新連載
建築人類学の射程1
文化としての住まい
清水郁郎(大同工業大学建築学科 准教授)
巣と住まい
 わたしたち人のほかに、住まいらしきものをつくる生き物は、この地球上にたくさんいる。たとえば、ある種の昆虫や鳥、動物は、さかんに巣をつくる。そうした生き物の巣と人がつくる住まいの違いはなんだろうか。
 この問いに答えることは難しい。しかし、文化科学の立場からあえていえば、生き物の巣づくりと人の住まいづくりで決定的に違うのは、それが先天的なものか後天的なものかという点である。さらに、成長の過程でなんらかの学習を通じて獲得されるものが文化であるとの考えにしたがえば、わたしたちが暮らす住まいはきわめて高度な文化的活動の産物なのである。
 多くの昆虫や鳥は、巣をつくる能力を先天的に備えている。しかし、わたしたち人には、幼くして住まいをつくることは期待できない。人が住まいやその他の建築物をつくるには、なんらかの学習と経験が必要になる。人は、地域社会で成長するなかで、文化を参照しながら、さまざまな知識や身体技法を獲得する。そこには建築も含まれる。とくに、わたしたちが暮らす日本のように高度に発達した社会では、人は、建築にまつわるさまざまな専門的知識や身体技法を意図的に習得することで、はじめて住まいや建築物をつくることができるようになる。
 文化は知的活動であり、実践の総体である。世界にはさまざまな社会があり、その背景となる文化は大きく異なるけれども、どの文化もそれぞれ洗練されている。建築文化も同じで、物質としてはどのように簡素であろうとも、それをつくり出し、活用する人びとの考え方や知恵は高度に洗練されている。このような考えのもとに、人と建築、とくに住まいとの根源的なかかわりや暮らしの文化を、東南アジアのフィールドから考えてみたい。


典型的なアカの伝統的住まい
男性と女性
 雨季と乾季が繰り返されるモンスーンアジア。その中央に位置するタイ王国。北部には山地が連なり、その尾根線はミャンマー(前ビルマ)との国境になっている。
 今から十数年前。国境付近にある、アカと呼ばれる人びとの村をはじめて訪れて、しばらく滞在したときのことだった。住まいの特徴とそこでの暮らしぶりを目にしたわたしは、アカの男性と女性はきわめて対照的な存在であるとの印象を抱いた。
 棟持柱構造で入母屋の大屋根がかかるアカの住まいは、地面から2メートルほどの高さのところに床面がある高床式でもある。その内部は一枚の壁によって双分されており、ふたつの居室を男女がそれぞれ別々につかう。ふたつの居室はほぼ対称形で、谷側に蒲団やベッドのある寝室空間があり、山側には炉が切られた調理・食事空間がある。男性は手前側の居室で起居し、食事もそこでする。いっぽう、女性は奥側の居室で起居する。食事は、男性側で男性たちにまじって取ることもあるが、基本的には女性側で女性だけで済ます。禁止されているわけではないので、それぞれの居室の行き来もあるが、頻繁というほどではない。男性側の炉では、毎食、おかずをつくり、女性側の炉では飯を蒸す。男女それぞれの居室にはひとつずつ入り口がある。
 住まいに加えて、人びとの日々の暮らしぶりも、わたしが抱いた印象を補強する。多くの男性は、毎朝、村の中心にある広場に集まり、熱心に話をする。話題は、その時期の農作物の作況やその日の仕事の分担、地方行政にかかわる仕事や用事、伝統的宗教を覆い尽くそうとするほどに波及してきたキリスト教への対応など、多様である。なかには、激しく議論する人たちもいる。そうした集まりを遠くから眺めていた女性たちは、じきに農具を担いで畑仕事に出かけて行く。男性たちは、日が高くなるころに、やっと議論を終わらせて自宅に戻る。だが、皆が妻や娘の後を追って畑に向かうわけではない。一日中自宅で過ごしたり、よそに遊びに行ったりする男性も多い。
 町に買い物に出かけたり、役所でなんらかの行政的手続きをしたり、あるいは村のなかの公の場に顔を出したりするのは、たいてい男性である。女性は、食事をつくり、洗濯をし、暗くなるまで畑を耕したり作物を収穫したり、家畜に餌をやったりするなど、労働の大半を担う。男性が外で政治的活動や社会関係の構築にいそしむ代わりに、女性は、自宅と畑地で黙々と労働に従事する。特徴ある住まいに加えて、こうした日々の光景をたびたび目にすれば、おそらくだれもが、この社会では男性と女性はきわめて対照的な社会生活を送っていると考えてもおかしくはない。


儀礼のとき。円卓を囲む老女たち結婚式。
対照と相互補完
 村々への訪問と滞在を繰り返し、多くの人とことばをかわしていくうちに言語を覚え、人びとと少しばかり対話できるようになるころ。男性と女性についてアカの人びとがどのような考え方をしているのかもわかるようになっていった。
 人びとの住まいや暮らしぶりは、男性と女性の対照性をたしかに示している。しかし、さらにその先がある。
 それを理解したのは、「ひとつのものを等分に分ける」という考えに至ったときだった。人は男性と女性に分かれ、住まいは男性の居室と女性の居室に分かれる。村の古老によってアカの神話が紐解かれたとき、かつて原初の時代、最初にこの世界に生まれたひとりの人が男性と女性に分かれ、ひとつの住まいもそのとき、男性の居室と女性の居室に分かれたことが語られたのだった。
 相互に対照的であったり、対立したりするようにしか見えないふたつのものは、見方を変えれば、全体を構成する半分ずつなのである。ひとつを分けてふたつにしていると考えても、ふたつのものがひとつになって全体を組織していると考えてもよい。大切なのは、双分されたものの上位に全体があるということである。
 もちろん、これはわたしの単なる思いつきではない。たとえば、彼らの住まいの男女それぞれの居室には、「所有者」と呼ばれる存在がいる。この「所有者」とは、なんのことはない、男女それぞれの最年長者のことである。では、彼、彼女らは、なにを所有するのだろうか? それは、「住まい」である。ややこしい話になるが、じつは、わたしがここまで居室と表記したものは、アカのことばで正確には「住まい」である。男性の居室は「男性の住まい」と呼ばれ、女性の居室は「女性の住まい」と呼ばれる。意外なことだが、アカの住まいは、男性と女性それぞれの「住まい」があわさってできているのである。
 さらにおもしろいのは、物質としての住まいは男性だけでは決して永続しないと考えられていることである。住まい自体は男性のラインで継承されるが、女性という他者を結婚というかたちでよそから招き、子供を産み育ててもらわなければならない。双分された居室は、男女がひとつになって、ともに助け合いながら運営していかなければ決して永らえない住まいのあり方を示しているのである。
 シンプルだがきわめて合理的な考え方というべきだろう。もちろん、人や住まいだけではない。彼らが生きる日常は、多くのものがこの「ルール」を踏襲している。その後の2年間を彼らと共に過ごすことになったわたしは、その精緻な「世界」を垣間見た。
 二項の対立や対照性はそれだけで大きな意味をわたしたちに伝える。しかし、アカの住まいとそこに暮らす人びとは、一方が他方を排除したり対立したりすることなく、ふたつのものが共存しなければならないことを示す。さらに、相手があってはじめて自分の存在が意味を持つということさえも伝えるのである。
 文化人類学を学びはじめたころ、わたしが最初に覚えたのは、ものごとを自明のままで受け入れないで、その自明性をあえてカッコに入れてみるという姿勢だった。それにしたがって、今でもわたしは、ものを見たり考えたりしている。


壁を境にして男性と女性が別々に座る
しみず・いくろう|1966年新潟県生まれ。芝浦工業大学大学院建設工学専攻、総合研究大学院大学文化科学研究科地域文化学専攻修了。博士(文学)。国立民族学博物館、総合地球環境学研究所を経て、2005年10月より現職。フィールドワークをしながら、東南アジア、伊勢湾、南西諸島などで住まいと人、環境の相互作用環の微視的研究を続ける。現地社会の建設システムや構法を活かした住宅建設をタイで計画中(2009年に着工予定)。