第6回 まちづくりの今後
橦木館を「関係」づくりの場に

吉村 輝彦
日本福祉大学福祉経営学部准教授
はじめに
 筆者は、名古屋に住んで今年で9年目になるが、名古屋でまちづくりに関わる一つのきっかけとなったのが橦木館である。橦木館という空間が醸し出す雰囲気、そこに集う人々とのやりとり、そこで行われる多彩な活動。まさに、橦木館が持つ価値と潜在的社会性が人と人との関係を紡ぎ出していること、また、様々な活動が育まれてくる場として橦木館があることを実感した。これは、都心の喧騒の中、白壁・主税・橦木町並み保存地区に位置している橦木館が、その歴史的文化的価値から社会関係を生み出し、まちの拠点として機能してきたことに他ならない。橦木館を舞台に行われている様々な活動は、名古屋のまちづくりの先駆的な取り組みであるが、一方で、町並み保存地区では、高層マンション建設や駐車場スペースの増加といった空間変容にともなう様々なモノやカタチの喪失も進んでいる。その意味で、橦木館は、今後のまちづくりのあり方に向けた貴重な示唆を与えるとともに、名古屋のまちづくりの試金石でもある。
橦木館の歩み、その展開
 橦木館は、明治から昭和時代にかけて活躍した井元為三郎氏の邸宅で大正期に建てられた。和館、洋館、東西2棟の蔵、茶席は、1996年に名古屋市有形文化財に指定された。1996年以降、まちなかで人々が集う場として活用され、多種多彩な行事が行われてきた。以下では、兼松はるみの論評を参考に、橦木館の歩みを簡単に整理する。
■1996年1月〜2002年12月  名古屋住環境会議がきっかけで集まった5組のメンバーが、3年ほど空き家となっていた井元邸を借り上げ、「橦木館」として公開を始める。当初5年であったが、2年間延長され、計7年間にわたって、奥座敷二間、庭、時には館全体を使って、会議、演劇、コンサート、パーティー、土曜建築学校、落語、狂言等、様々な催しが行われた。
■2002年1月〜12月  橦木館存続を目指して、「橦木館育くみ隊」が結成され、毎月イベント等が行われた。
■2004年1月〜2007年3月  橦木館を大切に思う有志が、大家とともに世話人会を立ち上げ「橦木倶楽部」という名で、土曜の公開、貸室等を行った。
■2007年3月〜  橦木館をベースに活動を続けてきたメンバーを中心に市民団体・橦木倶楽部が結成され、2007年3月にNPO法人として認証された。橦木館の維持管理・運営を行うとともに、そこを市民の様々なまちづくり活動や生涯学習等の場として活用することによって、まちを育んでいくことを目指している。
 橦木館は、2007年3月に市に移管され、NPO法人橦木倶楽部が、2007年4月より橦木館の管理を暫定的に請け負っている。
 この間、名古屋市東区役所、名古屋市住宅都市局都市景観室、(財)名古屋都市センター等の行政、白壁アカデミア、NPO法人まちの縁側育くみ隊、東区文化のみちガイドボランティアの会、東区まちそだての会、白壁・主税・橦木町並み保存地区の住環境を考える会等「文化のみち」に関わる市民団体、また、地域の人々が、様々なカタチで橦木館の活動に関わってきた。
 こうした市民活動の積み重ねと大家の好意と粘り強い働きかけによって橦木館の保存へとつながる等まちづくり活動の成果がカタチになりつつある。兼松は、「市民の領有空間」としての橦木館という場の活動の有り様を示しているが、まさに、まちづくりの拠点として、また、多くの人々を惹きつけ、想いや関心の共有からつながりが生まれ、そして、様々な活動を生み出す場として橦木館が存在してきた。それぞれの人がその得意分野を活かした関わり方を通して空間やまちが育まれていく。橦木館という場を通して様々な主体が新しい関係性を構築し、自分たちの手で多彩な事業やプログラムを生み出してきた。こうしたアプローチは、次世代型まちづくりにおいてさらに求められるであろう。


橦木館の洋館の外観


橦木館の庭空間
生き生きとした場であるために
 市に移管された橦木館が、今後どのような場であり続けていったらいいのだろうか。あるいは、どのように活かされていったらいいのだろうか。
1) 場と人々の想いの相互作用による関係づくり
 まちづくりでは、地域資源(歴史・文化・自然等)、地域性や地域社会(コミュニティ)を育くむ場や拠点、町並みや景観等の地域空間といった地域のコモンズになりうるものと、地域への想い、関心やこだわりを持った人(地権者、地域内と地域外)が存在し、その両者の働きかけを通じた相互作用が核心である。つまり、単なる地域資源の存在、単なる場の存在、単なる地域空間の存在だけで、まちが育まれてくるわけではない。地域資源や社会資源をつなぐ場があり、そこに住まう人々、そこに想いを馳せる人々の交流と関係づくりが行われることが重要である。
 文化のみちエリアでは、様々な人と人とのつながりが存在し、また、想いや関心に応じて重層的なネットワークが緩やかに構築されてきたが、橦木館が相互作用を生み出す触媒的な場として機能し、ココロづくりやカタチづくりが行われてきた。こうした関係づくりができる場でありたい。
2) 開くことが新たな価値を生み出していく
 橦木館は、単に「見せる」ではなく、「活かす」「使われる」ことによって新しい関係性を構築し、多様な価値を創出してきた。その意味で、開かれた存在であることが次を切り拓いてきた。橦木館は、静的な存在ではなく、ダイナミズムが感じられる存在であった。動的活用がなされる開かれた場でありたい。
3)まちづくりの拠点として
 ハードな施設を整備しても、そこが必ずしもまちづくりの拠点となるわけではない。ハードウェアに加えて、ソフトウェアとハートウェアが折り重なってはじめてまちの拠点として機能する。人々が集う場として、また、自分たちの手でまちを引き立たせる、あるいは、まちを楽しむプログラムをつくり出していく拠点として橦木館が存在して欲しい。
4) 状況づくりとしてのマネジメントや政策環境のあり方
 橦木館が、市の施設となったということは、行政施設としてのマネジメントがされることになる。この場合、自由に伸び伸びと活動が展開する場としてのマネジメントと調和できるかが課題である。開かれた存在やダイナミズムを生み出す弾力的運用、寛容性、柔軟な対応による柔らかい状況づくりができるマネジメントや支援的政策環境のあり方を検討する必要がある。近年、導入された指定管理者制度は、民間の自由な発想が期待されているが、既存の様々な固定観念や制約を解き放つような管理運営のあり方や活用のされ方/使われ方がされてこそ、橦木館が橦木館としてあり続けるであろう。こうした柔軟性を持った開放的なマネジメントを期待したい。

「歩こう!文化のみち」における橦木館

橦木館での展示(撮影は全て著者)
おわりに
 橦木館が位置する文化のみちエリアでは、市民主体のまちづくりの萌芽的な取り組みが行われてきているが、想いやこだわりを持った人々の存在と様々な活動が橦木館の復活の流れに寄与したと思う。今後、地域のまちづくり拠点として、そして、引き続き名古屋の先駆的な取り組みとして、橦木館があり続けるように自分自身も関わっていきたい。
【参考文献】
 兼松はるみ(2007.7)「『市民の領有空間』橦木館の復活!」(建築ジャーナル、No.1123、pp.3)
 吉村輝彦(2007.8)「まちづくりの発意と展開に関する一考察〜名古屋市における萌芽的な取組みを事例に〜(日本建築学会大会学術講演梗概集, F-1, pp.971-972)
 吉村輝彦(2007.8)「名古屋における『都市計画』的対応の課題と『まちづくり』に向けた展望〜文化のみちエリアを事例に〜(日本建築学会都市計画委員会「都市計画は機能しているかー実効性のある制度改革へ向けてー」pp.97-100)
 吉村輝彦(2007.3)「次世代型まちづくりのための住民参加システムのあり方に関する研究」(平成18年度特別研究報告書、(財)名古屋都市センター)
よしむらてるひこ|日本福祉大学 福祉経営学部 国際福祉開発マネジメント学科 准教授。東京工業大学工学部社会工学科卒業、同大学院社会工学専攻博士前期課程修了、同大学院人間環境システム専攻博士後期課程修了。博士(工学)。国際連合地域開発センター(UNCRD)研究員を経て、2006年より現職。立命館大学大学院政策科学研究科 非常勤講師。他に、(財)名古屋都市センター特別研究員(2006年度)。週刊まちづくり編集部・NPO法人まちしゅう 理事、NPO法人橦木倶楽部 理事・東区まちそだての会 会員。著者に、「環境計画・政策研究の展開」(共著、岩波書店)、「都市計画の理論」(共著、学芸出版社)、「Innovative Communities」(共著、United Nations University Press)等