保存情報第97回
登録文化財 中山道鵜沼宿町屋館(旧武藤家住宅) 澤村喜久夫/伊藤建築設計事務所
主屋正面 附属屋正面(手前は板塀) 主屋2階内部
■紹介者コメント
 江戸時代の宿場の面影を残す旧鵜沼宿のほぼ中央に位置し、平成18年(2006)、各務原市が武藤家から建物の寄付を受け、修復工事を経て、平成20年(2008)5月より「中山道鵜沼宿町屋館」として一般公開されている。
 武藤家は江戸時代には「絹屋」の屋号で旅籠を営み、明治16年(1883)より「鵜沼駅三等郵便局」を経営するようになった。濃尾震災(明治24年)により倒壊し、明治末期の再建後もこの地で郵便局を営み、昭和39年(1964)まで開局していた。
 元治元年(1864)鵜沼宿家並絵図によれば、旅籠当時の建物は間口6間(間取り図では6間半)、奥行11間、総坪数192坪半と記され、街道側の主屋とその奥の座敷棟が中庭と渡り廊下で繋がり、背後には2棟の土蔵が建てられていた。
 再建された主屋は間口6間半、奥行6間半となっているが、背面の下屋として設けた寝間と廊下を除けば旅籠当時の主屋と同じ平面型になることから、仏間を設けるなど間取りの一部を変えているものの、旧主屋の部材を利用して建て直したと考えられる。屋根型式は旧主屋では同宿旅籠遺構梅田家住宅と同様な切妻造であったと思われるが、再建時に入母屋造の重厚な外観に整えたのであろう。
 敷地内には、主屋のほかに中庭を囲むように附属屋と離れの2棟がある。東の養蚕小屋として使われていた附属屋は厨子2階建で、昭和初期の建築とされている。離れは昭和初期に旧太田宿から移築されたと伝えられ、式台玄関と二つの座敷を持つ格式のある建家である。


所在地:岐阜県各務原市鵜沼西町1-116-3
登録番号:21-0135(主屋)、21-0136(附属屋)、
     21-0137(離れ)
指  定:各務原市景観重要建造物
     (第0010 ~0012号)
参考資料:中山道鵜沼宿町屋館案内
データ発掘(お気に入りの歴史的環境調査) 神明社(福島町) 林 廣伸/林廣伸建築事務所
常夜燈一「文化四年」 常夜燈二「寛政六年」 常夜燈三「元禄四年」
■発掘者のコメント
 我が家は田園風景の拡がる濃尾平野のド真ん中に位置し、文化財マップとしては、国府宮神社(尾張大国霊神社)、津島神社、甚目寺観音からほぼ等距離にある。住所は稲沢市福島町で、両隣は附島町と野崎町、以前の郡名は中島(嶋)郡である。いずれの地名も『尾張国郷帳』(1646)に記されていて、村落の成立は江戸期以前に遡る。これらの地名に見られるように、周辺には島、須、崎など水に関わる地名が多い。もう少し広域に見ても、濃尾平野一体では、長島、蟹江、津島、沖ノ島、枇杷島、清須など枚挙に暇がない。かつては木曽川が暴れ川で、時々にその川筋を変え、微高地が島状となっていたことに由来すると推測される。
 この平野では集落が散在し、各集落には「鎮守の森」があり、中・近世の原風景がそこかしこに見受けられる。我が町にも郷内に神明社を祀る。というより「村のお宮さん」といった方がしっくりするかもしれない、普通に見られるありきたりの神社だが、二の鳥居脇に建つ常夜燈は、小振りながら伸びやかな感を、私は受ける。残念ながら一基だけだが、近づいて東面を見ると、「文化四年」(1807)と刻まれている。さらに、本殿脇の摂社前には三基の常夜燈が建つ。一対の常夜燈では「寛政六年甲寅正月」(1794)の陰刻が見られ、もう一基には「元禄四辛未歳二月九日」(1691)とある。
 身近な、ありふれた風景のなかにも、確実に歴史は刻まれている。


所在地:稲沢市福島町 
見学自由、できれば御賽銭を少々