保存情報第75回
データ発掘(お気に入りの歴史的環境調査) 名古屋市演劇練習館「アクテノン」(旧稲葉地配水塔、旧中村図書館) 谷口 元/名古屋大学


威容を誇る外観


ディテール


心柱周辺
■発掘者コメント
 配水塔という建造物が、全く異なる機能に2度もコンバージョンされたというのは、おそらく世界的にもほとんど前例がないと思われる。当初は容量約590tで設計が開始されたが、伸張著しい名古屋の水需要に対応するべく、途中で4,000tに変更されたという。ひどく重くなったタンクを支えるため、原設計の円筒形の建物の周りに16本の柱が取り囲むという円形の神殿のような異形の姿で、1937年に竣工した。
 ところが7年後浄水場からのポンプ圧送が始まったため、当施設は1944年に使用が休止され、約20年もの長い間放置されていた。その後、どのような経緯かは明らかでないが中村区図書館への改修が1965年に行われた。外観はできるだけ保存する方向で水道局や図書館、教育委員会等の協議が行われた模様で、当時から愛着を持って受け止められていたに違いない。筆者もティーンエィジャー時代に、不思議な空間体験をもって利用した記憶がある。1989年には名古屋市都市景観重要建築物の指定を受けたが、1991年に図書館は別敷地に新築され、再び未利用状態となった。しかし同年暮れの天野鎮雄氏ら劇団関係者と市長との懇談の席にて、稽古場不足の嘆願とこの施設の利活用が話し合われ、市長の英断もあって1995年暮れには改修を終え、再び用途を変えて蘇るに至った。なお1996年には建設省の都市景観大賞を受賞している。
 かつて図書館時代に書架と閲覧コーナーが並んでいた低層部には、大小に間仕切られた練習場が並び、厚い堅固な壁に囲まれ防音性能十分な最上階の巨大水槽部分は、メインホールとなった。アクテノンという愛称を持つ同施設は、2005年度利用実績で7,200件、54,000人、稼動率約74%を誇り、名古屋市内(70%)に留まらず県内外(30%)の演劇、舞踊、音楽関係者らが利用する、文字通り芸術文化の殿堂となっている。
参考文献 瀬口哲夫等「東海建築譜」,東海現代建築研究会,1978.7./日本建築学会東海支部歴史意匠委員会編:「東海の近代建築」、中日新聞本社,1981.5./瀬口哲夫等:「近代建築ガイドブックー東海・北陸編ー」,鹿島出版会,1985.7./馬場俊介「近代土木遺産調査報告書―愛知・岐阜・三重・静岡・長野―」,名古屋大学土木工学科,1994.2./

建設年 1937年(昭和12)
所在地 名古屋市中村区稲葉地町1-47
設計者 名古屋市水道局/不明/河合松永建築事務所
施工者 淺沼組・鈴中工業ほか
構造 RC造、地下1階 地上5階
建築面積 937u 
延床面積 2,996u
データ発掘(お気に入りの歴史的環境調査) 百々貯木場(豊田市指定文化財) 塚本隆典/塚本建築設計事務所

百々貯木場


所在地 愛知県豊田市百々町一丁目

樋門
■発掘者コメント
 全国でも貴重な河川中流域に現存する水中貯木場。「百々」と書いて「どうど」と読みます。地名の由来は分かりませんが調べてみると面白いかもしれません。
 百々貯木場跡は、長野・岐阜・愛知の3県を流れ、三河湾に注ぐ矢作川中流域左岸に位置し、現在、この付近は公園として整備され、鮎釣りの季節になると釣り船が浮かび多くの釣り人で賑わいます。
 『近代化遺産探訪案内』によれば「百々貯木場は、水中貯木場(木材を水に浮かべて保管する貯木場)で、地元の木材商・今井善六によって1918年に建設されました。鉄道やトラックなどの陸上交通が発達する以前は重くて長い木材の輸送には河川が大きな役割を果たしていました。矢作川上流部は川幅が狭く急流であるため、上流部の山で伐採した木材は一本ずつ川に流す「管流し」の方法で百々貯木場およびその周辺まで運ばれ、ここで筏に組みなおされて再び下流へ流送されました。
 貯木場が建設された目的は、木材を陸揚げすることなく集積できること、洪水時の流材を防ぐこと、夏場に木材の割裂を防ぐことでしたが、上流に越戸ダムが建設され管流しができなくなったため、1930年に貯木場としての役目を終えました。
 現在見ることができる施設は、堤防・樋門・貯木池・木材引き上げ用スロープ・滑落場・木材の仕分け用突堤・製材所跡などで、敷地面積は約6300uで、そのうち貯木用の池の面積は約5000uです。
 河川中流域に築かれた水中貯木場が現存している例は全国的にも珍しく、百々貯木場の存在は、日本において長い歴史を持つ木材流送を含む、近代の河川の利用形態を物語る貴重な事例です。また百々貯木場は、当時すでに一般化していたと思われるコンクリート工法ではなく、人造石工法を用いて造られた大規模な土木遺産としても注目されます」とのことです。
 人造石工法とは、伝統的な技法である「たたき」を改良して大規模な土木構造物の築造に利用した工法で、セメント工法が普及する以前の明治・大正期に用いられました。
参照文献 
『近代化遺産探訪案内』豊田市教育委員会 2007.11:豊田市郷土資料館だより。豊田市郷土資料館の天野さんには多大なるご協力をいただきました。