第5回
杜からの言霊
広葉樹 vs 人工林?
速水 亨 速水林業
森林だけの時間軸
 「人工林は寂しい林です」「ドングリのなる木を植えよう!」「ブナは水を作ります!」「スギ林から崩れ易い」。
 このように樹種や林の成り立ち方をとらえて、様々な評価が与えられている。
 昭和30年代、主要新聞は「奥地暗黒国有林を成長力豊かな人工林へ転換せよ!」「大山林地主は伐り惜しみしている」・・・・。当時は国会でも同じような議論が繰り返されていた。木材価格の高騰を批判するこうした世論に対して、国有林側は、天然林から伐採した太い丸太をトラックに載せて銀座をパレードし、木材供給の姿勢を顕示した。民有林でも、先日話題になった緑資源機構の前身である森林開発公団が作られ、天然林をスギやヒノキの人工造林に替えていった。戦後復興に伴って木材が不足し、国民は国有林にも民有林にも森林伐採を強く求めた。広葉樹林をそのままにしておくことは、国土の有効利用からして、罪悪のように言われた時代であった。一方で、国内の森林から木材を生産できないなら、海外から輸入せよという声も高まった。昭和36年から39年にかけて、木材の関税は引き下げられ、丸太は完全に無税となった。
 私が林業を志した23年前には、状況は一転していた。針葉樹人工林に対する批判が激しくなり、林業経営者は肩身の狭い思いをした。
 林業に携わっていると、ビジネスや日常生活とは少し違う森林だけの時間軸を、別に持っている必要があるような気がする。5年ほど先が「目の前」、20年先が「さしあたり」、目標は50年先であり、頭に描く森林の姿は80年から100年先のものである。たしかに、どんな業界も、社会の要求には応えていかなければならない。しかし、先に述べたように、その時の時代情勢だけで政府やマスコミの求める森林政策が変わることは、林業界を混乱させ、森林の管理を困難にさせる。森林管理には長い時間が掛かる。しかし、20年先、50年先の森林の姿を決めるのは、今の作業なのだ。長いからこそ今の判断が重要になる。
 現在、各地で市民参加の森林管理が叫ばれ、実際に市民が森林に出向き苗を植えたり、間伐したりしている。その時に選ばれる樹種はサクラ、ケヤキ、コナラなどが多い。広葉樹が選ばれるのは、針葉樹に比べて環境的に優れ、さらに手入れをしなくても森林になると、多くの人が思っているからであろう。
針葉樹人工林は悪役か?
 たしかにスギやヒノキの針葉樹林は間伐が遅れ、暗く、林内に草木のあまり生えていない状態の森林が増えてきた。ただ、広葉樹林も、人が植えれば「人工林」であることにかわりない。広葉樹のほうが針葉樹より進化のステージが高いところにあり、種の防衛機能が様々な形で高い。それゆえに人工林としては管理しづらいのであり、広葉樹林の適切な管理体系をしっかりと持っている人は数少ない。
 たとえばコナラ(Quercus)属は生物相互の作用として、化学物質を出して、他の植物を寄せ付けない状況を作り出し、下層の地面への草木の進入を阻害する。この作用をアレロパシーと呼ぶ。これはコナラに限らず、オニグルミはより強く、ブナも持っていて、ブナの森林の下層にはアレロパシーに抵抗力の有るササは繁茂していても、他の植物はあまり生えない。そこで、これらの広葉樹を斜面にまとめて植えたりすると、周辺の植生にもよるが、往々にして落ち葉のみが存在する寂しい森林になり、急傾斜の場合には落ち葉が移動して裸地化し表土流失が発生する。
 その点、スギやヒノキは簡単で日光さえ地面に届かせれば、多様な林になる。これらの木は進化のステージが低いため、アレロパシーとしては抗菌作用のあるフィトンチッドを発生するぐらいである。
 ではなぜ針葉樹人工林が悪役になっているのか。それは本来手入れをして機能が維持できるはずなのに、不採算になったため誰も手入れをしなくなっているからである。では広葉樹に採算性があるのかというと、残念ながらスギ、ヒノキ以上に採算性は低い、と言うよりも、無いといったほうがいい。
 私は広葉樹が好きで、ヒノキの林内に多く生やしているが、それらは植えたものでなく、光を管理して自然に生えるようする。広葉樹は種類が多く、その森林にどの広葉樹が適切かはなかなか判断できない。そこで条件だけ整えて、後は自然の推移に任せるのである。
 その結果、広葉樹主体の保護林に生える植物が185種であったのに対して、環境的な管理を実行した速水林業のヒノキを主体とした人工林には、243種の植物が生えていた。
 手入れをしない人工林は最も見苦しい状態を示すが、だからと言って単純にドングリのなる木を植えればよいというものでもないのである。
 植物には適地というものがある。たとえば北関東が北限のクスを、より寒い北海道に植えても育たない。生態的適地、生物的適地という言葉がある。狭い範囲で考えてみよう。たとえばスギは、森林の斜面の中腹から下方に植えるとよく育つ。水分や栄養が豊富であるためだ。しかし自然の状態では、スギは中腹から上に生えていることが多い。他の植物と競合しなければならないとき、栄養や水分条件で優位にたてるからである。「杉」と言う字は木辺に水と書く。水も栄養も豊富な山腹下部はスギの生物的適地だが、ほどほどの水と栄養の中腹以上でスギが他の種との競争に勝てる生態的適地なのである。林業家は、生物的適地に木を植え、管理によって生態的適地の状態を作り出すのである。

針葉樹人工林のヒノキとその下に自然に生えてきた広葉樹が層を成し、シダが地面を覆う速水林業の人工林
木に対して畏敬の念を
 「スギ林から崩れ易い」という話もよく聞く。スギを植えるときは土壌の深い水分が多いところに植える。結局そこは崩れ易く、大雨が降ると上の木の種類に関らず崩壊する。表面の土壌が流れたり崩れたりする場合は、生えている森林の状態が影響を与えるが、数メートルの深さから崩れる場合は、表面の森林の状態より、地形や土壌の種類、地下の水の状態が崩壊か安定かを決めるのである。「スギ林から崩れ易い」のではなくて「スギ林が崩れ易いところに植えられている」という表現が適切であろう。広葉樹はやせた上部や尾根筋に残される。だから広葉樹の生えている場所はおのずから崩れにくい場所なのである。
 「ブナは水を作ります!」はどうであろうか。ブナは本来、水が多いところを好む。ブナ林とスギ林は接して存在することが多く、ブナの林の中にスギの巨木があったりもする。ブナも水の多いところを好む植物なのだ。ブナ林は自然林が多いので、そこが生態的な適地であり、時と共にアレロパシーの強さで他の草木を次第に追いやり、生物的な適地である水系の周辺に陣取るのである。
 長期を要する森林管理の方針を、人々の生活のリズムに沿って変える際には、充分に配慮が必要で、そこには生き物を扱うという謙虚さが大事である。どの木にも長い進化の過程で持った独自の性格があり、それを如何に大事にしていくかが森林管理の基本である。
 森林は想像を絶する長い時間を掛けながら形づくられる。極相林という言葉がある。英語ではクライマックスという。植物群が世代を重ね競合しあいながら変遷し、最終的に一塊の植物群が安定した状態を表す言葉だ。当然枯れたり倒れたりで小さな変化はあるが、それも全体の中では安定しているととらえられる。
 この状態に至るまで、どのくらいの時間が掛かるかは予想するしかないが、スギの寿命を考えると、縄文杉などというウン千年というのは特別で、常識的にはせいぜい数百年であろう。この寿命を2度ほど繰り返せば、スギの林もいつかは陰に強い広葉樹とスギが点在する極相林になると思われる。
 このような長い時の流れの一瞬が、木材として伐り出される。木に少しだけでも畏敬の念をもって接することが出来れば、木の家に住む豊かさが実感できるのではないだろうか。

コナラの下の土壌がアレロパシーの作用でむき出しになっている。周りのヒノキ林ではシダが生い茂っている。
はやみ・とおる|
1953年三重県生まれ。
1976年 慶応義塾大学法学部政治学科卒業後、家業の林業に従事。
1977〜79年 東京大学農学部林学科研究生、硫黄酸化物の森林生産にあたえる影響を研究、森林経営の機械化を行うと共に国内の林業機械の普及に努める。
現在、1070haの森林を環境管理に基づいて経営を実行し、2000年2月に日本で初めての世界的な環境管理林業の認証であるFSC認証(森林管理協議会)を取得。
2001年第2回朝日新聞「明日への環境賞」森林文化特別賞受賞