保存情報第77回
データ発掘(お気に入りの歴史的環境調査) 六華苑 本田伸太郎/本田建築設計事務所


洋館外観


洋館ベランダ
■紹介者コメント
 六華苑は、山林王と呼ばれた桑名の実業家、諸戸清六の邸宅として1913年(大正2)に竣工しました。特にその洋館部分は、ジョサイア・コンドルが手がけ、隣接した和館と共に1997年に国の重要文化財に指定されました。長屋門をくぐり正面に見える洋館はシンプルですが、圧倒的な存在感を持つ4層の塔が印象的です。この塔は当初の設計では3層でしたが、その高さでは揖斐川を見渡すことができなかったために、4層に変更されました。創建当初、清六は客を最上階に招待して、その景色を楽しんだと言われています。その頃、そこからは堤防に植えられた一万本の桜が見られ、多くの船の往来が見られました。また窓には当時には珍しい曲面のガラスを用いています。そして、庭に面した南側には、1階にはベランダを、そして2階にはサンルームを設けて、池泉回遊式の美しい庭の景色を朝日から夕日まで、また春夏秋冬と楽しめるようになっています。明治期の洋館建築にはまま見られるように、この洋館にも和館が併設されておりますが、1階部分のみで100坪を越すような大きな和館は珍しいとのことです。和館の周囲を巡るように廊下がもうけられていますが、特に北側の廊下は、外側に板廊下、内側に畳廊下となっており、畳廊下は主に主人と家族、客人が使用したようです。庭は池泉回遊式となっていますが、当初は池の水は揖斐川から引かれていました。また現在の水源付近には、バラの円形花壇があったようですが、昭和初期の改築で今のような和庭になっています。和館北側の内庭も、1938年頃に親交のあった茶道家松尾宗吾により、茶庭に改築されております。
所在地 桑名市大字桑名字鷹場663- 5
建設年 1913 年
設 計 ジョサイア・コンドル(洋館)
*重要文化財
データ発掘(お気に入りの歴史的環境調査) 東山給水塔界隈 藤田淑子/名古屋文化短期大学

東山給水塔


天満緑道 水の小径


鍋屋上野浄水場の旧第一ポンプ所
■発掘者コメント
 覚王山は日泰寺の北、腰折れトンガリ屋根で親しまれている東山給水塔は、鋼板製の貯水タンクを擁する高さ37.85mの鉄筋コンクリート造で、1991年に「名古屋市都市景観重要建築物・工作物」に指定された。1930年3月に完成したときには、この塔は円柱を重ねた形で、1973年まで約43年間、覚王山の丘陵地一帯に配水し続けてきた。その後1979年に災害時用の応急給水施設に生まれ変わり、水槽には常に新しい水300m3を、約10万人分の飲料水として蓄えている。
 市民の声に応えて、1983年に標高74.3mの展望台が設けられて今の姿となり、名古屋市内はもちろん、晴れた日には遠くは御岳山、伊吹山へと広がるすばらしい眺望を楽しませてくれている。
 この塔から東へ天満通を渡ると「天満緑道水の小径」へと出る。この水道みちを、三大天満宮の一つ、上野天満宮の森を右手に遡ると、1914年に丹羽重光が設計した、これも「名古屋市都市景観重要建築物・工作物」に指定されている赤レンガの建物、旧第一ポンプ所の建つ鍋屋上野浄水場に至る。この導水路の地表部は約200m、小川が流れ、両岸には樹木が植えられ、格好の散歩道となっている。これは1985年に「都市景観賞」、1986年に「手づくり郷土賞」を受賞した。
 春は桜、初夏はつつじ、夏にはびっしりと蔦が絡まり、秋はその紅葉とススキ野原と、給水塔は四季折々我々を楽しませてくれる。市民の声で設けられた展望台、こうした保存物への関心を高めるためにも、ここからの眺めが春分の日とマルハチの8月8日と、年にたった二回しか味わえないのは淋しい限りである。
所在地
 名古屋市千種区田代町四観音道西(東山給水塔)
 名古屋市千種区宮の腰町1-33(鍋屋上野浄水場)
建築年 1930 年
参考文献:「名古屋市都市景観重要建築物・工作物」(名古屋市計画局、1993 年)、「東山配水場」(名古屋市上下水道局、2007 年)、「ワンダーJAPAN」(三才ブックス出版、2007 年)