続けてくれる人も少ない。かくして費用と手間がかかる割に効果は低い。結果的に過大な投資となり、そして放置されていく。
 木曽流域市民放送局にとってもインターネット技術は不可欠である。市民記者が携帯電話で録画したものをメールで放送局に送ってもらう。定期放送をストリーミング方式で、イベントを実況放送で配信する。ホームページでも様々な情報提供を行っている。本当の放送と大きく違う点、かつすぐれた点は、ホームページに過去に放映したものを蓄積できることだと思う。視聴者(閲覧者)は過去の放送も容易に見ることができるから、話題の背景、経緯もよく分かる。他方、本当のテレビ放送に倣っている面も多い。クリックなどせず流れている放送を見る方が視聴者にとって楽である。テレビ放送も数十年をかけて試行を繰り返した結果として現在があると言える。
写真1 木曽流域市民放送局トップページ 写真2 木曽川の源流 木祖村・水木沢
写真3 地産地消−流域メッセ木曽ICHIBA にて 写真4 名古屋市上下水道局「名水」
かわづくり、まちづくりに向けて
 なぜ木曽川か?と言われると弱い。木曽三川流域でもよかったかもしれない。伊勢湾流域(*3)という言葉もある。いずれにせよ流域のあらゆる活動の基盤として流域放送局が活用されること、様々な「かわづくり」「まちづくり」に応用されることを願う。
 近い試みとしてDoChubu(*4)も紹介しておきたい。こちらはGIS(地理情報システム)を基盤として流域内の個々の利用者(閲覧者)の行動に繋がるような形で様々な情報を提供していこうとしている。その広がりの可能性に期待している。
 まちづくり、かわづくりがインターネットだけでうまくいくはずはない。逆にこの技術を活用しない手はない。ただ、まだ過渡期、試行期だといえるだろう。今回紹介した木曽流域市民放送局も現在進行中で、ご覧いただいた皆様にはぜひご意見をいただきたい。何ごとも「積み上げ」が大事だと思うので。
補注
※1: URL: http://www.kiso-ryuikinet.jp/
※2: インターネットなので厳密には「放送」ではなく「通信」の扱いとなる
※3: 曖昧さを伴う言葉だが伊勢湾に注ぐ全ての川の流域と解釈される
※4: URL: http://www.dochubu.com/
参考文献
1)戸沼幸市:人間尺度論、 彰国社、1978
2)杉本精宏:尾張藩社会と木曽川、2008