環流独歩
第3回

ガラス建築と質実性
小室大輔
(一級建築士事務所エネクスレイン/enexrain 代表)
ガラス建築の現状
 個性的な国がひしめき合う欧州において、ドイツは何となく野暮ったいという印象を持たれることが多いのではないだろうか。特にフランスやスペイン、イタリア、あるいはオランダといったほかの欧州諸国と比べると、いま一つ垢抜けない面があることは確かだろう。その一方で、欧州連合の中心的な役割を担う国の一つであるドイツは、質実剛健ということばに代表されるように、堅実性といった面を持ち合わせている。それは自動車に代表される工業製品だけでなく、ドイツの現代建築にも表れているように思う。
 その一つが1990年代後半から出現しはじめたガラス建築だろう。かつてのように、透明建築と呼ぶにふさわしい事例が次々に誕生するという潮流は落ち着つきを見せているが、外壁材としてのガラスの可能性を最大限に引き出そうと先鋭的な試みを続けてきた建築家たちの意気込みは衰えることなく、むしろその情熱は形を変えて多くの建築家に影響を与え続けているように見える。
透明建築が求められる背景
EIB- 欧州投資銀行
設計:インゲンホーフェン・アルヒテクテン
竣工:2008年
所在地:ルクセンブルク
出典:インゲンホーフェン・アルヒテクテン
 仕切られた二つの空間を互いに見通せるという不思議な性質を持つガラスが、ドイツの現代建築で多用されている理由の一つには、その製造技術が飛躍的に向上したことと密接な関係があるのはもちろんだが、その根底には、欧州の人たちが持つ光への潜在的な欲求があることは間違いないだろう。「もっと光を」という最期のことばを残して亡くなったと言われる文豪のゲーテの影響が大きいわけではないだろうが、暗く長い冬を過ごさざるを得ない環境で生活するドイツや北欧の人たちが、1年を通して光を求める理由を日本の人が理解するのはそれほど難しくはないように思う。
 ガラスを多用した建築が持つ最大の特徴は、光や風といった建物内部の環境を快適にしてくれる可能性のある環境からの働きかけを適度に制御することのできる機能を有していることである。バウハウスに見られる近代技術への試みを模索し、合理性や革新性を追求してきたドイツだからこそ、多くの建築家がその機能の追求に大きな関心を寄せてきたのだろう。こういった建築家の探究心は、建築に対する意識の高い建築主の心もつかみ続けてきた。ドイツには透明建築を生み出す環境と、それを受け入れるだけの土壌が備わっている。
執務空間に求められる機能
 2006年にフランクフルト空港の北側に竣工したルフトハンザ新本社屋や、2008年の夏にルクセンブルクに完成した欧州投資銀行を手がけたドイツ人建築家のインゲンホーフェン氏は、執務空間に求められる基本的な機能として、自然の光で仕事が行なえることと、窓を開けて外気を直接取り込めることを挙げており、ガラスを多用しているのは、自宅で普通に行なえる単純な行為を職場でも可能にするためであると語っている。
 この事例に共通していることは、緩衝空間としてのガラスのアトリウムを多用していることである。昼光利用や自然換気を積極的に行なうためには、建築の外表面積をできるだけ大きくする必要があるが、温熱環境の変化を受けやすい外壁の面積を抑えるために、アトリウムに面した半屋外の面積を大きく取ることのできる平面計画を取り入れている。またアメリカのある大学と共同研究を行なったシュトゥットガルトのトランスソーラー社によると、昼光や自然の風を取り込める執務空間は快適性が増すために、生産性が10%ほど上昇するという結果が出ている。
LAC- ルフトハンザ新本社屋
設計:インゲンホーフェン・アルヒテクテン
竣工:2006年
所在地:フランクフルト
バイエル・コンツェルンツェントラーレ
設計:ヘルムート・ヤーン
竣工:2002年
所在地:レヴァークーゼン
カプリコーンハウス/
設計:ガーターマン+ショッスィヒ
竣工:2006年
所在地:デュッセルドルフ
DEG ケルン
設計:JSK
竣工:2008年
所在地:ケルン
ガラス建築と設備の簡素化
 ガラス建築と併せて最近のドイツ建築に見られる傾向の一つは設備の簡素化である。これはすべての建物に当てはまるわけではないが、例えばケルンのライン川沿いに竣工したKAPという事務所建築を例に挙げると、その執務空間には機械換気による給気はなく、窓の開閉による自然換気のみで法的な必要換気量を確保している。また外気が給気されているのは、東西に配置された執務室に挟まれた空間のみで、お手洗いなどの水周りから排気されている。
 この事例では照明についても大胆な試みが行なわれており、非常用照明を除く一般の照明器具は天井には一切配置されていない。その代わり、執務机の脇に設置された直立型の照明器具が天井面と机上面を照らす仕組みになっている。これまで日本では机上面照度を徐々に高くする傾向が続いてきたが、コンピュータの普及によって画面に向かう作業が増えてきたため、ドイツでは人工照明による机上面照度を抑える方向に転換しつつあり、平均照度が350ルクスでも構わないという事例も見られる。つまり、明るさが必要なところだけ手元の照明で補えば良いという合理的な考え方である。
 設備を最低限に抑えるという手法はドイツの現代建築において次第に認知されてきているが、これは執務空間の奥行きを抑えた平面計画と、外壁にガラスを多用することで初めて可能になる。それによる建設費の増加分は、設備の簡素化によってある程度の調整が可能であり、竣工後の維持管理費の低減を視野に入れることで、2009年5月号でお伝えしたような低燃費建築が実現することになる。
開いた建築の設備
低燃費建築の継承
 欧州のガラス建築の波は日本の建築にも大きな影響を与えてきたから、先駆的な試みが具現化された事例もかなり増えてきているが、欧州とは異なる我が国特有の気候は、ガラス建築を日本で応用する意義を常に問いかけてくる。土地の価格が極めて高い日本では、建ぺい率や容積率を最大に利用することが至上命題となること多く、特に賃貸事務所の場合、貸床面積を最大限に確保することが求められる。そのため自然の光や風を適度に取り込めるような室奥の浅い平面計画を最優先することは難しく、必然的に人工照明や機械設備に頼った均一な空間のみで構成された建築が増えて行くという状況が続いている。
 建築設備技術の急速な発展によって、日本の現代建築はどちらかというと閉じる方向へと変化してきたのに対し、近年のドイツ建築の流れは、日本の伝統的な木造家屋が有していた適度に開く機能を追求しているように見える。例えば、ガラス建築で多用されている二重外壁が持つ機能は、内と外を適度に隔てながら、季節や天候によって開いたり閉じたりすることのできる「縁側」が持つ役割とよく似ている。ガラス建築では、その緩衝空間に設けられた建築的な仕掛けに、設備の機能の一部を持たせることが必要であり、それはこれまで何もかも機械任せで実現してきた快適性のあり方に対しても新たな課題を突きつけている。
質実性の追求
 自然の光や風の動きを意識し、それを適度に制御する仕掛けを併せ持った建築を提案しようとする設計者らの高い意識と意気込みは、瞬く間に透明建築を新しい世紀の本流へと導いてきた。建築的手法によって居住空間の快適性を高めたいという数々の試みの中に、求められる建築のあるべき姿を的確にとらえながら、基本姿勢を崩すことなく具現化して行く建築家たちのひたむきな姿勢と、ドイツの建築の持つ「質実さ」がよく表れているように思う。新たな試みを着実に続けて行くドイツ建築に、今後も注目する価値は十分にあるのではないだろうか。
<参考文献>
・ 小室大輔,ドイツ建築の読解-「風と光」を常に意識する, 日経アーキテクチュア, pp.44-47, 2004/2/23
・ 小室大輔,ドイツ最新建築探訪,コア東京, pp.10-14, (社)東京都建築士事務所協会, 2004/6
・ 小室大輔, 光と風の時間-ガラス建築と日本の家屋, 建築技術,p.210, 2005/10
* 出典を明記している以外の写真は筆者撮影
こむろ・だいすけ
1965 年、札幌生まれ。
1993 年、武蔵工業大学大学院建築学専攻、宿谷研究室にて修士課程修了。専門は建築環境学。
梓設計で設備設計に従事したのち1998年に渡独。
HHSプランナー(カッセル)、ガーターマン+ショッスィヒ(ケルン)を経て、
2007 年に建築士事務所を東京に開設。
著書として『パッシブ建築手法事典』(共著・2000 年・彰国社)がある。
www.enexrain.com