保存情報第87回
登録有形文化財 名鉄三河線 旧三河広瀬駅 塚本隆典/塚本建築設計事務所
旧三河広瀬駅外観 駅の内部 今も残る線路
■紹介者コメント
 廃線になった駅舎の写真撮影に訪れたとき、「スタンドバイミー」という映画の一場面をふと思い出しました。その映画は予告編しか見たことがなかったのですが、何かピッタリと来るものがありました。
 旧三河広瀬駅は、「豊田市郷土資料館だより」には以下のとおり記載されています。
 「(同駅は)平成19年10月22日、新たに登録文化財となりました。
 旧西中金駅の1つ手前で、昭和2年(1927)に開業しました。駅舎は木造平屋建で、切妻屋根に鉄板が葺かれています。下見板張りの外装は、腰の部分に厚手の目板を打つ独特なつくりとなっています。規模は桁行11m・梁間4.4mを測り、建築面積は50㎡です。待合室のほぼ全ての外壁に付けられた大きなガラス障子が駅舎全体に軽快な印象を与えます。
 駅舎北側にあるプラットホームは、全長80m・幅2 ~ 2.6mで、矢作川に沿って緩やかな弧を描いています。このプラットホームは中央部分が開業当初の遺構と考えられる切石積みで、その左右に後に付け足されたと考えられるレール桟橋形式とコンクリートブロック積みがそれぞれの端に延びています」。
 かつて旧西中金駅では竹の積み出し、旧三河広瀬駅では耐火煉瓦の原料となる木節粘土などが取り扱われ、貨物の輸送により賑わっていました(それぞれ昭和38年(1963)、昭和59年(1984)に貨物の取扱いを廃止)。駅の存在は「地域の鉄道交通とのかかわりを示す歴史的遺産として貴重な存在といえるのです」(「豊田市郷土資料館だより」)。
 今後、この駅舎とプラットホームがどのように活用されていくかが期待されるところだと思います。

住  所:旧三河広瀬駅 豊田市東広瀬町神田地内
参照資料:「豊田市郷土資料館だより」NO.61,NO.48、豊田市郷土資料館
* 旧西中金駅は「ARCHITECT」08.11月号に掲載。
* 執筆にあたり豊田市郷土資料館の天野氏のご協力を頂きました。
データ発掘(お気に入りの歴史的環境調査) 徳林寺山門(犬山城旧黒門)
専修院東門(犬山城旧矢来門)
澤村喜久夫/伊藤建築設計事務所
犬山城黒門跡。現在も柱礎石がひとつ残る 徳林寺山門。奥に見えるのが中門 専修院東門。袖塀も門扉と同じ格子組
■発掘者コメント
 明治4(1871)年、廃藩置県によって廃城となった犬山城では、天守閣と櫓を除いてほとんどの建造物が取り壊された。その際に払い下げられた城門が丹羽郡の徳林寺と専修院に移築され現存している。
 犬山城には本丸と二之丸の石垣が残り、現在の登城口は当時の二之丸入り口にあたる。そこに設けられた中門から本丸門(鉄門)に至る約180メートルの登城道には、矢来門、黒門、岩坂門の三つの城門と曲尺手が造られ、今でも石垣と門柱礎石跡がその位置と形状を伝えている。
 明治9(1876)年、徳林寺に山門として移築された黒門は、切妻造、本瓦葺き、脇門付きの薬医門形式で、移築時に袖塀が併設された。当時金23円で購入し、信者の奉仕によって移築したとされる。屋根瓦は近年に化粧野地板とともに葺き替えられている。また同寺には山門奥に室町末期の建立と伝えられる中門(大口町指定文化財)があり、同期のおもむきを残したその姿と、旧城門の力強い姿を示す山門との対比が興味深い。
 矢来門は明治9年、専修院に金20円にて買い取られ、東門として移築された。形式は切妻造、本瓦葺き、本柱と控柱との間に本屋根と直交して小屋根を設けた高麗門で、格子組の門扉とともに城門建築の特徴をよく表している。
 ほかには旧松之丸門が浄蓮寺(一宮市)に、旧内田門と伝わる門が瑞泉寺(犬山市)に現存し、また、どの場所に建てられていた城門か不明だが、運善寺(一宮市)とほか2 ヶ所に移築されているという。
所在地
徳林寺:愛知県丹羽郡大口町余野二丁目201
専修院:愛知県丹羽郡扶桑町大字柏森字乙西屋敷62
徳林寺山門:大口町指定文化財(昭和61 年)
専修院東門:扶桑町指定文化財(昭和49 年)