新連載
金華の魅力
岐阜市の古い町並と 暮らしを受け継ぐまちづくり
富樫 幸一
岐阜大学地域科学部准教授
岐阜市金華地区のまちづくり
 岐阜市の中心市街地は、北の道三・信長の城下町から尾張藩の岐阜町に引き継がれた地区(金華)と、南の加納藩の城下町と中山道加納宿(加納)の2つの町が、明治になってから岐阜駅を挟んで連担してできている。濃尾大震災でも金華の一部は残り、岐阜空襲も免れたために、ここには江戸時代から明治後半にかけての町家が今も軒を連ねている。この連載では、この古い町並を残す金華でのまちづくりの動きを始めとして、ぎふまちづくりセンターの都市景観サロンやORGANのメンバーが、NPOや岐阜市との協働で進めてきた事例から、金華の魅力を広く紹介してみたい。
図1 道三時代の古道である百曲道 図2 金華山から見た川原町の町家の並びとマンション群
町並み保全に向けた動き
 岐阜市は40万都市だが、清流・長良川や原生林の残る金華山などの自然がほんの身近にあり、道三・信長がつくった城下町(図1)の歴史も誇っている。近現代でも柳ヶ瀬の発展や駅前の問屋町の成長などで隆盛を見た。しかしこの20年ほどは、郊外化の進展や名古屋との近さ(JR快速で18分)もあって、都心部での大型店の撤退や空き店舗の増加、人口減少と高齢化などの衰退現象は著しい。モータリゼーションの中で路面電車も廃止されてしまった。
 一方、伝建地区の指定などは受けていないのであまり知られてこなかったが、旧県庁辺りから一歩入って、今は暗渠だが岐阜町の総構跡(空襲時に焼け残った線)を越えると、立派な町家が並ぶエリアとなる。町家の数はだいぶ減って、空き地や駐車場になり、マンション建設が問題となるケースも出てきた(図2)。1989年に最初にこの問題が起こった時は、行政の支援もあって「金華のまちづくり協議会」が発足し、HOPE計画による調査や計画立案も行われた。建築士などによる「金華まちづくり研究会」が、「華の基準」(1997年)のルールをつくるところまで進んでいたが、実際の住民の関心はいま一つで、一時は活動が停滞していたようである。
 しかし、地価の下落が再びマンション問題を引き起こし、景観やまちづくりに関わる取り組みがもう一度始まった。金華地区の中でももう少し小さくまとまって、川原町まちづくり会(2001年)と伊奈波界隈まちつくり会(2002年)ができて、まちづくり憲章やまちづくり協定から、法的な高度地区、地区計画へと進む成果を挙げつつある。
 「ぎふまちづくりセンター」もほぼ同じ頃の2001年に発足し、同年の「岐阜市都市景観シンポジウム Action,1」のワークショップや市民参加型のシンポジウムをきっかけとして、大学の教員や関心を持つ人たちで「岐阜の古い街並を生かしたまちづくりを進める支援ネットワーク」をつくり、毎月の「都市景観サロン」を開いてきた。2003年度の全国都市再生モデル調査の「金華山・長良川まるごと博物館構想」でも、地域の住民団体や環境系のNPO、ボランティア活動と連携した市民サミットを開催している。
 さらにこれと並行して、岐阜大学地域科学部では学生の地域学実習で金華地区を取り上げて、住民団体の活動や自治会への聴き取り、老舗や新しい店舗へのヒアリングなどを実施してきた。その中で川原町まちづくり会がまちづくり協定をつくる際には、一人ひとりの住民の方のまちづくりへの考えや思いを明らかにするなどの支援をしている。
ありのままの暮らしがある 図3 岐阜市まちあるきマップ((財)岐阜市にぎわいまち公社)
 岐阜の観光といえば鵜飼だが、その前後で「他に見るところがない」とよく言われる。しかしそれは心外であって、長良川河畔のプロムナードの散策や、川原町から伊奈波にかけての「まちあるき」では見るべきものがありすぎるくらいである。まちづくりセンターが行った「ぎふ三十六景」では、ここで12カ所が選定されている。少し足を伸ばしたり、レンタサイクルを使えば、金華山麓の水路沿いの小道や梅林公園までたどれるルートも「岐阜市まちあるきマップ」(図3、ここでは金華のみ)では載せている。
 高山や美濃町のように、観光に特化しているわけでもなく、また建物や景観を修景しただけでもない。金華では今でもありのままの暮らしの様子がいい。まちづくり会も観光を目的にしてはおらず、まずは自分たち住民が暮らしやすい地域にすること、人が交わる楽しい町になること、そうしたことを通じて訪れた人たちにとっても自然に魅力が感じられる町になることを掲げている。
 観光そのものでも、短時間滞在型の団体客相手のマスツーリズムから、友人同士や家族づれでゆっくり楽しむソフトツーリズムへと徐々に変ってきている。町家や蔵を利用してできたカフェやギャラリーを訪れる人はますます増えてきている。ゆったりとした木造の家の座敷や、そこから臨める金華山や長良川が一体となって醸し出す雰囲気に誘われて、「またぜひ来るから」というリピーターの声も聞く。
 名古屋の人などから連絡が入ったときは、ガイド役を買って出ている。岐阜から名古屋に買い物に出かけるのもいいが、この近さは逆に岐阜を訪れやすいことにもなるはずだ。昔は尾張藩主や役人が、お鮨街道から岐阜を訪ねるのを楽しみにしていたのである。
図4 地元の若者による町家の見学会(2006年7月)
 2007年9月、JTBと岐阜大学が提携した「シニアサマーカレッジ」でも、信長や川端文学などの岐阜にちなんだ講義とともに、半日のまちあるきをコースに組み込んだ。横浜や福岡から参加してくれた人たちは、「岐阜といえば高山」というイメージはともかく、岐阜市に何があるのかと最初は思っていたのかもしれないが、伊奈波にある元酒屋を利用したお店でお昼を食べてから、町の散策にでかけ(ガイドは、(財)岐阜市にぎわいまち公社)、最後は川原町屋でお茶をして話がはずんだ。途中で地元の人たちと気楽にあいさつを交わしていたのも印象が良かったようで、終了後の授業評価では最高の点がついたものの一つだった。
 地元の人ですら、車での移動に慣れきってしまえば、街中の様子は分からなくなる。また岐阜市では人口減少時代に向かいつつ、若年層の流出が続いている。しかし最近、岐阜の古い町並に魅力を感じて、町家に住みたい、使いたいと考える若い人が出てきている。町家の見学会(図4)などをきっかけとして、地元の人々との交流も生まれた。この1年をとっても、町家情報バンクの立ち上げ、地域との交流をカギとした小冊子「古今金華」の発行、「町家での美濃和紙と書の展」などのイベント、公園や町家のお掃除への協力など、次々と多彩な活動を繰り広げている。この連載では、こうした動きを順に紹介していくので、訪れるきっかけにしてほしい。
とがし・こういち|1956年生まれ。
1987年東京大学大学院理学系研究科博士課程単位取得退学。博士(理学)。岐阜大学教養部講師、同助教授を経て、1996年より現職。
ぎふまちづくりセンター副理事長。
専門は経済地理学。
共著書に『人口減少時代の地方都市再生?岐阜市にみるサステナブルなまちづくり』(古今書院)