伊勢神宮の文化史 第5回 神の森は200年計画 矢野 憲一(五十鈴塾塾長) |
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伊勢の神宮には20年ごとに式年遷宮があり、一回の遷宮に必要なヒノキ材は約1万3千本というと、そんなに要るのかと驚く人が多い。実際にはそれほどの本数は要らないのだろうが、必要な材積は約1万㎡だから太い用材ばかりだと少なくてもよいが、細いと本数は多くなるのは当然です。 最も多く必要なのは胸高直径で50〜60cm。これが全体の7割を占めます。棟持柱には1m ほど、樹齢500 年という巨木も用います。 最大は御正殿の扉木で1m20cm。一番長いのは千木に使う13m。こうした用材も鎌倉時代までは地元の神宮の山から伐り出していたのです。 神宮の山はこの地に天照大神が鎮座した2000年もの昔から大神様の山とあがめられてきた5,500ha(5,500町歩)です。 東京都でいえば世田谷区とほぼ同じ広さです。しかしここでも次第に良材がなくなり、伊勢志摩から宮川の上流、紀州とだんだん遠くに求め、江戸時代中期からは、ヒノキの名産地の木曾山が御杣山(みそまやま)と定められました。 それ以来、戦前まで長野県と岐阜県に「神宮備林」といって、式年遷宮の用材だけに備える山があったのです。 現在、この山は国有林となって国宝の修繕などに使われています。戦後国家の手を離れた神宮では国に払い下げを申請して購入しているのです。 私は、この国有林には見事な大木がずらりと茂る山だと思っていました。戦前の写真を見たり話に聞くと、この木はあと何回先の遷宮のどの部分の用材に育てるのだと計画的に育成していたそうです。それが現在は、毎年計画的に伐採されているので、もう太い立派な木は運搬しにくい奥山にしかなく、ヘリコプターを使わねば運び出せない谷にあり、それも数少ないのです。 神宮では大正時代の初めから今後いつまでも木曾山で入手できるかわからないと、また大昔のように神宮の山でまかなう計画をしてきました。これは明治天皇のお考えであり、200年計画で育成しようというのです。 神宮職員は毎年4月に、植樹祭といって五十鈴川の上流の神路山や島路山へ200年後の遷宮のために植樹に行きます。まことに気の長い話ですが、3年生のヒノキの苗が遠い将来、宮柱になる日を夢見て、心を込めて鍬を振るうのです。 御杣山の歴史は全4巻の大冊『神宮御杣山記録』として出ており、元営林部長の木村政生著『神宮御杣山の研究』という博士論文もあります。 |
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神路・島路の神宮林 | 内宮神苑からみる神路山 | 御杣山のご神木 |
遷宮と伐採 | ||
遷宮が近づくと20年ごとに貴重なヒノキの大木を伐るのはもったいないのでは、という声がいつも出ます。しかし木を役立たせるためには伐らねばなりません。自然に放置しておくことが必ずしも自然保護ではないでしょう。 決して自然を収奪するのではありません。伐れば植え、伐っては育てるという自然の輪廻、日本人はそれをしてきたからこそ世界有数の森林国を維持してきたのです。 2005年春、御杣始祭で「御樋代木」というご神体を納める大切な用材を古作法により伐る儀式をテレビで見られた方も多いと思います。 三方から斧を入れ、巨木が轟音を立てて倒れると、その切り株に伐られた先端のヒノキの枝を差し込んで、また再生してくれと祈る「トブサタテ」がなされていたのをお気付きでしょうか。 トブサとは、「鳥総」と書き、葉の茂った木の枝をいいます。昔、木を切り倒したとき、その枝を切り倒した木の株の上や地上にこれを差して、山の神や樹霊に奉る行事なのです。 これは『万葉集』にも見られ、大伴家持も詠っています。 「木の中ほどはいただきますが、元と末はお返しするから必ずまた生まれ変わって生えてくださいよ」という願いの行事が伝わっているのです。 これは何でもない行為に思われるでしょうが、1,000年以上の山の人々の思いが込められていて、それが日本人の自然に感謝し、守り続けてきた原点に連なっているのではないかと思いました。神宮の5,500haの山は、樹木の生育上に必要な場合以外は、生木の伐採を絶対にしない地域と、神苑として風致を維持し手入れをする地域と、五十鈴川の水源を涵養して風致を維持しながら、将来の御造営用材を育成する2,900haの3区域に分けてあります。 |
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御杣始祭 | 切り倒されたご用材 | トブサタテ |
一般の人は、この山が千古斧を入れない天然林で、縄文時代の温帯照葉樹林はこのようだったと思われる姿を残していると考えるかもしれませんが、実際には鎌倉時代まで遷宮用材を伐る御杣山でした。江戸時代には地元の役所が、明治には国が管理し、戦後は神宮司庁が管理する歴史を持っていますから決して原始林ではないのです。 この他にも神宮は熊本県と宮崎県に950haほどの「明治百年記念林」を持ち、成長の早い南国のヒノキで補う計画や、伊勢の神宮林で大木の早期育成の試験も行い、年平均1cm以上の成長をめざしてきました。 これを完成させるにはまだこれから100年を待たねばなりませんが、今回、2013年には、全材積の2割は神宮林から約700年ぶりに供給できる明るい見通しがつきました。 いま全国のどこへ行ってもこんもりとした森を見ると神社の森です。名古屋では熱田神宮、東京は代々木の明治神宮の森など大都会の大きい神の森も、村々の鎮守の森も、どこでも森を守り、木々を育て、美しい環境を整備する苦労は並大抵なことではありません。ましてそれを管理しながら永続的に利用しようというのですから大変です。 昨年春、神宮司庁営林部はこの管理の業績を認められ、国土緑化推進機構の第18回「緑の文化賞」をいただいたのはうれしいニュースでした。 今年の春には新しい神殿を建てる御敷地での最初のお祭り「鎮地祭」が行なわれます。一般でいう地鎮祭です。そして来年秋には宇治橋の渡始式。2012 年には立柱祭や上棟祭があり、2013 年にクライマックスの遷御になるのです。 |
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やの・けんいち|1938年三重県生まれ。 國學院大學文学部日本史学科卒業、40年間伊勢神宮に奉職し、神宮禰宜。 この間、神宮徴古館農業館学芸員、弘報課長、文化部長、神宮徴古館農業館館長。神宮評議員、伊勢神宮崇敬会評議員。 神道文化賞・樋ロ清之博士記念賞・児童福祉文化奨励賞・日本旅行記賞など受賞。 主な著書に『伊勢神宮』(角川選書) |