保存情報第81回
登録有形文化財 森川邸・三浦邸(大湫宿) 後藤晃範/圓 空間設計工房

向こう側が三浦邸、手前が森川邸

内側から見た大戸(森川邸)

表から見た大戸(森川邸)

箱階段(森川邸)
■紹介者コメント
 中山道の美濃路16宿の中にあり江戸から47番目の宿場町として設けられた大湫宿は、都会の騒々しさを忘れさせてくれる素敵な場所である。
 町の中心にあるコミュニティセンターの前に立つと建物の間口が広く瓦屋根が葺かれた民家、森川邸、三浦邸がある。大湫宿は街道がほぼ南北軸に通り、それらの民家は道沿いに主屋を配置し、平入りの形式をとって並んでいる。主屋の背後にある庭を取り囲むようにハナレ、蔵、納屋が配置され、地形上、日当たりが大変良い。三浦邸は現在生活が営まれており、内部が一部改造され「通り土間」がなくなっているが、入り口廻りの大戸や表の格子は昔の面影を残している。隣にある森川邸はほぼ昔の原型を残した状態で保存されている。
 平面的には「通り土間」に沿って「みせ」「なかの間」「座敷」の部屋を並べ、他の地域に見られる町屋と共通するものがあるが、大湫宿の民家は間口が大きいので、それらの3部屋が2列に並ぶ例が多い。また、街道側は2階建て、裏の庭側は平屋建てという、江戸時代に作られた断面構成である。
 この町では、平成18年に4件の民家が登録有形文化財に指定され、2件は現在も生活が営まれている。住民の方々の意識で、残されている歴史的資源を大切に維持していく事に町全体が取り組んでいるが、実際に指定されてからの住民の戸惑いはあるようだ。
 維持の問題、そのためにはどう活かしていくか、それらを展開していく中で町はどう変貌するのか、その姿は住民にとって望んでいた姿なのか、また訪れる者にとって求める姿なのか、今後の「大湫のまちづくり」を注視していく必要があると思う。(追記/釜戸から入る町の入り口にある「ゴルフ場の看板」は排除願いたいです。大湫の景観を台無しにしている )
所在地:岐阜県瑞浪市大湫
森川訓行邸( 江戸末期) 主屋 
登録番号 第21-0092
三浦邸( 江戸末期) 主屋 
登録番号 第21-0091
参考資料:中山道大湫宿歴史・自
然環境調査報告書(日本ナショナ
ルトラスト)、「ARCHITECT」 06.6 月号
登録有形文化財 萬乗醸造 森口雅文/伊藤建築設計事務所

新町通りに面して「主屋」、「離れ」、「新蔵」

「土蔵」の黒漆喰壁と開口部
■紹介者コメント
 萬乗醸造は、江戸時代後期創業の造り酒屋で、古文書によれば、当主久野九平治(その後、年代は不詳であるがこれまで九平次を呼称)は、江戸時代初期、1648(慶安元)年に尾張国知多郡大高村の庄屋を勤めた旧家である。
 最近は、第15代 久野九平次(久野晋嗣氏)による「醸し人九平次(かもしびとくへいじ)」の銘柄で、地酒の国際化を目指す蔵元として、パリの三ツ星レストランで高く評価されている。欧米で評判が高く、日本ではなかなか手に入らないとのことである。
 2007(平成19)年7月31日に文化財保護法により下記の主屋など10棟と井戸2箇所が登録有形文化財に登録された。
 敷地の東側の新町通りに面して中央の「主屋」(江戸末期 以下( )内は建築年代を示す)は、黒漆喰壁でおちついた外観をもつ。主屋の南隣には黒漆喰塗りの大規模な「土蔵」(大正期)が屋敷の景観に重厚感を与えている。北隣には、数奇屋建築である「離れ」(大正期)が建築されている。離れの北と、さらに西には、大規模な仕込み蔵である「新蔵」(明治初期)と「中蔵」(江戸後期)、その南には「元蔵」(明治中期)と、醸造場の中心施設が連なっている。元蔵の南には「瓶詰作業場」(大正期)と「旧精米作業場」(大正期)が中庭を囲んで連なり、南側道路から中庭への通路を介して土蔵に繋がっている。中庭の中央には「白米倉庫」(大正期)と「内井戸」(江戸後期)があり、南側道路を隔てた近接地には「旧仕込蔵・樽修理場」(江戸後期)と「外井戸」(明治初期・昭和初期増設)が残っている。
 老舗の醸造業を支えてきたこれらの施設は良好な状態で残されていて、醸造の機器こそ最新のものが設置されているが、建物は現在も手を入れながら往時のまま利用されている。案内してくださった第14代 久野九平次(久野忠雄氏)からは、今は何とかなっているが、今後これらの施設を活かしながら維持していく上で、大工をはじめ左官や瓦などの職人の存続が危具されているとのことであった。