第6回
杜からの言霊
森林の歴史をみる
速水 亨 速水林業
 このページを書かせていただいて一年がたち、この稿をもって最後となる。「森林の話でも」と言われて書き始めたが、あまり森林のことも書かずに最後となった。今回は森の話を書いてみよう。
発展のしわ寄せを受けてきた森林
 世界の原生林は文明の始まった8000年前を基準とすると、既に2割近くまでに減っている(WRI(世界資源研究所))。
 文明の興亡は多くの場合に森林の消滅と表裏一体となっている。メソポタミア文明・エジプト文明・インダス文明・黄河文明の四大文明も森林の消滅と時を同じくして衰退した。時代が流れてヨーロッパ大陸では中世に家畜の放牧や耕作で森林は消滅した。英国は第一次世界大戦のときに船を作る木が無かった。そのために税制を含めて森を増やす政策を取り入れたが残念ながら、今でも森林率は国土の12%以下である。今は南米やアフリカ、一部の南アジアではまだ森林の消滅が続いている。そして人手が入りながら森林が維持されているところは日本をはじめとして北米、ヨーロッパ、オセアニアなど、先進国が実は森林を増大させている。これらの森林は日本のように人工林とは限らずに、人が伐っても自然の回復に任せて森林利用を維持している森林も多い。これらの森林は適切に管理して世界の増大する木材需要をまかなっていく必要がある。
 世界の森林を荒廃させる大きな原因に違法伐採問題がある。日本で使われる木材の約8割が輸入木材であるが、少なく見積もってもその2割が違法伐採の木材で占められ、持続性の無さを見れば8割が持続性の無い木材だとも言われる。
 日本は江戸時代まで森林はどちらかというと荒廃し続けてきた。その時代の絵を見ると山にはぱらぱらと木が描かれているだけである。たとえば名神高速道路を走り、京都から大津を過ぎると「田上」と地名が出てくる。その周りの森林は山のあちらこちらに茶色い地肌が見えている。この地域は、三重県境を源流とする大戸川流域であり、信楽から大津市の南を流れ、瀬田川に合流する河川で、奈良・平安時代にこの田上山系の乱伐により大雨のたびに大量の土砂を流す状態となり地域の住民を困らせてきて、近世になり治山工事と造林により、やっと現在の比較的安定した状態になった。それでもまだまだ茶色い地肌が山腹に見えるのだ。山を荒らしてしまうとその再生には世代を超えた努力が必要なことがわかる。
 日本の森林が過去から循環が続いてきたというのは大いなる誤解である。森林は常に社会の発達のしわ寄せを受けてきて、やっと今の時代に森林の価値が多くの人々にわかってもらえるようになったのである。
潜在力を持つ日本の森林
 今、日本の森林の蓄積(森林にある木材の体積)は昭和45 年に19 億㎥ であったものが平成14 年には40 億㎥と約30年間で2倍以上に増やしている。このことは世界では日本だけが成し遂げた素晴らしい事実ではあるが、残念ながらこの資源が使われないまま山に眠っていて、今まで改善されてきた森林の機能が逆に荒廃しようとしている。
 日本の現在の木材需要は年間約8000万㎥である。そして毎年日本の森林は1億㎥の森林が成長し、概ね2000万㎥の木が伐られ、8000万㎥の木が森林に残っていっている。この木が全て伐採できるかというとそうも行かないが、森林面積が2500万haであるから1ha0.8㎥の木が伐られている。人工林の面積が1100万haであるから、これだけから伐られるとしても1.8㎥/ ha伐られている。
 実は私の森林では850haの人工林から毎年2500㎥の木材が市場に供給されている。3㎥/ haの伐採である。私の森林がある尾鷲林業地帯はスギに比べて成長が遅いヒノキが育つ林業地帯であるが、全国のヒノキの林業地帯の中で木の成長が悪い地域であり、そこでもこれだけ伐れる。推定値であるが今の日本の森林は概ね5000万~6000万㎥の毎年の伐採が可能だと言われている。これは生物的な生長から計算したもので、ここに木材価格や伐採搬出経費を考慮して将来伐採されていくと考えられるが、いかに日本の森林が潜在力を持っているかがわかる。
木材価格の低迷を経て
 国際的には今、様々な資源は争奪戦である。木材も、中国は急速な木材需要の拡大で一気に世界最大の輸入国になり、インドや石油産油国も大きな伸びを見せている。しかし木材価格は思いのほか低迷し、北米では米国の住宅建設市場にブレーキがかかっている。カナダの西海岸で発生している針葉樹の害虫マウンテンパインビートルのため被害木の伐採が増加して、もともと安い立木販売価格はほとんど0となっているなど、北米市場の製材工場は減産を続けているが、中小の製材工場は既に倒産が起きている。
 米国や日本への輸出が多かったニュージーランドも材価の低迷に見舞われている。そろそろ底値とは言うが、なかなか国内の林業が安定するには程遠い価格となっている。
 杉の立木価格は、既に昭和25年当時の価格より安くなった。この年の6月に朝鮮戦争が始まり、日本も戦時景気で物価がインフレの時代に入ったが、その時代の前に戻ってしまった。私が生まれる前である。確かに生産性の向上で様々なものが安くなったが、林業は生産性を上げるところは木を伐る所からの伐採、搬出が中心で、育てることは自然の力を利用して、時間を掛けて待つことが基本であるが、なかなか再造林が投資として魅力と思える生産性を確立することが出来ない。
 WTO交渉のドーハラウンドが先日決裂した。日本は農産品の関税をどこまであきらめるかの問題が表に出ていたが、実は木材は関税では優等生で、昭和39年に丸太の輸入関税が0%となり、輸入産品の中で最も早く自由化されたものが木材であった。
 結局、それ以降の林業経営を冷静に見ると、木材価格は昭和55年まで上昇したが、その上昇率は、林業労働者の労賃の上昇率には及ばずに、利益率は下がり続けていった。木材価格が上昇したので、森林所有者はなんとなく林業の先行きに対してはそれほど悲観的な予想をしていなかったと思われる。
 結局、低価格の輸入木材によって木材価格は引き下げられ、杉は建築に使われる木材では最も安い価格となったが、それでも住宅建築様式の変化やエンジニアリングウッドへの対応のまずさなどで、なかなか需要を引き戻せず、輸入木材が中国などの重要の拡大で手に入れにくくなって、やっと少しずつ使われるようになってきた。
今一度、木を使い続けること
 日本には日本書紀にスサノウの言葉として、「鬚を抜いて植えたら杉に成り、胸毛を抜いて植えたら檜になった。眉を抜いて植えれば樟となり、尻の毛を抜いて植えれば槙の木に成った。杉と樟は船に使い、檜は宮に使え、槙は寝棺に使え、これらの木を植えるように」といったと書かれている。この時代に樹種の性格を見抜いて、造林を推奨するなど本当に驚くべき日本の林業の歴史である。それが今は樹種の性格を知って木を使うということは無くなってしまった。それどころか木の持っている自然素材としての性質を評価せずに単なる原料として見てしまうことが多くなっている。
 この木材が育つ森林は、目に見える生物だけでなく、土の中にも数え切れない生き物が潜んでいる。そんな中で育つ木は極めて複雑な性格を持っている。たとえば木の強さを考えると強度は辺材部分が強い、つまり年をとってから出来た木材は強度が高い。しかし耐久性は木の心材部分に耐久性があり、木材になってからの年数を経ているほど耐久性が出る。逆にいえば辺材部分は出来たばかりの木材で耐久性が無い、心材部分は若いときに出来た木材だから強度は無い、ということとなる。スギなどはその耐久性の違いは驚くほど差があって、スギの心材部分の赤身は本当に水に強い。外で雨にさらしていても長い年数腐らずに耐えている。しかし辺材はすぐに腐り始める。スギの赤みはヒノキより水に強いといえばその強さはわかるだろう。
 木は生きているというが、生きているのは辺材部分だけで、心材部分は死んだ細胞であり木が生きていくには必要ない。巨木の心材部分が空洞であることが多いが、その証拠である。しかしここは木を支えるためには大事である。巨木の空洞もあまり大きくなると木は倒れる。木は上手くできているのである。
 建築家の方々はこのような木の歴史や木の複雑さを今一度学び、日本の木を施主に対して素晴らしい材料となるように使い続けてほしいと思う。それが素晴らしい日本の国土を守るためにとても重要なことなのだ。
 6回にわたって私の稚熟な文章を読んでいただいてありがとうございました。皆様、機会があれば、ぜひ山に足を運んで森の中で木を見上げてください。何か木々が語りかけてくると思います。

速水林業の林を通る熊野古道の石畳
はやみ・とおる|
1953年三重県生まれ。
1976年 慶応義塾大学法学部政治学科卒業後、家業の林業に従事。
1977~79年 東京大学農学部林学科研究生、硫黄酸化物の森林生産にあたえる影響を研究、森林経営の機械化を行うと共に国内の林業機械の普及に努める。
現在、1070haの森林を環境管理に基づいて経営を実行し、2000年2月に日本で初めての世界的な環境管理林業の認証であるFSC認証(森林管理協議会)を取得。
2001年第2回朝日新聞「明日への環境賞」森林文化特別賞受賞