環流独歩

第4回

バルコニー進化論と食文化
小室大輔
(一級建築士事務所エネクスレイン/enexrain 代表)
バルコニーを求めて
 ドイツと日本における集合住宅の違いの一つは、各住戸への動線であろう。ドイツでは、日本の公営住宅に見られるような階段室型が圧倒的に多いが、日本では、超高層などの特殊な事例を除くと、ほとんどが廊下型だといえる。そして、もう一つの大きな相違点は、バルコニーの形態ではないだろうか。ドイツの最近の集合住宅には、外壁面から外に大きく張り出した開放的なバルコニーが設けられていることが多く、外側に鉄骨を組んだ事例も少なくない。逆に日本では、外側に張り出すというよりも、むしろ躯体と一体化した奥行きの浅いものが大半を占めているように思う。この外部空間はベランダとかバルコニーと呼ばれているが、ここではあえて外壁面から大きく張り出したものをバルコニー、そうでないものをベランダと使い分けることにする。
 さて、ドイツの集合住宅の変遷をみると、1920年から30年代に建てられた集合住宅には、すでに小さなベランダが設けられていた。その面積は時代とともに次第に大きくなって来たが、1970年代くらいまでは現在の日本の集合住宅に見られるような、外壁の内側に配置された事例が多かった。それが大きく変化したのは1980年以降であろう。外側に張り出したバルコニーを持つ集合住宅が徐々に現れ始め、改修にともないバルコニーを新たに設ける事例も増えてきた。もちろん日本でもベランダのない集合住宅など有り得ないけれど、ドイツでは大きくて開放的なバルコニーのある住居の人気はとても高く、家探しの際の極めて重要な条件の一つになっている。
 彼らがそれほどまでにバルコニーを切望する理由は、自宅にいながらにして太陽を浴びたいという願望が根底にあるからだろう。窓を開けて一歩を踏み出すだけで気軽に外の風を感じたり、陽射しを享受できることは、季節を問わず散歩に出かけるのが大好きなドイツ人にとって、大切な生活の一部なのである。もちろんこれはドイツの人に限ったことではないけれども、日暮れの遅い夏の夜に穏やかな風に吹かれながら、本を読んだり手紙を書いたり、友人や家族との会話を楽しむことのできるバルコニーの存在は極めて大きい。ビールやワインを片手に優雅に食事をしている姿は、見ているこちらの気持ちまでゆったりとした気分にさせてくれる。
日本のベランダ

派手な日傘が映える1920年代に建設された集合住宅の小さなベランダ/ 設計:ヴィルヘルム・リプハーン/ 竣工:1924年/ 所在地:ケルン
 もちろん日本でも戸建や集合住宅に限らず、ベランダのある家では植木鉢をいくつも並べたり、小さな家庭菜園を楽しんだりしている人も多いはずだ。その一方で、私はこれまでベランダで食事を楽しむ風景というものを日本で見かけたことはほとんどないように思う。もちろん、どこかの家の庭先で食事を交えて歓談するという風景はそれほど珍しくはないだろうし、毎年恒例の花火大会が見られるような恵まれた場所にある集合住宅に住む方なら、そんな機会も年に数回ほどあるかもしれない。しかし、ベランダで普通に食事を楽しむ姿というのは、周囲からは見えにくいことを考慮したとしても、頻繁に目にすることは極めて少ないのではないだろうか。
 よく指摘されるように、その大きな要因の一つがベランダの奥行きの深さによる建築面積への算入の問題であろう。この中途半端な線引きによって、浅くて使い勝手の悪いベランダだけが増え続けてきた。そこは布団や洗濯物の干し場であり、エアコンの室外機置き場であり、行き場を失った荷物の仮置き場であり、あるいは喫煙が許される唯一の場としての機能しか持ち合わせいな事例が多いのではないだろうか。もちろん緊急時の避難通路としての役割も重要だが、隣家との仕切りも微妙に落ち着かない距離感と雰囲気を生じさせる原因になっている。そう考えると、日本のベランダは生活を潤すために活用されているとは言い難いように思う。
食文化の相違とバルコニー
 ところで私自身、バルコニーのある部屋での生活を始めたから気づいたことがある。日本の人がベランダで食事をしている姿がほとんど見られない理由は、その十分とはいえない大きさや、何となく閉塞的なつくりになっていることだけが関係しているのではなく、むしろ日本食の方にも原因があるかもしれない、ということである。前菜や酒の肴、あるいはお寿司など、冷たいまま食べる料理は別として、ほとんどの日本食は温かいものが中心に構成されている。特に和食というのは、朝食でも夕食でも手間のかかる献立が多いし、必要となる皿の数も少なくない。しかも、つくりたてを冷めないうちに早く食べるということも多いから、もし仮に素敵なベランダがあったとしても、そこでゆっくりと日本食を楽しむということには、なかなか結びつかないのかもしれない。
 一方、ドイツの例を挙げると、主食であるパンは買ってきたのを切るだけで済む。朝食に必要なのは、バター、チーズ、ハム、サラミ、オリーブ、ジャム、ヨーグルトだろうか。あとは簡単な生野菜と果物があればもう立派な食事だ。そのほとんどが冷蔵庫からそのまま出せば良いものばかりである。温かいものといえば珈琲か紅茶、あるいはスープくらいだろう。また家庭によっては、夕食も朝食とほぼ同様ということも十分に有り得る。食事の用意に手間などかからないから、天気が良い週末は、まずはバルコニーでゆっくり朝食を取りながら、新聞を読んだり、会話を楽しむという図式ができ上がる。もちろん夕食に温かい料理をつくることもあるが、大抵の場合、大皿の一品料理であることが多いから、バルコニーまで食事を運ぶにしても、それほど面倒ではないだろう。
戦前に建てられた集合住宅の洗練された大きなベランダ/ 設計:ヴィルヘルム・リプハーン/ 竣工:1939年/ 所在地:ケルン 数年前に断熱改修された鮮やかな色彩を放つ集合住宅に色とりどりの花が飾られたベランダ/設計:不明/竣工:1970年代/所在地:ケルン 通りに張り出した大きなバルコニーを持つ集合住宅/ 設計:不明/ 竣工:1980年代/ 所在地:ケルン 開放的なバルコニーと太陽電池を外周部に組み込んだ集合住宅/ 竣工:2003年/ 設計:プラン-R/ 所在地:ハンブルク
バルコニー進化論
 ではバルコニーとの相性が良いのは、和食ではなく洋食ということになるのだろうか。確かにそういった一面があることは否めないかもしれない。しかし、世界に誇れる日本食が、バルコニーの持つ機能とうまく融合し得ないと簡単に決めつけることには賛成しがたい。相性の問題を日本の素晴らしい食文化の方に転嫁したくないという個人的な強い思い入れの矛先は、むしろ日本のベランダが、これまでほとんど進化してこなかったことの方へ転じられるべきであろう。部屋探しのときに、バルコニーの有無で躍起になるドイツ人ほどこだわらなくても良いとは思うが、ベランダはどうあるべきかという、その存在意義や価値について、これまで真剣に問われてきたことは、日本ではほとんどなかったのではないだろうか。
 その一方で、「日本食が楽しめる素晴らしいバルコニーの実現を!」と声高に叫んでも、賛同してくれる人は少ないに違いない。住まいには、バルコニーよりも大切なものが他にもたくさんあるし、暑い夏や寒い冬に、わざわざバルコニーで食事をする必要などないと考える人が大多数のはずだ。しかし、蒸し暑さや寒さを多少感じたとしても、室内から一歩を踏み出して、季節の移ろいを感じながらゆったりとした時間を過ごしたくなるような、そんなバルコニーが少しは増えて来ても良いのではないだろうか。多様に進化してきた日本食と同じように、日本のベランダだって大きな変化を遂げるべきである。それはきっと普段の生活に新たな潤いをもたらし、何にも変えがたい贅沢な時間を演出してくれるに違いない。世界に誇る日本食の奥深さと繊細さを存分に演出してくれる素敵なバルコニーが、いつか日本にもたくさん現れることを願ってやまない。
<参考文献>
・ 小室大輔、 バルコニーと食文化、 光と風の時間、 建築技術、p.178、2004/06
・ 小室大輔、 バルコニーだって立派なガーデンだ、 朝日新聞ウェブサイト版 asahi.com、 住まい-世界のウチ、 2006/05/31
*写真はすべて筆者撮影
こむろ・だいすけ
1965 年、札幌生まれ。
1993 年、武蔵工業大学大学院建築学専攻、宿谷研究室にて修士課程修了。専門は建築環境学。
梓設計で設備設計に従事したのち1998年に渡独。
HHSプランナー(カッセル)、ガーターマン+ショッスィヒ(ケルン)を経て、
2007 年に建築士事務所を東京に開設。
著書として『パッシブ建築手法事典』(共著・2000 年・彰国社)がある。
www.enexrain.com