第4回
金華の魅力
「この町並みと暮らしを残したい」
ぎふ町家情報バンクのこれまでとこれから
蒲 勇介
ORGAN デザイン室代表・デザイナー
住んでみてはじめてわかった町家のこと、金華のこと
 まず私事からで恐縮ですが、僕がこの金華というまちに引っ越して7月で2年になります。2年前、独立してデザイン事務所を始めていた僕は、岐阜でまちづくりをしたいと強く思う一方で、20代の自分には、地に足のついた『暮らし』の感覚が足りないということに気付き始めていました。
 「自分のまち」を探す中でもとりわけ、岐阜というまちが生まれた場所であり、今もなお古い町並みを残すこの金華に魅力を感じていましたが、偶然のご縁が重なって、岐阜市靱屋町にある築110年の町家(現在の自宅兼職場)に引っ越すことができました。地域の方も、珍しい新参の若者を温かく迎えてくださって、金華での暮らしの第一歩がスタートしました。
 住んでみると面白くて、夏は昼でも暗く涼しいけど、冬はとても寒いこと、部屋が暗いせいで光のある庭がとても美しく見えること、一段高くなった離れのつくりに、水害に見舞われ続けたこのまちの歴史を見たり…。多くの方が我が家の広い居間に遊びに来て泊まっていくし、屋根裏からものすごい物音が聞こえてくることもしばしばで、いろんな人や生き物と共同生活をしている気分です。
 岐阜市は、明治24 年(1891 年)の濃尾大震災によって、当時の全戸数の約6割を全・半壊で失うという壊滅的な被害を受けました。長良川上流から運ばれてきた材木・和紙などの交易で栄えたこの金華には、おそらく数々の素晴らしい建築物が立ち並んでいたことが想像できますが、震災を経てなお現在まで残されている建築物は非常にまれです。ほとんどの建物は、古いとはいっても震災後に建てられた築100 ~ 120年程度のものが中心だと思います。
 材木商、紙卸商の大きな商家、明治、大正時代の華やかな花街を偲ばせる貸座敷・お茶屋さんだった建物、旅館や料理屋など、いわゆる「町家」形式の木造建築も予想以上にたくさん残っています。
 移り住んで初めて気付いたことが、現在も住み、使われている町家がとても多いということです。とはいっても多くはお年寄りだけの二人所帯かお一人住まい。時代の流れとともに、どんどんと減ってきたようです。
 僕が移り住んで一年足らずの間にも、近所の木造建築が次々と壊されていき、アスファルトの駐車場や新築の家に建て替わっていく様を見ていると、焦りがこみ上げてきました。
多様な人が集まり、生まれた「ぎふ町屋情報バンク」
 我が家の居間で定期的に開かれている「景観サロン」という寄り合いには、大学の先生や建築家などの専門家や、地元のまちづくりに携わる方、役所の景観やまちづくりに携わる方、それと僕らの仲間の若者が集まって、それぞれの活動の情報交換などを行っていました。みんなは町家そのものに興味が出てきて、古い町家の見学会なども行う中で、金華ならではのこの古い町並みが壊れていくのを、なんとか守れないかという気運が高まってきました。
 そして「借り手と貸し手を繋ぐ縁づくり」を掲げ、2006年の11月に、ぎふ町家情報バンクが立ち上がりました。理事には、岐阜大学の山崎先生、富樫先生、地域のまちつくり会の川島さん、安藤さん、それと僕。事務局には若い仲間が参加しています。京都のように空き家がたくさんあるわけでもなく、不動産情報が公開されているわけでもない岐阜では、「この家、どうするつもりかな?」と思ったときに大家さんに直接お話し、「借りたい」という方をご紹介していく、というような直接的な縁繋ぎ(実際の契約の際には不動産屋さんに入ってもらいます)しか方法が無い、というのが僕たちの結論でした。おかげさまで町家暮らしに興味のある若い人が次第に集まって来て、現在やっと、交渉が進む物件が現れ始めました。
地域の方や若者などで、金華の町家をめぐるツアーを行いました。 冬は炭に火をおこして、火鉢などであったまります。僕たちの世代はこんなことも初体験です。 町家バンクの発足お披露目会には、学生落語家さんをお呼びしての落語会も催しました。これもせまい我が家にぎっしり人が詰めかけてくれました。
ハードとしての町家を残すことが、問題解決なのか?
 最近、町内会の集まりなどに参加していて、この金華のまちには、子どもと、30代~ 50代の働き盛りの方がとても少ないのだということが分かってきました。
 金華のマジョリティである60代後半から70代のお年寄りにお話を伺うと、彼らの息子さん、娘さん達は高校を卒業すると多くは東京や県外の大学に進学し、そのまま東京で就職、現在は商社の部長さん、だとか、東京で建築家、だとか、フライトアテンダントetc.etc…。そんなサクセスストーリーは枚挙にいとまがありません。高度経済成長、バブルの時代に上京してキャリアを積み、華やかな成功を収めた人たちですが、彼らの中にこのまちに帰ってくるという選択肢が、果たして残っているでしょうか? これは金華だけが抱えている問題ではないかもしれませんが、実際に、ここにある町家を受け継ぐ人が、いないのです。
 このあたりの商家の町家は、お年寄り二人で住むようには設計されていません。丁稚さんやお手伝いさんを含めた大家族で住み、初めて維持できた様式です。バリアフリー改修をしなくとも、お年寄りも家族の一員として助け合いながら暮らす、そういう住まい方の中で合理化されてきた建築様式なのだと思います。
 そんな、現代では“暮らしにくい”家にお一人で暮らしているお年寄りに「町家は貴重だから壊してはいけない」なんて声高に言うことに意味があるのでしょうか? まだまだ、ハードとしての町家を保存維持していくことさえままならないにも関わらず、そんなことを思いはじめました。
町並みを守るファンドの発足と、学生と一緒に金華の町家調査
 この春、岐阜市と市民の協働による「ぎふ景観まちづくりファンド」が発足し、岐阜市の古い町並みを守るための改修に対する助成制度が始まります。このファンドの発足にあたっては景観サロンでも侃々諤々議論して、なるべく住んでいる人の使いやすいものになってきたと思います。僕たちはお披露目の町家落語会などを企画しています。もちろんお客さんの席料の一部は、この町並みを守るためにファンドに寄付されます。
 それと、今年度は岐阜大学の学生達と協力して、この地域の一斉の聞き取り調査を始めます。町家が壊されていく背景には、それぞれのお家のやむにやまれぬ事情があるはずです。数字では計れないこの金華の現状を知り、その上で必要な事業モデルを改めて考えよう、というのが調査の目的です。また、町家に住んでいる人たちともっと話してバンクの活動も知ってもらいたいし、家を残すという選択肢があるのだということを知ってもらわなければなりません。
 何より、このまちに惹かれる若者が、実際に暮らすお年寄り達と話すことで、新しい世代間交流が生まれることを期待しています。町家を保存するだけではなく、この町並みと暮らしを、次の世代に受け継いでいくこと。それが、ぎふ町家情報バンクの使命なのかもしれないと考えています。
金華の町並みや歴史、文化を調べながら撮影をし、紹介冊子なども作りました。これはその撮影風景。 普段は静かな町家。真夏でも風が通って比較的涼しい環境で仕事をします。 月に一度の「景観サロン」では、世代やセクターを越えてたくさんの人が集まって、寄り合いをやっています。
かば・ゆうすけ
1979年、郡上市生まれ。岐阜工業高等専門学校を経て、国立九州芸術工科大学編入学。在学中よりフリーランスデザイナー。2003年よりUターンし、地域づくりのNPOに携わる。2005年デザイン事務所 ORGANデザイン室を立ち上げる。NPOや企業のCSR事業など、セクター間の協働とビジョン作りを支援するデザイナーとして活動する傍ら、十数名の若者とともにまちづくり団体「ORGAN」を始める。2006年ぎふ町家情報バンク理事。最近はチンドン屋も始めました。