JIA愛知建築セミナー2007「明日をつくる建築家のために」
シリーズ2「サスティナブルな環境創造を目指して」
第2回 栗生明氏と宮城俊作氏
(横山正登/アドパース設計)
 JIA愛知建築セミナーシリーズ2「サスティナブルな環境創造を目指して」第2回は、「環境デザイン」をテーマに、栗生明氏、宮城俊作氏を迎え、9月29日に開講された。実際に多くの作品を協働された両氏を迎えてのセミナーは、リアリテイに富み、聴講生に多くの示唆を与えた。
生命体としての建築
 「建築と記憶」をタイトルに栗生氏の講演は始まり、「繕いの美学」に端を発し、われわれ日本人の美意識・思想・哲学が語られ、多くの実作を通して、それらへの対応・展開が、時代を捉え、未来を展望した鋭い洞察力から具現された、まさに「生ある建築=生命体としての建築」として紹介された。さまざまな才能との協働による、探究心あふれる挑戦、そして検証。創作にあたって、建築人として何が大切か、われわれ職能人たる建築人の本懐に訴えかける言説であった。
 時代・環境を見据えた内容は、栗生ワールドに誘いこまれる思いの説得力に満ちた講演であった。真摯に現実を見つめ、先達、村野藤吾氏の醸し出す建築的エッセンスに学び、数々の作品を生み出すエネルギッシュな栗生氏の姿勢に、大いなるエールを送るとともに、われわれ建築界の思想的リーダーとして、さらなる躍進を期待する次第である。正しく「記憶」に残る講演であった。
土地と建築の創造的関係
 次いで、タイトルを「庭と風景のあいだに」として、ランドスケープアーキテクト、宮城俊作氏の講演がなされた。ランドスケーブデザインの道に進まれた経緯、そこで石川文山作−京都・詩仏堂の庭から受けた感動、実作を通しての屋上緑化の手法、都市公園でのさまざまな要素を組み合わせての展開等々、多岐にわたるランドスケープの実例が紹介された。
 サステイナブルな環境創造、それは正しくランドスケープの道に繋がっているとの氏の見解は、われわれ建築人に大いなる警鐘を発するとともに、心すべき教訓でもある。「モダニズムの呪縛からの解放という現代建築のテーマに対して、ランドスケープデザインがそのための手がかりのひとつを提示できるとするならば、それはモダニストがめざした土地と建築との創造的関係の発露を、再び詳細に検討することを必要とする」。人類共通のスローガンが、平和・人権・環境であるならば、ランドスケープデザインの領域は、われわれ人類が求め続けるべきテーマにほかならない、それが氏からのメッセージとして受け止めたい。
 両氏の講演を終え、トークセッションに移り、協働の進め方・必要性・意義等々が両氏から語られ、終了の運びとなった。「環境デザイン」をキーワードに、両氏から多大な示唆を仰ぐとともに、職能人たるわれわれ建築人の社会的ミッションの何たるかを教え告げられたセミナーであった。今を生きるわれわれが何をなすべきか、そこで後世に対して何が遺せるか、正にわれわれの意識如何にかかっていることを痛感させられたひとときであった。教訓を糧に、明日に向かうべきエネルギーに転換させたい。


栗生明氏


対談


宮城俊作氏
参加者の声
●「日本人は元々サスティナブルな生活をしており、『もったいない』と同様に日本人の感性にしみ込んでいるのが『繕いの美学』である」と、金継ぎ、銀継ぎといった手法で美しく蘇った数々の器や、村野藤吾氏の自邸のスライドをもとに語った栗生氏。また、その後の講義で、「ランドスケープも『繕いの美学』に通ずるものがあるかもしれない」と話された宮城氏。両氏の講義の中で、『繕いの美学』という言葉に強く魅せられました。
 以前に、建築学者の森田慶一氏がウィトルウイウスの「建築書」を日本に翻訳紹介した際、建築の3要素「強・用・美」に「聖」と加えて翻訳したと本で読んだことがあります。この「聖」とは、いわゆるオーラと呼ばれるもので、名建築には必須の要素であり、またそこから感じ取れるものだと思います。 僕が今まで建築を見た中で、最も「聖」を感じた建築は三徳山三佛寺投入堂ですが、これに似た感覚を鳳翔館のアプローチで感じたことを覚えています。きっと、平等院という美しい古建築の境内に、その敷地の文脈を読み取り設計された建築とランドスケープが、見事に重なったその場所だからだと思います。これも、平等院と鳳翔館との時間のズレを見事に繕ったことによる美しさではないでしょうか。この講義から、『繕いの美学』=「一」を「十」に転じる美しさという日本人のみがもつ感性、文化を常に心の中に留めておこうと思いました。
 セミナーもシリーズ2に入りましたが、先を生きる方々の話を聞くことがどれだけ重要であるかを改めて実感しました。ゴールのない建築の世界の中で、常に学び、楽しんでいこうと思います。(犬塚恵介/伊藤建築設計事務所)
●栗生さんのお話は、陶芸の金継や村野藤吾邸の例を通じて、日本人の中にある「モッタイナイ」の考えに始まり、各種博覧会のプランや平等院などのビッグプロジェクトの具体例の紹介が中心に進みました。
 また宮城さんは、ランドスケープデザインの非常にスケールの大きな仕事の様子を伺える興味深い内容でした。
 お二方ともに、建築が単体で完結するのではなく、建築が都市と風景に関わっていくことまで見据えた計画をされている印象を受けました。私自身、サスティナプルといつ考え方に対し、環境や持続といった漠然としたイメージしかありませんでした。しかし、今回の講演を聴き、都市と風景の中に建築があり、社会との関係性を持続させていくということの大切さを学びました。そして建築がより柔軟に変化していくことによって、環境に対応しやすくなり、後世に残っていくことを知りました。
 具体例にあった平等院の宝物館は、千年近い歴史の地に新たな計画をするということでした。そのような土地の計画は、当時の形を残す以上に、これまでの歴史に対する知識や、土地を変化させる覚悟を要すると恩われます。
 私は2年問にわたり地元犬山市の明治村で芝川邸の移築に携わっておりました。芝川邸の工事では当時の姿を再現し、その状態のまま伝えていくことを第一としています。歴史ある建築が取り残されることなく後世に伝わるためには、現場に関わった一人として、建築と社会を繋いでいくことも大切だと感じました。そしてそのために私自身がその経験を生かし、発信していくことがサスティナブルの実践に繋がるのではないかと思いました。(佐々木陽子/山田高志建築設計事務所)
●栗生先生には、器の例を見せていただきながら、「継ぐ」、「繕いの美学」について説明していただきました。大量生産、大量消費にどっぷりと浸かった私たちにとって、「壊れる」イコール「価値が下がる」という考え方しかなく、何か大事なことに気付かされたように思います。今の建築が置かれている状況はどうでしょうか。月日が経てば資産価値は減っていき、耐震性能、躯体、設備の老朽化といった重荷に耐えられなくなると解体され、更地になってしまいます。新築の方がフレキシブルで良いものが建つと考えている人は多いのではないでしょうか。確かにリノベーションやコンバージョンには、新築にはない多くの労力を費やします。しかし、人口減少を迎えていく中で、既存ストックの活用は不可避なテーマになってきており、新築以上の期待が求められます。
 フランスのアパルトマンでは、ゆったりと繕いながら気長に暮らしています。キッチリとしたものを求めすぎた日本人が、ほんの少しの不自由さを心地よく感じられたら、きっとこの状況は変わっていくのでしょう。村野藤吾の自邸のように、継がれていく住宅によって彩られた日本の姿を願わずにはいられません。
 宮城先生には、日本工業倶楽部会館、川口市並木元町公園、浜名湖花博、平等院宝物館鳳翔館など大小さまざまなスケールについてご説明していただきました。その中で、ただ緑化とするのではなく、ルーフトップデザインなどを通して積極的に利用する空間を提案していく中にランドスケープに対する姿勢を感じました。
 ザ・ペニンシュラ東京では、ひとつの空間の中に公開緑地・噴水、車まわしと多くの条件を盛り込むことに成功しています。スペースの関係から噴水の上にバスがのり、濡れた面は打ち水された様になっています。打ち水は、本来お客様を迎える際の伝統であり、意味合いとしても成立させている点には敬服いたしました。東京というマチに対するギフト、マチに対するホテルの存在意義といった広い視点を考慮しながら取り組まれており、ランドスケーブの奥深さが垣間見えたように思います。
 全体を通して、お二人がご一緒にお仕事されていることからも、スムーズな流れでお聞きすることができました。私は来年より組織事務所でバリューマネジメントに携わっていくことになりますが、それに通じるたくさんのヒントをいただくことができました。また著名な講師陣をお招きしてのセミナーは、学生としても学校にはない大変貴重な機会となりましれ末筆となりましたが、主催された皆様に厚く御礼申し上げます。(坂西研一郎/豊橋技術科学大学大学院修士2年)