第5回
金華の魅力
「まちを楽しもう」とする活動に共感
伊奈波地区でのゆるやかなまちづくり
野々村聖子
(財)岐阜市にぎわいまち公社
伊奈波地区
 金華地区は大きく分けて、長良川から順に南に下って川原町地区、井の口地区、伊奈波地区に分かれています。一番南に位置する伊奈波地区は、戦国時代、斉藤道三が金華山から移設した伊奈波神社を中心に商人の町が形成された地区です。 
 現在でも伊奈波神社参道周辺に、善光寺(織田信長が信州の善光寺仏を安置したことが起源。来年度4月に戦後初の御開帳が行われる)をはじめとした多くの寺社が残っており、商人町の名残の商家建築が点在しています。また、明治、大正期に行政中心であったため、レトロな洋館等も混在するまちなみでもあります。このような重層的な歴史経緯の結果、現在は何の変哲もない小さな公園が実は市役所の跡地で、その移転後は芝居小屋が、そして次には映画館があった等、地域の物識りさん達から「実は…」を聞いていると時間がいくらあっても足りません。
伊奈波界隈まちつくり会
 地区では、平成14年から住民による「伊奈波界隈まちつくり会」が、地区計画制度などによる地域の建物等のルール作成という目的を持ち、「まずは自分達がまちを楽しもう。楽しいまちにこそ人が集まり、自分達のまちを守ろうとする気持ちも伝わるであろう。」という活動スタンスで活動を行っています。
 彼らの主な活動としては、まず第一に「桜祭り・桜ウィーク」の実施が挙げられるでしょう。
 伊奈波神社参道の両脇にはしだれ桜の見事な並木があるのですが、活動開始当初はそれほど知られた存在ではありませんでした。また4月の第1土日の「岐阜祭」には、伊奈波神社に4体の山車と数多くの神輿が集まりますが、土曜の夜の宵宮にしか人出がない状態でした。
 このため、祭りの前後2週間程度、桜をライトアップし、周辺の店から協賛を募り割引セール等を行う「桜ウィーク」を、日曜日には神社前の広場で地域住民が舞台で催しを披露し、会が豚汁や団子等の屋台を出す「桜祭り」を開始しました。今では夜桜見物の皆さんに温まってもらおうと週末のオープンカフェも実施しています。
 この結果、伊奈波の桜やお祭は徐々に市民権を得てきたようです。ライトアップに浮かび上がる桜並木は本当に美しく、訪れる人は徐々に増えおり、私が友人らを案内すると口を揃えて「見るべきところは何もないと思っていた」岐阜の意外な美しさに驚きます。
 活動は外部の人々に地区の良さを伝えただけでなく、地区住民の方達に「実は美しい」自分達の町の姿やまちつくり会の活動を知らせ、会の活動も少しずつ地区に伝わっていったようです。
 当初は反対していた住民がライトアップの点灯作業を手伝ってくれた、中学生が落ち葉掃除の手伝いをしてくれることになった…以前にまちつくり会長がうれしそうに話してくれたひとつひとつの積み重ねの結果、平成17年には住民の8割以上の賛同を得てまちづくり協定(住民間の紳士協定)が締結されています。










桜満開の伊奈波神社参道 桜祭りの風景 かつて置屋さんだった建物
まちを楽しむイベントも増えてきた
 一方、地区では最近、数多くのまち歩きイベントや音楽会、寄席、書の展示といった「まちを楽しむ」取り組みが行われるようになってきました。
 例として昨年度行われたコンサートを挙げてみると、自治会主催で一般家庭の蔵で行われた室内楽団と男声合唱のコンサート、若者たちが町家で行ったサックスコンサートとバンドネオン、ギターコンサート、同じく町家でNPO法人が開催したフルートコンサート、住民(個人)主催の洋館でのジャズコンサート、バイオリンコンサート、まちつくり会共催の路上での絵本の弾き語りライブ…といった催しが23.4haというさほど広くもない地区の中で、それぞれ異なる団体主催で行われています。
 それらひとつひとつは独立していながらも、お互いが参加しあったり協力したりとゆるくつながっている。
 このような活動は、まちつくり会の活動開始以前には、あまり実施されていなかったように思われます。
 会がただルール作りだけを追求せず、「まちを楽しもう」とする活動で住民の共感を得る活動を行ってきたことが環境を構築したのではないでしょうか。さらに他の活動も認め応援していく姿勢が多くの活動を引き出してきたと言っても良いのではないでしょうか。
 この結果、まちづくり会だけがまちをリードするのではなく、さまざまな団体や個人がお互いに関係しあって、少しずつまちを持ち上げる、そんな動きが生まれつつあるように思われるのです。
行政との連携
 民間同士だけではなく行政との関係でも同様です。
 岐阜市では平成7年に岐阜市都市景観条例を制定し、「住民が主体となったまちづくり」に行政が支援をする形でまちなみ景観の形成に取り組んできました。
 私は会が結成される以前の平成13年から景観担当、まちづくり活動支援担当としてこの地区に関わってきましたが、当初は双方が、行政不信、型にはまった枠から出てこない行政の間柄であったように思います。その後も山あり谷ありスムーズに関係が構築されたわけではありません。もう戻ってこないものもあります。
 しかしお互いに顔を合わせ、悔しさや無力感を共有しながら、住民の皆さん、地域に関わる専門家や団体の皆さんと少しずつ進めてきたこと(景観ルールの策定や助成制度の確立等)には、少なからず地域の声が活かされていると信じます。
 ちなみに、この記事が掲載される8月には、(財)岐阜市にぎわいまち公社の「ぎふ景観まちづくりファンド」(国、市の拠出金に加え住民の皆さんからのご寄附を基に町家の修景や補強工事などに助成を行う制度)の啓発を兼ねて、「町家スタンプラリー」(今まで古いまちなみに関心が薄かった若者や子供たちにも町家体験を!ということで、サッカーチーム「FC岐阜」の選手と一緒に町家や寺社を巡るイベント。8月3日開催)を予定していますが、チェックポイントは全て民家や事務所であり、事業趣旨や実施内容に対する住民の方達の信頼や協力がなくては実施不可能なものであります。
 お互いの意見を聞き、出来るところから協力し合う。このような関係が少しずつ築けてきたことを誇りに思っています。











提灯祭りもステキです 蔵でのコンサート風景  洋館 現在は画廊です
ののむら せいこ
岐阜市出身。三重大学人文学部卒業後、岐阜市役所に入庁。
2001年から景観整備課 → まちづくり事業室 →( 財)岐阜市にぎわいまち公社(派遣)で景観業務、まちづくり推進業務に取り組んでいます。
2008年3月、愛知産業大学大学院修士課程修了(建築学)