保存情報第94回
登録有形文化財 岐工記念館(旧岐阜県工業試験場) 水野 威/ミズノ設計室
 
外観 南正面玄関 東玄関上部の出窓 玄関ホール
■紹介者のコメント
 笠松町は、木曽川、長良川、揖斐川など諸河川の治水のため、寛永2年(1662)に郡代陣屋が設置され、美濃国内の幕府直轄領を治め地役所と治水行政にあたる堤方役所が併設、江戸時代200年余に及ぶ国の重要な位置をしめていた地域である。今回紹介する岐工記念館は、昭和4年に岐阜県工業試験場の本館として創建された。県工業試験場は繊維産業従事者や地場産業の育成に成果をあげたとされている。また、昭和21年には、昭和天皇が岐阜県内巡幸の際の御在所とされたようである。昭和47年に岐阜工業高校に移管された際に工場はすべて取り壊されたが、本館は当時のまま残された。その理由は定かではないと聞いている。
 本館は、1階が下見板張り、2階部分がモルタル塗り、L型の木造建築物でトラディショナルとモダンが融合した洋風建築である。南正面玄関ポーチ部分は、現在は洗い出し風の仕上げとなっているが、昭和33年頃の写真では下見板張りでパラペットボーダー部にはアールデコ風の装飾がなされていた。そのまま残されていればとの思いが強く残った。
 東玄関の上部の出窓も、トラディショナルとモダンの見事に調和したデザインが印象的であった。現在は、学校の一部の施設として幅広く活用されている。
 今回案内をしていただいた教頭の高橋信行先生より、修復予算確保が今の時代なかなか難しいとの説明を受けたが、今後も適切なリノベーションを経ながら活用、維持されていってほしいものです。

所在地:岐阜県羽島郡笠松町常盤1700番地
登録番号:21-0025
参考資料:岐阜県近代化遺産総合調査報告書、笠松町
     歴史民族資料館資料
データ発掘(お気に入りの歴史的環境調査) 宮の渡し公園から白鳥 後藤晃範/圓 空間設計工房
春にはツツジが綺麗な堀川 熱田荘と数軒右に丹羽家 宮の渡し公園、左が鐘楼、右に常夜灯
■発掘者コメント
 小学校に入学した頃、父の仕事の関係で、千年(ちとせ)の近くに住んでいました。6月5日熱田まつり(尚武祭)になると、夕方、父と大瀬子橋を渡り、近くの堤防にもたれかかりながら、堀川に浮かんでいる提灯に明かりが点いた巻き藁船を見たのを記憶しています。今では熱田神宮の東、西門にそれぞれ2基、南門に1基飾られますが、昔は提灯の明かりが水面に映り、綺麗で幻想的でした。
 今は常夜灯が復元され(昭和30年)、宮の渡し公園として整備されました。その場所を訪れると当時の桑名までの海路の船着場として、東海道そして熱田神宮の北(新尾頭)あたりから佐屋街道、飛騨路へと分かれていく要所であった門前町でもあり、宮宿でもあった賑わいが伝わってきます。周りには市の有形文化財に指定されている「熱田荘」「丹羽家」や米蔵(大正時代)を改修したマリン用品を扱っているお店などや史跡が多くあり、これらの資源が堅苦しいものとしてではなく、庶民の生活空間に愛され親しまれ、今後のまちづくりに活用されていくことが期待されます。
 さて、公園を後にして、西に向かって大瀬子橋を渡り右へ折れ、川沿いに整備された散策路をしばらく北へ歩くと、太平洋戦争で当時の堤防に熱田大空襲(昭和20年6月9日)でできた弾痕の跡の記念碑があり、この辺りは軍需工場が多くあったことを改めて知らされます。さらに北へと進み、白鳥橋(国道1号線)を潜り抜けると、白鳥庭園の入口があり、緑と水辺を生かした白鳥公園(デザイン博会場跡地)へと続きます。都心部の堀川と違い、しばらく時を忘れさせてくれるような心地よい風が水面を流れ、気持ちのよい素敵な親水の景観をつくっています。 
参考資料:『名古屋・東海の城下町』(平凡社)、『あつたっ
     子』(NPO 法人堀川まちネット)
所在地:名古屋市熱田区神戸町、熱田区千年、熱田区西
    町の堀川沿い