第5回 木割の話
「堂」の種類と木割
河田克博
(名古屋工業大学大学院教授)
 今回は、仏教寺院に属する建築、すなわち「堂」の種類と木割についての話である。前回の神社建築にかかわる「社」と根本的に違うのは、神を祀る本殿と異なり、「堂」の建物のほとんどがその内部に人が入ることを前提としているため、人が入れないような極端に小さなスケールのものは実際には使えないことであろう。したがって、大工が木割に基づいて建物を造る際には、木割書に絶対寸法の指示がなくとも、常識的なスケール感覚が求められる。
「堂」の種類
 「堂」も、その種類は多種・多様であり、大きくは様式別に和様と唐様(=禅宗様)に分けられるが1)、江戸期の木割書にみる和様には部分的に唐様の要素が混じっているものが多数ある。また和様・唐様とは別に、儒教にかかわる建物には、江戸時代前期に我が国にもたらされた、いわゆる明様式で説明される「堂」もある。木割書に見える堂の名称を次に掲げる。
〈和様の堂の名称〉宝形堂、一間四面堂、三間四面堂、三間四方堂、三間堂、五間四面堂、五間四方堂、五間堂、七間四面堂、七間四面雨打作堂、七間四面二重作堂、九間四面堂、九間四面雨打作堂、拾壱間四面堂(北京大仏殿)、五間本堂、七間本堂、五間ニ三間之堂、七間ニ六間之堂、九間ニ五間之堂、八角堂、六角堂、経蔵、総堂、経堂、雨打作経堂、経蔵堂、金堂、東金堂、西金堂、中堂、講堂、大講堂、御堂造、食堂、説堂、読者堂、黒堂但シ太鼓有堂、護摩堂、御影堂、開山堂、庚申堂、水屋、祖師堂、開壇堂、戒壇堂、薬師堂、行者堂など
 多数あるが、このうち宝形堂から六角堂までは建築形式的にほぼ普遍的なもので、当時の大工は、これらの名称を見ただけで、どのような平面・形の堂であるか大体イメージできる。なお、ここで留意しておきたいことは、木割書における平面表記法は平安時代における平面表記法と異なることである。たとえば平安時代に「三間四面堂」と称する建物は、梁間2間・桁行3間の身舎の前後左右の四面に庇が付く平面形、すなわち外観からみると梁間4間・桁行5間の形となるが、木割書で「三間四面堂」というのは、あくまでも外観が3間×3間、つまり三間四方の平面形を意味する。平安時代の平面表記法を「間面記法」というが、もし平安時代なら、木割書の「三間四面堂」は「一間四面堂」と間面記法で表示されるわけで、歴史的に少々ややこしい。木割書が記されてくる室町時代後期以後は、単純な平面形のみに適用可能な間面記法はすでに無用の過去の産物となっていたのであろう。
 経蔵以下は、その堂の機能的役割を名称としたもので、その規模や形態は、各寺院の事情に応じて多様なものが生じてくる。大工はオーナーである寺院の使用法などの意向を伺いながら多様で個性的な設計を行うことが可能である反面、いわゆる標準的な雛形を作りにくく、木割書で明確に示すことが困難である。たとえば一例として造れば、こんなものですよ、という程度である①。
①西金堂の木割 ②雨打無仏殿の木割 ③三間仏殿の木割
〈唐様の堂の名称〉唐様仏殿、徒(す) 仏殿(直仏殿・須仏殿・雨打無仏殿)、三間仏殿(雨打付仏殿)、五間仏殿、法堂、輪蔵、輪蔵堂、内輪蔵、僧堂、七間僧堂、二階僧堂、庫裏、小庫裏、大庫裏、方丈、茶堂、雪隠(西浄・東司・浄頭)、浴室(風呂)、山廊・廻廊など
 これらの名称も、その堂の機能的な役割を示したもので、その都度、規模や形態を考えるべき類であるが、ある程度の標準形があり、雨打無仏殿②、三間仏殿③、五間仏殿、内輪蔵、山廊・廻廊などは、全国的に類似したものが多数存在している。
〈和様または唐様の堂の名称〉鐘楼、平鐘楼、鐘撞堂、鐘楼堂、鼓楼など
 いずれも時を知らせる鐘または太鼓を入れる堂であるが、和様・唐様の両様式が見られる。
〈明様式〉学殿、皇帝合宮など これ以外にも、儒教建築関係の木割を記した名称が一部に存在するが、本稿では割愛する。
④和洋の六枝掛 ⑤唐様の九段掛
「堂」の木割
 さて、堂の木割システムであるが、先に述べたように人が入り使用することを前提した建物が大半であるから、平面形の説明が第一に置かれ、各柱間を垂木間隔、すなわち枝数σで示す。
 まず和様については、たとえば中の間(大間ともいう)L… を基準とし、Lから内法高さを割り出して高さ方向の基準を定め、同じLから柱太さcを比例で示し、cから長押せい・貫せい・大斗幅など多数の部材寸法を説明するが、柱より上にある組物(間斗束、蟇股なども含む)は、大斗・肘木以外は垂木間隔との関係で説明される。組物と垂木は離れているから関係なさそうであるが、軒を下から見上げたとき、日本で発達した角垂木の端が組物とそろっていないのは日本人の美的感覚が許さなかったのであろう。これが鎌倉時代後期以降確立されたといわれる、垂木6本に三斗の巻斗が整合する、いわゆる「六枝掛」の手法である④。角垂木の発達しなかった中国や韓国では、このような組物と垂木との関係は考慮されていない。
 次に唐様については、流派2)によって説明手法が少々異なる。四天王寺流系本においては、上記の和様の手法に類似しているが、江戸建仁寺流系本においては、先に組物を垂木間隔との関係で詳細に設計したうえで、唐様であるから柱のないところにも同じ形状の組物が配される詰組となるところから、組物1ユニットを「アイダ」=αとして、αの倍数で各柱間を説明している。きわめて合理的な設計手法で、「八枝掛」と「九枝掛」⑤があるが、九枝掛の組物のほうがより繊細で、日光の大猷院霊廟本殿に実施例が見られる。
 堂の木割の一例として「三間仏殿」を掲げる。図版③の木割史料などに基づき組物の設計詳細⑤などを考察し、現代的な実用に即して作成した図が⑥・⑦である3)。
⑥三間仏殿 断面図 ⑦三間仏殿 側面図

1)… 拙稿第2回の注2)・3)を参照。
2)… 拙稿第1 回参照。
3)… 本稿に掲げた図版はすべて、拙編著『日本建築古典叢書3 近世建築書.堂宮雛形2 建仁寺流』(大龍堂書店、1988年)に記載。
かわた・かつひろ| 1952 年生まれ。
1977 年名古屋工業大学大学院工学研究科建築学専攻修士課程修了。
1990 年同学博士後期課程修了。工学博士。名古屋工業大学助教授を経て、2005 年より現職。
専門は建築史・都市史。
著書に『日本建築古典叢書3 近世建築書−堂宮雛形2 建仁寺流』(大龍堂書店)、ビュジアル版『城の日本史』(角川書店)など