保存情報第71回
登録有形文化財 門和左の舞台「白雲座」 保浦文夫/ヤスウラ設計

正面外観(白山神社本殿より)

地元有志の「書割」修復作業、舞台の上

小屋組現しの天井面、寄付金の証が柔らかな空間を作り出す。
■紹介者コメント
 白雲座は、1890年(明治23)に舞台開きが行われたことを落書きによって知ることができる。村人の最大の娯楽であり最大の事業であった地芝居は時代の変遷とともに衰退をたどり、1952年(昭和27)の地芝居の後、昭和50年代まで完全に途絶えた。1978年8月、貴重な伝統文化の荒廃を嘆く地元民の気勢があり、「門和左の舞台白雲座」が国の重要有形民俗文化財に指定。地芝居経験者を中心に「白雲歌舞伎保存会」が結成され、地芝居が見事復活し、毎年11月2、3日の両日、白山神社の祭礼にあわせ上演されている。無料で利用でき、来場者は感動し、寄付の証が天井いっぱいに掲示されている。        
 門和左の舞台は、山肌に近く、舞台正面は白山神社本殿に、背面は門和左川の清流を挟み小さな畑地に面し、氏神白山神社の境内にある。舞台の形式は、間口9間(16.3m)、奥行11間(20m)、棟高約30尺(9m)、総ヒノキ造り、客席は一階桟敷席とコの字型の二階桟敷席で約500〜700人を収容できる。切妻、妻入り、背部に庇(下屋)を持つ。天井は建築当時の小屋組み現しのまま、劇場型芝居小屋の典型を残す。全国でも珍しい(人力)コマ回し式舞台、太夫座、花道など歌舞伎上演に必要な基本的機構を備えている。
 地元出身の歌舞伎座の専属絵師が描いた30数点の書割(舞台の背景、大道具)は、専門家からも評価が高い。劣化が激しく、専門家の慈悲、指導の下、地元の有志や素人らの手により復元が続けられている。私は、二つ目の復元作業に出合った。
 終幕を迎えている「白雲座」は、地域社会の生活の拠点、社会教育や学校教育の「場」「コミュニテイの核」の有様、原型を哀愁の中から訴えているような気がする。

所有者 宗教法人 白山神社   管理 白雲座歌舞伎保存会
1978年8月5日 重要有形民俗文化財指定


所 在 地 岐阜県下呂市門和佐字宮洞3322
登録有形文化財 旧加納町役場庁舎 原眞佐実/原建築設計事務所

外観

アーチ壁

立ち入り禁止で廃墟同然
■紹介者コメント
 旧加納町役場庁舎は、美濃中山道十六宿で最大の宿場だった加納宿の中心部で、御鮨街道(尾張街道)と交わる辺りにあり、すぐ東側には国の史跡加納城の大手門跡があります。加納町は1940年(昭和15)に岐阜市と合併しましたが、第二次大戦後は、一時期進駐軍が使用していた模様で、現在もその当時米軍によって白く塗装された跡を見ることができますが、竣工当時は、土壁に似たきれいな黄土色だったようです。
 合併当初は岐阜市役所加納支所として、また昭和60年以降は(財)岐阜市学校給食会の事務所として利用されていましたが、2005(平成17)には国の登録有形文化財の認定をうけ、保存修復の機運もぐっと盛り上がりました。がしかしながら現在は耐震基準を満たしていないということで、(財)岐阜市学校給食会は他に移転、耐震改修費や保存修復の予算もつかずで、廃墟同然となりつつあります。
 この建物の設計は戦前日本を代表する建築家の一人である武田五一であり、鉄骨鉄筋コンクリート造の町村役場としては全国の先駆けとなった武田作品です。彼は関西を中心に200以上もの建築設計を手がけ、アールヌーボーをいち早く日本にとり入れた人物としても知られており、同じく岐阜にある名和昆虫博物館(1919年、大正8)、名和昆虫研究所記念昆虫館(1907年、明治40)、名古屋の春田邸(1921年、大正10年)、春田文化集合住宅(1928年、昭和3年)等々、この地方でも多くの現存する建物を見ることができます。
 旧中山道に面して加納町役場の文字が残る一見地味な外観ではあるが、左右対称が主流の当時の公共建築物の中にあって、武田の十分に日本的な造形感を感じさせてくれます。「直方体」が非対称にいくつか組み合わさった外観と、1階、2階に施されたアーチ窓などは幾何学的であり、緩やかな円弧を描く2階の議場天井や唐草模様を描いた角柱、肘木のデザイン等にも優れたデザイン感覚をみることができます。

建築年 1926年(大正15)2月起工 11月竣工 構造・規模 鉄骨鉄筋コンクリート造2階建て 
建築面積 267u  設計者 武田五一(当時京都帝国大学教授)  施工 鴻池組 工費 約60,000円
登録有形文化財番号 第21-0057号    登録日 2005年11月10日


所在地 岐阜市加納本町1−16