いろは雑工記 第4回
石と土と
—私の見た日本建築の世界—
望月義伸
㈲伊藤平左ェ門建築事務所 名古屋事務所 所長
石との出会い
 建築に限りませんが、物創りには素材を生かすことが大切です。日本建築を支える素材に石と土があります。 その石との出会いは、助手として携わった薬師寺再建事業の玄奘三蔵院※1の設計です。設計を太田博太郎先生※2と小寺武久先生※3が、事務所では案を実施図にするなどの作業をしました。さらに、西岡常一棟梁※4が屋根廻りなどの詳細を検討されました。私の初仕事は、玄奘三蔵の石造の納骨塔の計画案を、風致申請に必要な図面にすることです。私の建築設計の第一歩は石造から始まりました。
礎(いしずえ)
 石造も時代による意匠の変遷があり、使用石材も多種です。現在は外国産の石も多く使われますが、国産石も全国に産地があり、今は産出されていない石もあります。石は、礎石・基壇・石垣や古墳のような構造材から、床や壁の化粧材として、石燈・玉垣・橋などの工作物、鉄平石での屋根葺にも使われてきました。礎石は奈良時代には自然石の上部を加工して中央に枘(ほぞ)となる突起を作出したものに発達します。この枘があることで、地震で多少建物が上下しても、元の位置に戻ります。現在は軸組と緊結することが基準ですが、地震力をすべて受けずに、ガタガタと逃がしつつ元へ戻るという、古代の知恵として見直されています。また、自然石の礎石の凹凸に合わせて柱を加工して据え付ける「ひかり付け」という工法は美観だけでなく、地震時に基礎との摩擦係数が増すことからも有効です。
 城の石垣のように石積みも工夫されます。自然石から切石まで多種におよび、趣のあるものが積まれました。東海地方でも庄内川の玉石を亀甲積みにし、目地をぴったりと詰める石積みなど、地方でも特色のある石積が工案されました。現在の擁壁はコンクリートが主流で、石積み職人も少なくなりましたが、やはり石積みは風格が違います。また、技術の伝承からも残したいものです。
石塔寺の石塔 礎石(奈良時代) チベットの版築風景
石の楽しみ
 薬師寺の石塔計画案は残念ながら実現しませんでしたが、石を知る貴重な機会となりました。その後も石との縁が続き、花崗岩産地の小豆島で本堂の建設があり、地元の石屋さんにて山での採石から加工までを知りました。山で巨大な原石を見ていると、石は貼るものではなく、据えて積むものだと実感します。
 続いて、高松の栗林公園(旧高松藩別邸)で茶室の保存修理の仕事がありました。庭内には藩主が集めた銘石や奇石が、園路には玉石が敷き込まれています。この玉石は飢饉に領民が石を持ってくることで、米と交換して救済したそうです。
 福井県では、寒さに強い笏谷(しゃくだに)石という薄緑の軟石と出会いました。愛知県では岡崎周辺が花崗岩の産地です。通常の花崗岩は硬めですが、県内の社寺には古くは少し黄味のある岡崎石が使われていました。軟らかで加工しやすく風合もよいのですが、近年は産出されなくなりました。岐阜県では恵那石や庭石で揖斐石も使います。
 このように地方ごとに特色ある石があり、その特性も風合も違います。山の多い日本ではどこに行っても石に出会えます。現場があるたびにどんな石に巡り合うか楽しみです。
作務の仏堂
 薬師寺と平行して設計が始まったのが光正院仏堂です。この建物が師の伊藤先生のもとで一貫した設計を経験した最初です。竣工までに10年を要しましたが、この経験がその後の仕事に大きく影響しました。光正院は名古屋は今池の繁華街近くにあり、住職は加藤良俊老師です。
 禅の修行に作務※5という言葉がありますが、まさに住職は実践されたのです。住職が自身でできることは、募金から施工までやられ、工事は直営工事に近いものとなりました。1年をかけて設計し着工しました。
版築を知る
 建物を永く丈夫なものにするには、しっかりとした基礎、それを支える地盤の安定が条件です。住職が提唱されたのが版築※6の工法です。版築での基盤作りは古代より用いられましたが、深くまで施工していたものが、基壇部分や柱下だけを版築するなど簡素になり、やがて版築はなくなってゆきました。
 そこで住職は、版築の経験のある法輪寺住職、井上康世師※7を訪ねられました。井上住職は三重塔の再建後、病に冒され入院されていましたが、幸いにも面談し、教えを聞くことが出来ました。版築の話を子細に語られ、「版築は、小さな子供が遊んで走り回るが一番よく締まるのですよ」と笑顔で話されました。大切な土の判断を「軽くにぎって開けると、パラッとするが崩れないのが良いですよ」と大きくて暖かそうな手を示されたのが印象に残っています。加藤住職は堂の全周に矢板を打って地山までの2.5mを総掘して版築を始めました。版築にふさわしい土(山砂)を見つけられ、それを6cmほどずつ敷いては棒で突き固めてゆく作業を、突き終わるまで3年余をかけ、1人で続けられました。さらに、礎石の入手から据付まで自身で完成されました。作務の行を実践された住職の精神力に脱帽です。
 当初は地耐力があるか疑問でしたが、版築は車の轍のあとが残る柔軟性はありますが、斜面を突き固めたところも、雨になかなか流れません。また、水を適度に通すことも利点です。地業として構造的、耐久性、環境などの総合的に考えると手間はかかりますが、人間が作りえる最良の地業だと評価します。
 版築は、ランマーなどの機械より人力での棒突きがよく締まり、女性や子供でも出来ます。男性が精一満に突き固めても土は踊るだけで、むしろ、女性が根気よく突く方が良いのです。江戸時代頃までは信者や檀家の女性達が白たすきに姉さんかぶりで音頭に合わせて、版築の奉仕をしたそうです。伊勢神宮の儀式には掘立柱の根元を棒で突き固める杵付祭が残っています。
瓦と鬼
 土に関連して、建築を風雨から守る瓦があります。光正院仏堂も平瓦が三枚重なる本瓦葺の製作が続いて始まりました。古代は寺院を建てるときに一番初めにしたのは現地で瓦を焼くことだそうです。瓦は奈良の瓦宇工業所で製作となり、小林喜造※8さんに瓦の話を聞くことが出来ました。職人さんの中でも、屋根職人さんが一番頑固です。それは、雨を漏らさないために妥協しないという厳しさの表れだと思います。小林さんは、その高度な技を持ち合わせた筋の通ったお人柄で、まさに瓦造りの鬼(守り神)でした。瓦は形だけではなく、土の選定から焼き上げまで、永い歴史の中で培われた品質のものが要求されます。また、従来通りの製作ではなしに、たえず工夫してフィードバックを重ねなければ良い瓦葺とはなりません。そんなことを小林さんより教わりました。
 師の伊藤先生から、ある程度の通気性のない瓦は雨カッパのようで、下地の木材をむらし、屋根の耐久性を低下させることを教えられました。本瓦葺の耐用年数は100年以上を目安としていますが、さらに永い年月に耐える瓦を作ることの難しさです。また、先生より古瓦の良否を叩いて知る方法と、葺替ごとに再使用され残る古瓦があること、古いだけで捨てないことの大切さを教えられました。古建築には当初瓦の使用例もあるように、選別して再使用を繰り返してきた瓦があり、その瓦が良いことは使われた年数が証明しています。古いというだけで、長期の性能が未定の新しい瓦と葺替るのは危険なことかもしれません。新しければ良いとはいえないのです。
土の壁
 光正院仏堂は、耐力計算から、木摺※9の下地壁でしたが、伝統的な土壁は小舞※10下地に荒壁をつけます。荒壁にする土は、練って3年以上は熟成させた良土が必要です。その間、土と稲藁を切った苆(すさ)を水で練り合わせを何度もします。それが発酵して独特な臭いとなります。苆は繊維状に土と絡んで強い荒壁が出来ます。土壁は、下地塗の方ほど強くします。現代では、乾式工法に押されて出番が少ないのですが、この小舞下地の荒壁は断熱性能もあり、健康、環境にも良く、構造的な性能も再評価されています。
 塗壁仕上げは地方により工法や土の違いがあり、石と同様にそれぞれの妙があり楽しみのひとつです。仕上げの代表の聚楽壁も、現代はメーカーの建材として揃っていますが、以前は地元で採れる土を選んで塗っていました。残念なことに各地に土はあっても、それを壁材として作る人がいなくなったようです。土の持つ多彩な表現が消えつつあります。
大地の素材
 石と土はまさに大地そのものです。石と土は建物をしっかり支えてくれる最も基本的な素材です。土を加工することで瓦や壁が出来ます。それは風雨から建物を、そして人を守ってくれます。人は大地の上に立ち、また大地の恵みで守られています。今思うと、私の日本建築の修業もそれを知ることから始まったようです。
※1 玄奘三蔵院 玄奘三蔵は三蔵(経、律、論を修めた僧)法師の高僧。中国より苦難してタクラマカン砂漠からインドへ。仏典を持ち帰った。玄奘三蔵院は、戦時中に日本軍が南京にて玄奘三蔵の骨を発見、その分骨が安置している。
※2 太田博太郎博士(1912 ~2007) 日本を代表する建築史家。東大名誉教授。
※3 小寺武久博士(1934 ~2006) 建築史家。アジア、中東の研究等。名古屋大学名誉教授。
※4 西岡常一棟梁(1908 ~1995) 法隆寺宮大工。法隆寺修理。法輪寺、薬師寺再建の棟梁。
※5 作務(さむ) ものを作り働くこと。作務をはげむことが修行となり仏道であるという禅の教え。
※6 版築 中国伝来の工法で土を突き固めて重ねてゆくもの。地業や壁に用いられてきた。
※7 法輪寺 井上康世住職(1933 ~1980) 法輪寺三重塔は昭和19年に焼失したが昭和50年に復元される。井上康世住職は先住職に続き、その再建に尽力。面談の2 ヶ月後に逝去。
※8 小林喜造(1904 ~1986) ㈱瓦宇工業所取締役。瓦作りの名工。
※9 木摺(きずり)下地 漆喰塗などの下地で巾狭の板を打ったもの。
※10 小舞(こまい)下地 土壁の下地で畳に竹を縄で編み上げたもの。
もちづき・よしのぶ
(有)伊藤平左ェ門建築事務所名古屋事務所所長。1956年滋賀県甲賀市生まれ。中部大学工学部建築学科卒。伊藤平左ェ門建築事務所に入社。現在に至る。
社寺建築、数奇屋建築、文化財保存施設などの設計・監理を行う。『社寺建築の銅板屋根』(理工学社)、『近江甲賀の前挽鋸』(甲南町教育委員会編)、「栗林公園掬月亭保存修理報告書」(香川県)他の共著。古い建物の再生活動、木挽、茅葺の修業中。