いろは雑工記 第6回
伝える技と人
 —私の見た日本建築の世界—
望月義伸
㈲伊藤平左ェ門建築事務所 名古屋事務所 所長
建方の朝
 早朝の澄んだ空気の中、棟梁※1の「段取り通りにやるように」と穏やかで自信に満ちた声に、囲む若い大工に緊張がはしる。光正院仏堂の建方の朝である。棟梁※1を中心に、この日まで準備を重ねた。図面の検討から木材の用意、施工図、現寸図の作成、それを型に製材し加工、各部の継手・仕口も工夫した。貫で囲める構造は建方の順番を間違うと組めないことから、模型で確認をした。この日に向け十分に準備したはずが、あれこれ不安がよぎる。そんな不安をよそに、現場では棟梁を中心に、かけやの音もトントンと無駄なく組み上げてゆく―時計の内部を見るように正確に進んでゆきました。
 「段取り」という言葉は、大工が一つ一つ段階を踏んで完成することが語源とも聞きましたが、まさに段取りの大きな中間発表が建方です。棟梁にとって建方は段取りが人前で試され、気を緩めることができません。名棟梁でも、初めて任された建方や、難しい建方の前日は寝られなかったと話に聞きます。
 柴田棟梁の心中は図れませんが、淡々と仕事を進める姿から、段取りに間違いがないことが伺われました。軸組の組み上がる最後の槌音で、建物の基本部分の出来の勝負が決まります。建築は段取りで決まるのを実感する瞬間でもあります。
上棟の式
 組物、そして丸桁※2と組み上がると、次は難関の軒廻りの組立です。「大工と雀は軒で鳴く」と言われますが、技の見せどころです。化粧材部分は、規矩の現寸図通りに加工すれば納まります。しかし、図面通りにいかないものに桔木※3があります。桔木は小屋束をよけて取り付け、松丸太などの曲材を使って縫うように取り付けるので現場判断となります。
 続いて小屋組にかかるといよいよ上棟です。建築中の工匠式の主なものに、造営地を鎮める地鎮祭、工事の着工に当たり行う釿始祭(ちょうしさい)、柱を建て囲める立柱祭、棟木を上げる上棟祭があります。工匠にとって一番の儀式が上棟祭です。
 上棟式では、中央に祭壇を設けて、棟に破魔弓※4を立て、棟木に網を巻き建物の前方の杭※5に結ばれました。式は師の伊藤先生をはじめ工匠が古式な装束※6で、先に釿始祭の工匠式である鋸、墨矩(すみかね)、釿打(ちょうな)、清鉋(きよかんな)の儀を行い、続いて上棟祭の工匠式が行われました。上棟では建物の寸法に誤りがないか計る丈量(じょうりょう)、次に参列者も加わって共に網を引き棟木を揚げる曳綱、上がった棟を囲める槌打(つちうち)が行われました。建物の棟が永く建っていることを願う祝いの一日です。
 建築の儀式は、工事の無事な成就を願い、感謝することの表れです。簡略となることもありますが、工人が折目正しく、気を引き締める上では大切なことです。工匠式は幾度か経験しても緊張します。それは、その工事にかかわる度合が高いほど増します。また、儀式が正しく行える現場は、仕事への一体感も増し、精神的にもきちんとして、工事も順調に進みます。
 上棟後は屋根、造作、左官、建具、設備と各工事が進み、いよいよ堂が整っていきます。左官の仕上塗が始まると建物も一段と美しくなり、やっと安堵します。仕上げに天井絵が描かれるなど、光正院仏堂は加藤住職の熱い情熱と各職の工事協力が実を結び、設計から10年の歳月をかけ無事に完成しました。
技を支える技
 仏堂の造営は、初心の私には設計から施工まで学べた、またとない仕事でした。古来の工法を学び、現代に合う設計をすること、版築から始まり、石のこと、原木の見方、墨付から始まる木の加工、現寸図、継手・仕口などの工法、瓦葺、左官、建具、畳など各職の技を学ぶことに懸命でした。ベテラン職人さんに学ぶことが多いことから、話を聞く機会がないかと思っていたところ、杉村棟梁※1から鉋台の名人の青山氏※7を紹介され、職人さんの使う道具を作る職人さんの大切さを知りました。青山氏の仕事の見事さと、その知識の深さに驚きました。まさに技を支える技がそこにはありました。残念なことに時代の流れか、それらの技の後継者は少ないのです。そこで青山氏、杉村棟梁の協力を得て、職人さんや専門家の話を聞く勉強会を持つことができました。 
 職人さんを講師に話を聞くことで、その技や造詣の一端を感じました。その話は、聞く人のレベルに応じて話され、また、常識と思っていたことが、物事を深く探ると、違ってくることを知りました。高度な物づくりにはマニュアルがないということでしょうか。名人達は専門外のことにも観察力があり理解も早く、一芸に秀いでた人は他芸に通じることが分かりました。その後、青山氏、杉村棟梁を中心に「削ろう会」が発足して、楽しみながら技を磨き、若い人の育成に、道具作りの職人さんも元気になり、ますます発展しています。日本建築においても技を支える技や、材料が消えつつあるものも少なくありません。JIAをはじめ協会や保存会などの活動が盛んになり、技が継承され発展することは素晴らしいことです。私も微力ながら、古(いにしえ)にあって今はない木挽という技を少しでも伝承したいと思っています。
 初心の頃は技を知ることで一生懸命でした。今振り返ると、大切なのは教えていただいた人であることがやっと分かってきました。気付いたときには教えを請うた師は他界された方も多く、当時の無礼を詫びることもできないのは残念です。ただ感謝あるのみです。
故伊藤平左ェ門先生による清鉋の儀
社寺建築とこだわり
 社寺建築について何か、ということで今回の連載になりました。社寺建築は今までは宗教建築のジャンルと見られますが、社寺建築に携わるものは宗教に客観的な立場にいるように思います。社寺という言葉が示すように神道も仏教も同じようにこなしてゆく。そこには個人の持つ宗教に対しては不明確です。以前、ドイツの方に、教会建築の設計もしてみたいと話したところ、とても不思議な顔をされました。日本の宗教建築に携わるものが、他の宗教建築の領域にも入れることに驚いたかもしれません。日本人の宗教観において、社寺建築という業務が成り立つともいえます。
 かつての社寺建築は、集会所であり、身元を証明する役所であり、寺子屋のように教育の場でもありました。いわば公共建築ともいえ、今もその公共性が内包されているのです。また、社寺建築の形ができるには、これまでの書院造、数奇屋、町屋といって建築の歴史も内包しています。このことからも社寺建築は日本建築という意識があり、客観的に宗教建築に故伊藤平左ェ門先生による清鉋の儀携われるのかもしれません。私は日本建築という業務に携わり、そのひとつに社寺建築があるのです。
 よく「職人のこだわりの~」と言いますが、なぜ、職人と呼ばれる伝統的技能者がこだわりがあると見られるのでしょうか。名人たちは、私たちの常識という概念からは自由で、無限の世界で日々挑戦しているとすると、職人のこだわりとは、能力がある人があえて、ある目的に合わせて選んだ最良のものといえます。物事に固執していることではないのです。
 日本建築の設計をしていますと、日本特有なものにこだわり、設計していると思われがちです。結果的にはそのように見えるかもしれませんが、日本建築もそのルーツをたどると、どうしても海外の文化に結びついてゆき、はたして日本固有の文化はあるのかとも思います。たとえばチベットでは、日本とよく似た風習が残っていたり、仏教建築の意匠が法隆寺の建物と類似していたりするのを見ると、日本特有に思っていたものが、もっと広域的であったりします。日本で発展し洗練された文化はありますが、根本的な文化の根元は見つけにくい。日本建築の設計をするときの意匠を、海外文化も含め、あり余る選択肢の中から最良のものを選択し、また創造します。それが、こだわりの設計と見られるかもしれません。
伝統は挑戦
 日本建築は伝統的なものとしてとらえられています。伝統はかたくなに同じものをつくり続けるように思われがちですが、それでは先細りしてゆくだけです。伝統には、積み重ねられたものが詰まっています。これらを超えるには伝統を学び、それに捉われることなく、それ以上のものにする必要があります。伝統は絶えず革新していくことであり、絶えず挑戦して進めてゆくものと思います。
 日本建築の設計も古い建物の設計のように思われますが、目指しているものはこれまでにない新しい、より良い建築です。設計で、これぞ新しいと考案しても、調べてみると同じようなものや、もっと上手な発想が見つかることが常です。本当に新しいことは、過去のものを超え、今までにないものでなければいけません。変わったことはできても、新しいことができたという実感はいまだありません。これからも新しいものへの挑戦を続けます。それは伝統を学ぶことであり、守ることにもなると思います。
 日本建築に限りませんが、伝統技術の伝承は必要不可欠です。今は、情報も増え、研修や公開も盛んになり、伝承する環境も良くなったと感じます。しかし、いくら伝承しても、良い仕事がなくては伝統の技も新しい技も発揮できません。良い仕事が人を育てるのです。少しでも良い仕事をつくり、そこで先人の技を伝え、発展させてゆくことが、この仕事の大切なことと思います。
 この連載は私にとって原点を見直す良い節目になりました。このような機会をいただきましたこと、そして、お読みいただいた皆様に深く御礼いたします。これを機に新しい世界を目指して、また、いろはから始めます。   ( 了) 
※ 1 棟梁 光正院仏堂では工事全体を杉村棟梁が、木工事の大工頭として柴田棟梁が建方をした。
        杉村幸次郎棟梁/宮大工。㈱浅草屋工務店社長。削ろう会会長。名古屋市在住。
        柴田武男棟梁/宮大工。㈱浅草屋工務店で修業、光正院仏堂では木工事の大工頭。名古屋市在住
※ 2 丸桁(がんぎょう) 桁のことで、古代は桁が丸い形であったことからこの呼称が残っている。
※ 3 桔木 軒先を長く出すために用いる材で、軒先の垂れ防止。
※ 4 破魔弓 棟の左右に弓矢を1対立てる。矢は雁股(かりまた)と鏑(かぶら)を用いる。この中央には三棒(扇車)を立てる。
※ 5 杭 博士杭とも呼ばれる。
※ 6装束 工匠式の工匠服装として、伊藤平左衛門家では、直垂(したたれ)、素袍(すほう)を着用。
※ 7 青山俊一氏 鉋台制作の名人、青山鉋店店主。名古屋市在住
もちづき・よしのぶ
(有)伊藤平左ェ門建築事務所名古屋事務所所長。1956年滋賀県甲賀市生まれ。中部大学工学部建築学科卒。伊藤平左ェ門建築事務所に入社。現在に至る。
社寺建築、数奇屋建築、文化財保存施設などの設計・監理を行う。『社寺建築の銅板屋根』(理工学社)、『近江甲賀の前挽鋸』(甲南町教育委員会編)、「栗林公園掬月亭保存修理報告書」(香川県)他の共著。古い建物の再生活動、木挽、茅葺の修業中。