インドの建築 第6回
インドの世俗建築
野々垣 篤
(愛知工業大学工学部 准教授)
 この連載の最後である。前の3回分ではヒンドゥーの寺院建築の主要3様式を扱ったが、インド建築の基本とはいえ、その内容は建築家の皆さまの興味からすれば、やや冗長だったかもしれない。小生が初めてインドを訪れた際に空港で出会った日本人に「インド建築のどこが面白いのか? すべて同じ石の塊だ」というニュアンスの感想を聞いた。確かに石そのものであり、その点、ひねりがない。周囲の環境との関係において感動をもたらす存在だが、単独で必ずしも整った美しさを備えているわけではない。しかし、歴史が示すように、人間にとって必要不可欠な建築的存在であることに間違いない。実際、理屈なしに建築の本質を見せている対象とも考えるが、いかがであろうか。最終回は石の塊の宗教建築から離れ、よりイメージしやすい世俗建築の話とする。
マハーラージャの宮殿
 インド観光の目玉として、各地を支配していた王マハーラージャの宮殿建築が取り上げられる場合がある。近代的な改装がなされ、Heritage Hotelとして宿泊できるところも多い。街中の喧噪もまさにインドであるが、それら宮殿のきらびやかな空間でゆったりした優雅な時空間もインドである。
 マハラージャの宮殿といえば、ジャイプルやジャイサルメール、ウダイプルなどラージャスターン州のものが有名だが、それらの多くは城砦機能を持つため戦禍から逃れることはできず、建築残存例は古くても15世紀以降のものである。その一例はラージャスターン州チットールガルの城砦にある。そこにはラーナー・クンバの宮殿@を中心に、重臣たちの宮殿やヒンドゥー寺院、ジャイナ教の寺院が点在する。その他にも、世俗建築の一つとして、イスラームとの戦争に関わる戦勝記念塔ジャヤ・スタンバ(15世紀半ば)が建つ。この9層の塔は螺旋階段で昇ることのできるが、そのデザインは同地方・同時代のヒンドゥー寺院のものと基本的に同じである。
 チットールガルは激戦地であったため城砦はほぼ遺跡化しているが、門、厩、寺院、王の謁見広場、市場などから往時の姿を類推できる。宮殿は外壁を石積に漆喰で覆うが、床は木造の梁による構造で、ほぼ遺らない。建築デザインの全体的な特徴は建物上部に載る様々な形の屋根やドーム、そして外壁から突き出したバルコニーに見られる。バルコニーはそれぞれに屋根・庇を載せるが、その屋根も様々な形状で、強固な石積の垂直な壁に対して変化に富んだ表情を与える。
 観光地としてはマイナーだが、マッディヤ・プラデーシュ州にも興味深いヒンドゥー宮殿がある。紙面の都合上詳述は無理だが、グワーリオール城砦のマン・シン宮殿(16世紀初)Aを挙げよう。宮殿の高い外周壁には、黄・黄緑・緑・青のタイルによる動植物が明るく表現され、内部はいくつかの中庭の周囲に様々な部屋を開き、また石造の透かし窓や伝説の獣やゾウ、クジャクを象った持ち送りなど、精緻な彫刻であふれている。柱等の建築細部はグジャラートの建築様式との影響関係が指摘されている。ムガール初代皇帝バーブルがその宮殿に感銘を受けたと伝わり、後出のアーグラ城内の宮殿はその影響を受けたとされる。なお、透かし窓は、既婚女性が身内以外には顔を見せないとするイスラームの習慣をヒンドゥー教徒が取り入れ、女性が建物の外に姿を見せないようにするために、部屋と部屋の行き来に使う通路や外を眺めるためのバルコニーの仕切りなどとして、ほとんどのマハーラージャの宮殿で見ることができる。
 宮殿を構成する個々の部屋はその用途があまり明らかではないが、一般的に王のための区画と王妃をはじめとした女性のための区画とに大きく分けられている。前者は一般向け謁見ホール、貴賓向け謁見ホールを含む王のための区画でありマルダナと呼ばれ、王の権威を示すハレの空間である。後者はゼナナと呼ばれ、一定の部屋構成の居住単位を中庭周囲に並べた構成で、外部に対しては極めて閉鎖的であるのを特徴とする。これらは生活の場であるため、便所とか台所相当の設備もある。そうした好例はラージャスターン州の州都ジャイプルの郊外に位置するアンベールの宮殿Bで見ることができる。ただしアンベールの王家はムガール王朝に近い存在で、建築的には次に挙げるイスラームからの影響が色濃い。
@チットールガル ラーナー・クンバの宮殿
Aグワーリオール マン・シン宮殿中庭
写真正面上方には透かし窓の列がある。
Bアンベールの宮殿 手前の中庭側がマルダナ、奥の高い壁の向こう側がセテナである
イスラーム宮殿
 この連載ではイスラーム建築をメインに扱わなかったが、世俗建築については簡単に触れよう。特に16世紀以降のムガール王朝支配下では、柱・梁および庇のデザインなどにヒンドゥー建築の特徴を取り入れた独特なイスラーム建築がつくられた。ムガール王朝が、王妃をヒンドゥー王家から迎え入れるなど、伝統的ヒンドゥーとの融和を図りつつ統治を進めたことと関係しているとされる。
 イスラーム宮殿としてはムガール王朝の都アーグラやデリーに建設された通称「ラール・キラー(赤い城)」がその代表であろう。「赤」は有名なインド砂岩の色だが、内側の主要な建築は必要に応じて白大理石が使われている。一般向け謁見ホール、貴賓向け謁見ホールにモスク、そして水を豊かに使ったイスラーム庭園・噴水、浴場(ハマーム)等を含む。またアーグラ郊外の都ファテープル・シークリーは、すぐに放棄されたために、非常に良い状態で遺る。モスク・霊廟を中心とした宗教建築群と宮殿建築群とに大きく分けられる。ヒンドゥー出身の王妃との間に生まれた大帝アクバル待望の第一皇子のための都であり、宮殿はヒンドゥー建築色が強い。アーチを使用しない柱梁による5層の楼閣建築パンチ・マハルやディーワニー・カースCと呼ばれる貴賓向け謁見ホールの建築は特に有名である。後者は正方形平面のホール中央にヒンドゥーの建築で使われるデザインの柱Dが立ち、ムガール皇帝はその柱の上の玉座から謁見に訪れた者を見下ろす構図となる。
Cファテープル・シークリー 左側の多層建築がパンチ・マハル、右奥の2層の建築がディーワニー・カースである
墓廟的建築その他
 インド建築といえばタージ・マハルが世界的に有名であるが、墓廟であり、これも世俗建築である。ヒンドゥー教徒は墓を持たないが、近世のヒンドゥーの王族はイスラームの影響で自ら記念碑を棺の代わりに祀るチャットリを建設した。チャットリとは極めて細い柱で支持されたドーム状の屋根を冠した小構造物のことを一般に示し、その語源は仏教のストゥーパ頂部の飾り傘蓋チャットラ同様、高貴なものの象徴とされる傘である。  その他、グジャラート州中心に点在する階段井戸は、生命に関わる貴重な水に対する信仰心を背景とした寺院建築に同等の存在であり、建築デザインも非常に手が込んだものとなっている。
おわりに
 世俗建築とはいえ、インドでは、実際には宗教と切り離せない面もある。ヴァーストゥ・プルシャ・マンダラを扱う伝統的建築書の一端からも、世俗建築の延長上に宗教建築があると捉えた方が適切と考えている。矛盾した表現だが、理想の世俗としての宗教世界なのである。それはインド建築全体の特徴の一つであり、常に根底にあるコンセプトと思えるのである。
ののがき・あつし|1965年生まれ。
1993年名古屋大学大学院工学研究科博士課程後期課程単位取得退学。博士(工学)。名古屋大学助手、名古屋大学講師を経て、
2004年より愛知工業大学工学部都市環境学科建築学専攻助教授。
専門は建築史。
著書に『インドを知るための50章』(明石書店)、『建築史の想像力』(学芸出版社)、『世界宗教建築事典』(東京堂出版)
Dファテープル・シークリー
ディーワニー・カース内部、中心柱