環流独歩

第5回

多世代継承建築と社会資産

小室大輔
(一級建築士事務所エネクスレイン/enexrain 代表)
土地の付帯構造物
 土地の値段が高い日本では、その効率的な有効利用と安定した資産活用という至上命題のもと、特に都市部において、建設と解体がこれまで幾度となく続けられてきた。その一方で、価値ある建築の保存に尽力し、改修や再利用の大切さを訴えてきた人たちの努力や活動が徐々に認知され、これまでのように建築を安易に解体するという流れは少しずつ変わろうとしているようにも感じられる。また、各方面で建築の長寿命化が取り沙汰されたり、長期優良住宅といった支援も増えてきているから、長く使える建築の価値が再認識され始めていると言って良いだろう。
 ところで、建物を建てるには土地が必要である。しかし不思議なことに、土地だけを持っていても何の役にも立たない。もちろん土地を担保としてお金を借りることはできるが、そのお金も何かに使わなければ意味がない。土地というのは、経済学の中で付加価値を生み出す生産要素と位置づけられている。その原初的な利用方法の一つが、農地として利用し、食料を生産することである。そしてもう一つの活用法は、土地の上に何かを建て、その建物を介して間接的に使うことだろう。
 では、建物を建てる場所を提供する土地と、土地を活用する建築のどちらの価値が高くあるべきなのだろうか。それは場所によっても異なるのはもちろんだが、多くの専門家が指摘しているように、日本では土地本位制が続いてきたために、長期的な視点に立った建築を求めることをせず、効率至上主義による一辺倒な判断によって解体と新規建設が継続されてきた。その傾向は地価の下落によって変化してきてはいるものの、特に大都市に建つ建築は相変わらず土地に付随するだけの構造物のように扱われている事例が、まだまだ多いのではないだろうか。
多様性と同質性の文化

木組みと鎧戸が瀟洒な連棟住居/所在地:ショルンドルフ
 ここで土地の話題から一旦離れ、旅の目的について考えてみたい。旅行といっても、どこに行くかは人それぞれだろう。避暑地や南国の島々での休暇が目的の人もいれば、大都市の躍動感や雄大な自然を体験したいという人も多いはずだ。では、中世の街並みが今も続くような欧州の街に、世界各国からの旅行客が大挙して押しかけるのはなぜだろう。その人たちの多くは、おそらく歴史ある街並に残された独特の雰囲気や、時代を超えた古い趣を感じたいと思っているはずだ。土地というものの上に建つ建築が何世代にもわたって受け継がれ、そして一つの文化をつくり上げてきたからこそ、それに触れてみたいと願うのである。
 それに対し、建築よりも土地の方が大切な社会では文化の創造や継承が行われることは極めて少ない。土地の価値だけを最優先するのであれば建築を長持ちさせる必要はないから、そこから文化が創造されることもないし、それが根付くこともない。文化の定義というのは幅広いが、その一つは同質性を継続させていく中から生じるものではないかと思う。建設と解体が繰り返される日本の現状も一つの文化だと指摘する方がいらっしゃるかもしれないが、少なくともそこには継続というものは存在しない。文化を生み出すことのない土地という不変的なものだけが継承されていく社会では、長期型の建築は不要である。だから日本の都市は皆同じように乱雑で多種多様な建物ばかりで構成されているのだろう。
 一方、欧州において、多様性ということばが当てはまるのは、人々の生き方ではないかと思う。互いの違いを認め合い、理解し尊重することが求められる社会なのだ。だから彼らの生き方は、日本の人に比べると多様であるように感じられる。もちろんそれは国によっても異なるだろうし、人口の多い都会と、それ以外の地域に住む人でも考え方は違ってくるだろう。あるいは世代によっても差があると思われるが、日本と欧州のいろいろな実情を比較してみると、欧州の社会には、人間の個性を認め合う「多様性」が存在しているように思う。それに対し、継続的に保たれていく建築形態や、公共性が求められる街並みについては「統一性」や「同質性」を意識し、それを重んじる場合が多い。日本の人が一般的に求める傾向というのは、大雑把に言って、「生活=同質性」、「建築=多様性」であり、欧州の人は「生活=多様性」、「建築=同質性」を追求するように感じられる。つまり、欧州と日本を「生活」と「建築」という二面で比較するとき、「多様性」と「同質性」が互いに入れ替わった図式があてはまる気がするのである。
西日に映える薄紅色の外壁を持つ石造建築/
所在地:フーズム
全面改修工事が行なわれた1920年代に竣工の
集合住宅/所在地:ケルン
木組みと煉瓦の白い外壁が美しい住居/所在
地:バート・ゴーデスベルク
1920年代に開発された住居地区に建つ三角屋
根の住宅/所在地:ケルン
B-PLAN と多世代継承建築
 ご存知の方も多いと思うが、ドイツの建築や街並みに統一感があるのは、「B-Plan/ベープラン」と呼ばれる地区詳細計画図が存在しているからである。この計画図は、必要に応じて作成されることもあれば、該当地区の現況を示す図面であることも多い。また個人の敷地であっても、その利用を細かに規定するもので、建築確認申請における許可基準としての拘束力を持っている。日本の都市計画などはこのB-Planを参考にしたといわれているが、いつの間にか、都合の良い部分だけが拡大解釈されて、違う方向へと大きく変化してきたように見える。その最も大きな違いは、日本の都市計画図には建築の現況がほとんど反映されていないことではないだろうか。
 B-Planに関する詳しい内容は参考文献に譲るが、1920年代にケルンの郊外に開発された90年近い歴史を持つ住居地区のB-Planにも、建築の制限に関する細かな情報が網羅されている。その一部を列記すると、まず建蔽率と容積率があり、ほかには、住宅と車庫の建設が許される範囲、建築可能な階数、あるいは必要階数、一つの敷地に建築可能な棟数、切妻や寄棟などの屋根の形状、棟の方向、車庫の位置などである。このB-Planによって、街並みを形づくるための極めて大切な形態的要素が厳しく制限されている。このような同質性を求める社会は急速な変化を伴わないため、閉塞的だととらえられがちだが、むしろ継続し続ける中から、不変的な価値がゆっくりと創造されていくのだろう。それは個人の住まいや建築であっても、長い年月を経て、社会的資産として認められることを意味する。
 ところで、改めて日本の実情を見ると、わずか30年で「土地付きの新築住宅」が「中古住宅付きの土地」になるという現実がある。多くの労力をつぎ込んで建てた住宅や建築を30年で解体するということは、極端な言い方をすれば、最後の10年間はごみの中に生活しているのと同じだ。にもかかわらず、多くの人が多額の借金をし、そして長期の返済が終わった頃には資産価値がないというのは、まさに大型の耐久消費財を購入しているのと何ら変わらない。長寿命建築が取り沙汰されているが、何百年も建ち続けることのできる建築が必要なのではなく、次の世代にしっかりと引き継いでもらえるような価値のある建築を創造していくことの方が大切ではないだろうか。筆者は、ドイツや欧州の事例が必ずしも優れているとは決して思っていないし、相続税にも多大な問題があると思うが、土地よりも建築の価値の方が高い社会が少しずつ日本にも構築されて、多世代に継承されるような社会的資産価値のある建築が数多く実現することを望みたい。
< 参考文献>
・ 水島信/ドイツ流街づくり読本-ドイツの都市計画から日本の街づくりへ/ 鹿島出版会/2006年7月
*写真はすべて筆者撮影
こむろ・だいすけ
1965 年、札幌生まれ。
1993 年、武蔵工業大学大学院建築学専攻、宿谷研究室にて修士課程修了。専門は建築環境学。
梓設計で設備設計に従事したのち1998年に渡独。
HHSプランナー(カッセル)、ガーターマン+ショッスィヒ(ケルン)を経て、
2007 年に建築士事務所を東京に開設。
著書として『パッシブ建築手法事典』(共著・2000 年・彰国社)がある。
www.enexrain.com