保存情報第95回
登録有形文化財 名古屋陶磁器会館 尾関利勝/地域計画建築研究所
外観 北面 半円形の窓
■紹介者のコメント
 名古屋市東区には、徳川園、建中寺、東の寺町、中~下級武家屋敷跡はじめ尾張名古屋の城下町の名残と、その後の名古屋の近代を先駆けた様々な遺構が今も遺されている。
 この内、近代以後についてみると、当時の起業家達が競って住んだ白壁界隈の武家屋敷跡に建つ近代住宅街(まちなみ保存地区)、旧高等裁判所(重要文化財)などの官庁施設、東海学園講堂や金城学園栄光館(ともに登録文化財)などの学校施設、そして今回取り上げる名古屋陶磁器会館(登録文化財)や日本陶磁器センタービルなどの産業施設がある。
 陶磁器産業は、明治以後、日本の工業化を先駆けた名古屋を代表する産業群の一つで、瀬戸・東濃はじめ環伊勢湾の一大陶磁器産地の集積を背景に、名古屋港を介在した輸出産業の振興とともに、武家の職業転換と併せて名古屋市北東部にその拠点が集積した。昭和初年頃には、この地域が日本の陶磁器産業の中枢管理機能を備える地域として発展する。
 名古屋陶磁器会館は、日本陶磁器センタービル(昭和9年・外観改修)とともに、この時期に符丁を併せるように名古屋陶磁器貿易商工同業組合の事務所として建てられた。3階北面は昭和21年増築。設計は、鈴木禎次の教えを受けた鷹栖一英、施工は名古屋の近代建築の多くを手がけた地元志水組の手になり、鉄筋コンクリート造3階建、外観にスクラッチタイルを使用、1階北面の大きな半円形の窓や軒下の装飾帯に鈴木禎次の流れをくむ表現主義的様式を見ることができる。小規模だが名古屋の近代建築を代表する一つである。
 現在は㈶名古屋陶磁器会館によって運営され、1階は陶磁器史料の貴重な展示室として常時公開しており、2階以上は事務所として活用されている。ぜひご覧頂きたい。
所在地:名古屋市東区徳川一丁目10番3号
建設年代:昭和7年11月 昭和21年増築
構  造:鉄筋コンクリート造3階建て
設  計:鷹栖一英(名古屋高等工業学校教授)、
      丹羽英二(実施設計・監理)
施  工:志水建築業務店
登  録:23-0309
データ発掘(お気に入りの歴史的環境調査) 旧山内家住宅(鳥居建農家) 三輪邦夫/RE建築設計事務所
外観 内部の様子 天井を見る
■発掘者のコメント
 この民家は、旧藤岡町役場(豊田市藤岡支所)の近く、約200m北東の小高いところにある藤岡交流館の一角に建っている。昭和45(1970)年に旧藤岡村大字木瀬から現在地に移築(復原)、藤岡村の当時の歴史を語る貴重な建物として保存されている。昭和50(1975)年には東海地方における鳥居建、広間型の農家として最初に愛知県の文化財指定を受けている。木造平屋建、茅葺、鳥居建構造、居室部(床張り)とにわ部(土間)に二分されただけのシンプルな長方形平面である。『愛知の民家』には、「山内氏宅の全体の構造は、鳥居建形式の典型的な構造である。この鳥居建構造は、西加茂郡・東加茂郡に今なお多くの例が見られる。解体調査によって建築年代は特定できなかったが、各種の詳細な調査結果から、18世紀前半の建造であると判断している。山内氏宅が建造された時期までは、鳥居建が竪穴式住居から発達してきた証明とも言うべき、上屋と下屋の礎石高さに高低の差がみられる。床を張るようになっても古い形式を残した建造がなされた最後の構えと言える」と書かれている。なかなか興味深い記述である。
 この民家の中に一歩踏み入れると、竪穴住居の内部にいるように感じさせる。薄暗く、間仕切壁がなく、ところどころに柱が立っているだけの一室空間である。これがすまいの原型であるような。民家は時代とともに、生活の変化とともに内部空間が分割され、より複雑に変化していく。そんななかで、たとえ非合理的であっても、古い形式を残していく部分がある。そこから日本的、伝統的な空間が続いていくように思う。

参考資料:『愛知の民家』(愛知県教育委員会 1975年)
所在地:豊田市藤岡飯野町仲ノ下1048-1