第6回 木割の話
「屋敷」の種類と木割
河田克博
(名古屋工業大学大学院教授)
 最終回の今回は、住宅の設計手法を記した「屋敷」の種類と木割についてである。屋敷とはいいながら、木割書では、一般住宅の町家や農家に触れたものはなく、当時の権力階層の武家や公家、多くは武家屋敷に関する内容である。「屋敷」の木割は、これまでみてきた「門」「塔」「社」「堂」の木割と一線を画し、人が日常接する建物であるから、後でみるように肌理(きめ)細かい木割規定が施される。そして、種類としても、屋敷地全体の建物配置を併用して説明されることが多く、著名な木割書『匠明』(5巻、東京大学蔵)の「殿屋集」1)もこの類である。ここでは、建物種類が多種記される、加賀建仁寺流系本に属する『鎌倉御所総絵図』①2)に記す屋敷建物種類を掲げてみる。
「屋敷」の種類
 土門、上土門、棟門、薬医門、平唐門、向塀重門、平塀中(重)門、鞠掛、遠侍、舞台、広間、対面所、式台、納戸構、湯殿、上台所、下台所、男江、局部屋、鷹部屋、建厩、犬廊、僧堂
 これらが『鎌倉御所総絵図』で木割説明される建物であるが、同書がより体系化され発展した『武家鎌倉図』(上・下2巻の巻子本)では、さらに四脚門と向唐門が追加されている。既稿で触れた門の記述が多いが、これは武家屋敷内に設置すべき建物を網羅したためで、これら門以外の建物が屋敷特有の建物といえる。このうち最も重視説明されるのが広間(昔は主殿と呼んだ)であるが、武家の嗜(たしな)みとして必要な舞台や、徳川家康の好んだ鷹狩に必要な鷹と犬のための建物、乗り物として必要な馬のための建厩も詳述される。ただし、最後の僧堂はやや違和感があるが、これは祈祷所とも呼び、敷地北東の鬼門に対する対策建物であり、敷地自体も北東隅を欠けた形状にするのが流儀で、四天王寺流系本『匠明』-「殿屋集」に載せる敷地図もそうなっている。なお『匠明』では門を「門記集」として建築形式を重視した編集がなされるため、「殿屋集」に述べる木割は、主殿・車寄・装束妻戸・馴上連子(はぎあげれんじ)・中門・立具・内作・納戸構・違棚・書院・色代同遠侍・厩・舞台と、主殿を中心とした表周りの建物のみが詳述されている。また江戸建仁寺流甲良家の史料では屋敷全体の建物の体系化詳述史料はなく、わずかに『武家式』において、玄関・御広間・塀中門・御多門・御厩・御納戸構・御舞台・薬医門・棟門・上土門の立面図と平面図をほとんど木割記述なしで示しているにすぎない。かといって江戸幕府作事方大棟梁職の甲良家が屋敷をつくらなかったわけではなく、江戸城の諸屋敷建物や尾張藩江戸屋敷の工事では中心的な仕事をしている。むしろ後述する最低限の木割を知るだけで多様な屋敷設計をこなす力量があったからこそ、規範にとらわれやすい詳細にわたる木割書は必要なかったものと察せられる。
 
②江戸建仁寺流系本の「御所様之割」 ③屋敷雛形における木割規準単位の変遷
①『鎌倉御所総絵図』の屋敷図 ④「鎌倉御所広間図」
「屋敷」の木割
 さて、屋敷の木割システムであるが、先に触れたように「社」「堂」などに比べて肌理細かい木割規定がなされる。江戸建仁寺流系本の基幹本『建仁寺派家伝書』-「匠用小割図」の冒頭には、屋敷に関する唯一のディテール図として「御所様之割」②が記されるが、そこに「一、柱ノ太サヲ七ツニ割テ諸事ノ太サヲ図ノコトクニ用ユヘシ、是ヲ柱ノ七ツ面ト云」とあり、柱太さの7分の1を基準として諸部材の寸法が比例で説明される。たとえば長押せいや肘木幅は柱太さの7分の6であり、軒桁幅は7分の5と説明される。江戸建仁寺流では、先に述べたように、この図を最低限の基準として、後は建物の間取りなどを必要に応じて設計し基準木割を適宜応用したものとみられる。ここにいう七ツ面とは、柱を7面取したときの面を1単位として説明したもので、屋敷雛形の木割基準単位の変遷を歴史的に考察して③3)、初めて納得できるもので、7面取はその後、10面取→14面取と変化していくが、説明上は7面取の面を1単位として説明する手法のみが伝えられていく。「御所様之割」に描かれた面は、よく観察すると14面取となっている。
 また『匠明』-「殿屋集」では、柱太さを4.2寸としているが、これは柱間基準寸法が7尺であったとき、その6分、すなわち0.06を掛けた4.2寸に基づくもので、「殿屋集」の記された頃の柱間基準寸法は6.5尺に変化しているから理論的な意味は薄れている。また大規模な室空間をつくろうとすると柱太さ4.2寸は細すぎるため、「殿屋集」では、「当世大なる主殿にして…柱太さ六寸。又ハ間に付テ寸斗(=×0.1、例えば柱間寸法が6.5尺であれば6.5寸)」と補足し、さらに「面ハ十めん(面)ニとるへし」としている。なお、いずれにせよ諸寸法を比例で説明するときには七ツ面を基準にはしている。しかしながら、人が日常使う建物であるから、人体寸法を著しく無視した寸法は許されないため、たとえば縁高さ1尺8寸、(高さ方向の)内法6尺3寸と、比例関係をもたない絶対寸法も併用される。
 このようにして、木割説明文を解読しながら図面を起こしていくのであるが、その作図下絵のような「鎌倉御所広間図」④2)のような史料もあり、現代人のわれわれとしてはありがたい。『匠明』-「殿屋集」の記述に基づいて現代的な図とした主殿の、平面図⑤4)・東立面図⑥4)・木割図⑦3)を掲げておく。ただし、木割図に記す柱太さ4.2寸は実用的には小さすぎることに留意されたい。
 今回まで、現代人にとっては難解かと思われる「木割」について、私なりにできるだけ分かりやすく理解していただけるよう述べたつもりであるが、ついつい専門語に甘えたところもあり、その点はご寛赦願いたい。
 もし疑問点等がありましたら、遠慮なくご一報いただき、少しでも古典建築書が今日的意義に報われれば幸いです。 (了)
⑤『匠明』による主殿-平面図

⑥『匠明』による主殿-東立面図
⑦『匠明』による主殿-木割図

1) 伊藤要太郎著『匠明』(昭和46 年鹿島出版会刊)参照。
2) 静嘉堂文庫蔵。
3) 内藤昌著『新桂離宮論』(昭和42 年鹿島出版会刊)より引用。
4) 内藤昌著『江戸と江戸城』(昭和40 年鹿島出版会刊)より引用。
かわた・かつひろ| 1952 年生まれ。
1977 年名古屋工業大学大学院工学研究科建築学専攻修士課程修了。
1990 年同学博士後期課程修了。工学博士。名古屋工業大学助教授を経て、2005 年より現職。
専門は建築史・都市史。
著書に『日本建築古典叢書3 近世建築書−堂宮雛形2 建仁寺流』(大龍堂書店)、ビュジアル版『城の日本史』(角川書店)など