第3回
金華の魅力
町家と人との共存関係
「町家での美濃和紙と書の展」
水野馨生里
フリーライター
「旧松喜邸」との出会い
 「なんだか、おばあちゃんの家に来たみたい」
 「そうやね。初めて来たのに懐かしい、温かいかんじがするね」
 「旧松喜邸」(以下「松喜邸」)を訪れた2人の若い女性が口にした言葉がいつまでも私の頭から離れない。
 2007年8月26日、“町家での美濃和紙と書の展”(以下「美濃和紙と書の展」)が灼熱の太陽の光が降り注ぐ真夏の日に開かれた。岐阜市の伊奈波神社の近くにある松喜邸に150人ほどの人が詰めかけた。老若男女、近所に住む方、古い町家に関心を寄せる人、美濃和紙や書に興味のある人、まちづくりに携わる方。こんなにたくさんの方が足を運んでくださるとは…、私の喜びはひとしおであった。さて、この美濃和紙と書の展は、松喜邸を実家に持つ滝さんとの出会いがきっかけとなり実現した。
 前回の「金華の魅力」でも紹介された「景観サロン」に私も足を運んでいる。私はまちづくり関係者でも建築の専門家でもない。ただ、受け継がれ大切にされてきた町家やそこに息づく人々の営みが愛おしく感じられ、町家の家主やそれを守っていこうとする方が集まる景観サロンを訪れることは私の楽しみの一つとなっているのだ。
 滝さんは、今は愛知県にお住まいだが、主を20年ほど前になくした松喜邸の維持管理をするためしばしば岐阜を訪れ、月一度の景観サロンにも参加される。家を守っていくことに積極的なのだ。
 金華地区には濃尾大震災後に建てられ、戦火を逃れた町家が残る。松喜邸もそのひとつで、築およそ120年。仏壇屋を営んでいた。手前は町家の造り。土間の真上の天井は開閉式になっており、滑車にロープが掛けられている。これを利用して2階から仏壇を上げ下ろしできるようになっているのが特徴的だ。母屋はウナギの寝床で奥行きがあり、中庭には立派な松が植わっている。その奥の離れは数寄屋造り。欄間などの装飾が凝っていて立派な佇まいである。
 2006年7月、私は景観サロンのメンバーとともに松喜邸を訪れた。普段よく通る道に面しているが、入るのは初めてだ。身近だけど遠い存在だった。いまも残る土の三和土。ひんやりと気持ちがよくて、外の暑さを忘れさせてくれた。隅々まで掃除が行き届き、焦げ茶色の柱は艶めいて、「なんかいい雰囲気だな」と感じたことを覚えている。
町家でのアートパフォーマンス
 美濃和紙と書の展を松喜邸でやらせてもらいたいと思ったのは、この訪問で感じた良さがいつまでも忘れられなかったからだ。それをより多くの人に感じてもらいたいという思いがあった。「1000年以上脈々と続いてきた美濃和紙の文化を伝える」をテーマの一つとする今回の企画にふさわしい“連綿と大切に受け継がれてきた町家”であったことも確かである。
 滝さんは「こんな古い家だけど、もしよかったら…」とお借りすることを快諾してくださった。美濃和紙と書の展は、古来の手法で美濃和紙を漉き続ける30代の美濃和紙職人と、書の新しい可能性を追求する20代の書家姉妹が参画。古からの美濃和紙の伝統と斬新な書のコラボレーションにより新たな文化を創造する。伝統的な和紙をキャンバスに、書家の感じるまま独創的に筆を走らせ、完成した作品は全8点。松喜邸ではこれら作品の展示と、その場で書を制作するライブアートパフォーマンスを実施する。
 当日は暑くなるという天気予報。冷房はないけれど、訪れた方には少しでも涼しく過ごしてもらいたいと、氷柱を立てることにした。伊奈波神社の参道沿いに昔から氷屋さんがあることを聞きつけて、巨大な氷を調達。こんなところに氷屋さんがあるんだ!と新発見。木桶の中に氷柱を立て上に草花をあしらった。
 「まだ2、3回しか日の目を浴びてないのよ」と笑いながら、滝さんは玄関口に張る家紋入りの立派な幕を出して来てくださった。結婚式のときにも使われた思い出深いもの。こんな大切なものを使わせてもらえるなんて…、と感激で胸がいっぱいになった。
 作品の展示は、家の至るところに。床の間はもちろんのこと、入り口の漆喰の壁、風が吹くとゆらゆらと揺れるよう窓の横に、さらには開け放った開閉式の天井を通して見られるよう2階の天井からも吊した。作品だけではなくて、家自体も見てもらいたいと考えたのだ。
 一番大変だったのは掃除だ。前日から書家や和紙職人も加わってみなで大掃除。その前から当日に備えて、いつもより頻繁に掃除をしてくださっていたので、すでに大方済んでいた。暑い中、はいつくばって掃除し汗を流すのは気持ちがいい。日が沈みかけた頃、ようやく一通りの準備を終え、みな満足気な顔で帰って行った。
数寄屋造りの離れ 2 階の天井から作品を吊るす
生命の宿る町家
 当日、予想通り暑い暑い日だった。目で納涼をとスタッフは浴衣姿。
 玄関口の一番手前の座敷では13時と16時にライブアートパフォーマンスを実施。倒れそうなくらい暑い屋外とは打って変わって、心地よい風の通る土間に集まった人々は、書家姉妹が繰り広げる大胆な筆さばきに釘付けになりある種の緊張感が漂っていた。と同時に松喜邸も背筋を伸ばしたようにぴりっとした空気を発していたように思う。
 「家は生き物」と聞いたことがある。松喜邸はこの日、パフォーマンスの時間にはピリリとし、その他の時間は緩やかな雰囲気となった。ころころと表情を変え、あたかも生きているようだった。
 「落ち着いちゃって、ついつい長居しちゃった」
 「近くに住んでいるけど初めて上がらせてもらったわ。うちもこういうふうに使えるかしら」
 訪れた人はそれぞれ感想を口にした後、皆柔らかい笑顔で帰って行った。知らない人同士でも会話が弾んでいた。
 今回、松喜邸から私が学んだものは数知れない。町の景観を守るためとか、外から人を呼び込むための町の資産として町家を捉えていたため、建築物としての価値が重要なのだという認識しか持っていなかった。
 しかし、それ以上に大切なことに気がついた。それは、町家という受け継がれてきたものを大切にして、また継いでいこうとする人の思いだ。
 松喜邸は今もなお大切にされ続けることで「生命」が宿っている。先代の宝物の人形が飾られ、嫁入り箪笥も健在だ。時折人を招き入れ、いつも誰かの目に見守られる。と同時に、そうした人々を見守っている町家なのだ。美濃和紙と書の展を通して、町家の建物としての価値だけではなく、人が入ってこその町家の持つ本来の魅力を肌で感じることとなった。
 一家族の人数が減り、広い町家は住みづらいと言われる。最新の暖房設備や断熱材などを導入することが資金的にも物理的にも難しく、冬は寒くて暮らしにくいという声も聞く。確かに、時代に合った様式の建物というものがあり、町家はそれに適応しているとは言い難い。しかし、一つのものをいつまでも大切にすることや、何度も繰り返し使い続けること、ものを対象として見るのではなく、共に生きるものとして捉えることによって生まれる価値観を、町家は教えてくれる。それは利便性を追求した現代の生活の中で忘れられてしまったことなのではないだろうか。
 金華地区にある町家の数は減り、いつの間にか更地やマンションに様変わりしているところが少なくない。しかし、松喜邸のように長く大切に使われている町家も存在するし、町家保存を掲げるNPOの試みで地域の町家を活用した催しも増えている。
 人と町家の共存関係が続き、それぞれがより一層磨き合う。その集積が金華の町となる。そんな魅力を携えた金華地域は、わたしたちをこれからも魅了し続けるに違いない。
涼しい土間でスタッフの打ち合わせを行う アートパフォーマンスのときには緊張感が漂う 訪れた人同士で話が弾む
みずの・かおり
1981 年生まれ。2005 年慶應義塾大学総合政策学部卒業。
現在、フリーライター、特定非営利活動法人ぎふNPO センター・特定非営利活動法人地域再生機構のプロジェクトスタッフとして
働く。著書に『水うちわをめぐる旅〜長良川でつながる地域デザイン〜』(新評論)がある