環流独歩

第6回

世界に開く寛容の街 ケルン

小室大輔
(一級建築士事務所エネクスレイン/enexrain 代表)
世界に開く街ケルン
 全6回の予定で寄稿させて頂いたこの連載も今号で最終回となった。これまでドイツの建築を中心に、いろいろな思いを自由に書き綴ってきたが、最後は2000年の歴史を持つケルンの最新の建築事例を紹介したい。
 ケルンは、ドイツの都市にもかかわらず、ドイツらしからぬ面がある。一般的にドイツの人は、笑顔が少なく、無愛想で、冗談も解せないといった先入観を持たれることが多いが、そんなことはケルンの人には全くあてはまらないどころか、「私たちは無頓着で世話要らず」と自称する。100万人という人口は、世界的な大都市とはいえないが、ケルンの人たちは、ロンドンやパリ、アムステルダム、ローマといった巨大観光都市に対抗するかのように、「この陽気で温かい心は世界に向かって開いている」と言ってはばからない。
 かつてケルンには、長い歴史の中で人々が築きあげてきた素晴らしい街並みがあった。それはドイツ自らが引き起こした大戦による空襲で、そのほとんどを失ってしまったが、ケルンには、ベルリン、ハンブルグ、ミュンヘンといった他のドイツの都市とはまた違った魅力がある。それは、絶え間なく流れ続けるライン川の交通の要衝として重要な役割を果たしながら、2000年の長きにわたる繁栄を謳歌してきた歴史がいまも息づいているからだろう。だからこそ、ケルン周辺に住む人たちが、ドイツの中でも特におおらかで、陽気な一面を持ち合わせているに違いない。
ライナウハーフェン港湾再開発

河川港の華やかな時代を担ったクレーンを彷彿とさせる形状を持つクランホイザー/ 残りの1棟は建設中
 今回紹介するライナウハーフェン/Rheinauhafen地区は、ライン川を利用した河川港の総称であり、ケルン大聖堂から南へ1㎞ほどのところに位置している。この地区は1898年に開港して以来、ケルンの発展に大きく寄与してきたが、河川交通の衰退や、戦後の高度経済成長の終焉とともに、さまざまな施設が次第に使われなくなり、数年前まで数多くの建物が廃墟のまま残されていた。この地区の再生については、1990年代の初頭から、ケルン市が中心となって数々の議論を重ねてきた。そして、河川港の歴史が刻まれた一部の建物については保存建築と認定したものの、具体的な方針が決まるまでは非常に多くの時間を要することになった。そして開港から120年を経たライナウハーフェンはいま、新たな職と住と文化の拠点として大きく生まれ変わろうとしている。
 再開発地区はライン側に沿って南北に2kmほどの長さがあるのに対し、東西の幅が最も広いところで200m程度しかなく、細長い敷地の総面積は約15.4haである。ここに建設される建物の総数は30近くになるが、保存建築と認められた歴史的建造物は約5 〜6棟に過ぎず、それ以外の多くは解体されたために、新築の割合が高くなっている。また、地区内の建築が適度な間隔を空けて配置されているのは、市街地との動線や視界を適度に確保するためである。建築用途は、事務所が全体の約45%を占め、約700戸が整備される住戸の割合が30%、残りの25%が文化施設に割り当てられており、最終的な総床面積は約235,000㎡である。再開発に先立ち、その地下には南北に1.5㎞に及ぶ駐車場が整備されている。
ライン川沿いの散策道とクランホイザー/再開発地区の南側から望む ライン川沿いに建設された集合住宅 1909年に欧州で最初に建てられたRC造の穀物倉庫を改修した集合住宅 床面と窓上部に換気用の開口部を持つ事務所棟
再開発内の建築群
 ライナウハーフェン地区で最も規模が大きく、また人目を引く建築が「クランホイザー」と呼ばれる3棟の高層建築であろう。これらはいずれも上階部分がライン川に向かって片持ち梁状に大きく張り出した形状をしている。この河川港には、長年にわたり貨物船からの荷揚を担っていたクレーンがいくつか保存されているが、その形状を彷彿とさせる高さ60mの大きなL字型の建築は、ライン川沿いの光景に新たな輪郭を深く刻み込んでいる。3棟のうち、最も北側に位置しているのが住居棟で、現在、工事が進められている。ここには60㎡から400㎡の広さを持つ分譲住宅が133戸配置される予定である。また中央と南側にある残りの2棟は事務所棟で、すでに工事を終えている。クランホイザーの間には、ライン川に沿って、低層の住居棟と事務所棟が3棟配置されており、その南側の最もライン川に近い眺望の良いところには、南北方向に4つの住居棟が連続して建ち並んでいる。これらの住居棟は、いずれも個性的な外観をしており、クランホイザーと併せて、ライン川沿いを散策する人たちの目を楽しませてくれる建築群である。
 前述した再開発地区内の保存建築は、現在は河川局や、あるいは女性の人権に関する情報の拠点として使われているが、その中でも最も規模の大きいのが、1909年に建てられた穀物倉庫である。これは鉄筋コンクリート造としては欧州での最初の事例で、1980年代に入って保存建築として認められたものの、その後は財政的な問題から、つい最近まで、廃墟同然のような状態で残されていた。しかし現在では138戸が入居する分譲住宅棟に改修され、全戸が完売している。またその南側には、巨大なサイロを事務所に改修した事例のほか、最南端地区には新築の事務所が2棟配置されている。地区内には、小規模の船舶を係留できる河川港があり、その西側には、レナーニアと呼ばれる穀物倉庫が世界各国の芸術家の拠点として生まれ変わった。またマイクロソフト社が入居する予定の建築は、M字型を模倣した独特の形状をしており、同じ西地区にはさらに宿泊施設と事務所棟の建設が進んでいる。
 幾多にも及ぶ議論を繰り返し、ようやく着工したライナウハーフェンの工事は現在、最終段階に入っており、2011年にはすべての工事を終える予定だが、すでにここには数多くの人が訪れており、2000年の歴史を持つケルンに新たな魅力と躍動感を与える地区に変貌している。
おわりに
 ゴシック建築の集大成ともいわれる大聖堂を一目見ようと、ケルンには多くの観光客がやって来る。ここに誕生したライナウハーフェンは、観光のための施設とは言い難いが、2000年の歴史を刻むケルンに、新たな息吹を吹き込む魅力ある地区が増えたことは間違いない。
 そしてもう一つ、忘れてはならないのが、ケルンの地ビールであるケルシュビアの存在である。この会報誌の性格上、これまで建築の話題から逸脱した内容は避けてきたが、200mℓの小さなグラスで粋に飲むケルシュを抜きに、この街は語れない。ケルンでケルシュを飲むことは、現在のケルンとその歴史を同時に感じることであり、ドイツ文化に触れることでもある。無頓着で世話要らずの人たちと一緒にケルシュを飲めば、誰もが世界に向けて心を開くことさえ可能になる。
 2002年に開通した、フランクフルトとアムステルダムを結ぶ南北方向の超高速新幹線と、整備が進むパリとベルリン間の東西鉄道網のちょうど中間に位置するケルンは、新しい時代の建築と生活の変化を巧みに享受しながら、人と文化の重要な交差点としてだけでなく、世界に開いた情報の発信基地として、ひときわ懐の大きな街へと変貌を続けて行くに違いない。
 最後になりますが、全6回にわたる環流独歩におつきあいを頂きましてありがとうございました。紙面をお借りして、皆様に厚く御礼申し上げます。        (了)
<参考文献/ 出典>
・ http://www.rheinauhafen-koeln.de
・ 小室大輔/ ドイツの新しい街づくりと低燃費社会の構築−環境共生住宅とそのまち− /ビオシティ− BIOCity/2009-no.43/2009年10月/pp.48-59
*写真はすべて筆者撮影
こむろ・だいすけ
1965 年、札幌生まれ。
1993 年、武蔵工業大学大学院建築学専攻、宿谷研究室にて修士課程修了。専門は建築環境学。
梓設計で設備設計に従事したのち1998年に渡独。
HHSプランナー(カッセル)、ガーターマン+ショッスィヒ(ケルン)を経て、
2007 年に建築士事務所を東京に開設。
著書として『パッシブ建築手法事典』(共著・2000 年・彰国社)がある。
www.enexrain.com