インドの建築 第5回
ヴェーサラ様式の建築
野々垣 篤
(愛知工業大学工学部 准教授)
 前々回、前回ではそれぞれ北インドのナーガラ様式、南インドのドラーヴィダ様式の建築を取り上げた。今回は先の二様式とともに伝統のある主要な様式として扱われるヴェーサラ様式の建築を中心にデカン地域の建築を取り上げる。また、ここでインドの主要三様式を紹介することとなるので、寺院建築の平面形とマンダラについて、末尾で簡単に触れる。
 ヴェーサラとは「ハイブリッド=混成」の意であり、その様式は、端的にはナーガラ様式とドラーヴィダ様式の特徴をあわせ持ったものをイメージしてよいだろう。むろんヴェーサラ様式とされるものでも多種多様であるが、この様式の建築のほとんどが北インドと南インドとの中間地域であるデカンに分布するのである。デカンは南・北インドの両文化が交流し、影響を相互に及ぼし合っていた地域であったが、一口にデカンといっても広大であり、その歴史にかかわった王朝も数多い。現存する主要な寺院は各地の支配勢力を背景としたものがほとんどで、支配王朝ごとに建築的特徴を考えることが通例である。ここでは建築史上の重要度を鑑み、主要王朝とその建築例を順に挙げることとする。
デカンの建築 南北文化の交流
 まず6世紀半ばから8世紀半ばにかけてカルナータカ州バーダーミーを都として支配した前期西チャールキャ朝の建築を挙げたい。バーダーミーにも6〜7世紀のヒンドゥー石窟や構築寺院の貴重な遺構が見られるが、ここでは世界遺産に登録されているパッタダカルの建築群を見てみよう。この地の特徴は、ヴェーサラ様式を云々する対象があるというより、ナーガラ様式とドラーヴィダ様式の建築の並存が見られる点である@。まさに南・北インドの建築家、職人が競い合って建てたかのようであり、その真偽が明らかではないにせよ、少なくとも南北インドの建築技術の交流の例と言えよう。
 その前期西チャールキャ朝を倒し、西インドからデカンに及ぶような大勢力となったのがラーシュトラクータ朝である。この王朝にかかわる建築で最も著名なものはマハーラーシュトラ州エローラ石窟群の中心石窟、丸彫りのカイラーサナータ寺院(8世紀)Aである。この寺院は基本的にドラーヴィダ様式であり、南インドのパッラヴァ朝の都カーンチープラムに建設された同名のカイラーサナータ寺院や前出のパッタダカルに建つヴィルパークシャ寺院を参考につくられたとみなされている。実はラーシュトラクータ朝に関わる建築はこれ以外に目立ったものはほとんどなく、代表例のエローラ・カイラーサナータ寺院自体、ドラーヴィダ様式の写しである。その点から判断すれば、建築様式の歴史にあまり貢献しなかった王朝といえるだろう。 典型的なヴェーサラ様式  ヴェーサラ様式といえば、現在のカルナータカ州に都をおいた2つの王朝、すなわちカルヤーニを都とし、ラーシュトラクータ朝を滅ぼした後期チャールキャ朝(10世紀末〜12世紀末)とハーレービードを都としたホイサラ朝(12世紀初〜14世紀半ば)にかかわる建築を典型として挙げるべきであろう。
@パッタダカルの建築群 Aカイラーサナータ寺院(8世紀)
 前者の例で最も印象深いのはダンバルのドッダ・バサッパー寺院(12世紀末)Bである。外観から一目でわかるように、本殿の上部構造が水平層を持ち、各層には小祠堂形が確認できるドラーヴィダ様式であるが、遠目で見ると縦方向の陰影が明確であり、曲線を描いて上方に先すぼまりの形でなく直線的なシルエットである点以外は、ナーガラ・シカラの姿を彷彿させる。そうした縦方向の陰影は「星型」の平面が基礎から頂部まで積層されたことにより生じている。ただしこの特異な星型平面は、実際には正方形を一定角度で回転させた形であり、基本的には、正方形平面の祠堂である。ただし外壁には通常ナーガラ様式やドラーヴィダ様式、ヴェーサラ様式の上部構造を冠した寺院形をモチーフとした装飾要素を配し、彫像等はあまり表現されない。
 一方、後者のホイサラ朝の例は、上部構造や星型の平面形などの特徴などの基本的な姿は前出の後期チャールキャ朝の建築の延長上におかれるものであり、実際初期のものでは区別がつかないものもあるが、カルナータカ州ソームナートプルのケーシャヴァ寺院(1268年頃)Cのようなピーク時のものはホイサラ朝寺院ならではの特徴を備える。外壁周りは装飾的なニッチに彫像群を配し、物語のシーンを描くレリーフ帯など、非常に装飾的で華やかなものとなっている。
 平面構成に関しては、ヴェーサラ様式の寺院建築では、ヴィシュヌ神とシヴァ神を並列に祀る等、複数の祠堂がひとつのマンダパに接続する複雑な例が多く確認されるのが特徴である。支配地域の民衆信仰の多様な状況や支配者側によるヒンドゥー・パンテオンの整備とそれによる神々の相対的な位置づけなど、成熟した時代の、そして悪くいえば形式的とも言える特徴とも言えよう。
Bドッダ・バサッパー寺院(12世紀末) Cケーシャヴァ寺院(1268年頃)
祠堂平面とマンダラ
 先述のように、ヒンドゥー寺院の祠堂平面は正方形が基本である。円形祠堂は皆無ではないが、極めて例に乏しい。
 インドで建築および都市の配置・平面計画に関係すると見なされているのがマンダラである。ただし日本の密教の両界曼荼羅のような芸術的なものではない。建築儀礼に用いる碁盤目形状の一種のダイヤグラムで、正確にはヴァーストゥ・プルシャ・マンダラ(ヴァーストゥは建築、プルシャは地霊のようなもの)Dと言い、インド各地で伝わる伝統的な建築書の中で扱われる。特に寺院建築に使われるものは8×8か9×9のマス目に区切られ、その中央の3×3の区画に創造神ブラフマー神を置き、その周囲のマス目には太陽や月をはじめとした天体の運行や東西南北の方位に関連したヒンドゥーの神々が規則正しく配されたヒンドゥー宇宙を投影したものである。また、その正方形全体の枠内に押し込められたような人の姿のプルシャが重ね合わされて表現されることもある。つまり土地にかかわる精霊を供養し、整然としたヒンドゥー宇宙に同化させる儀礼的役割を持つのである。これは建築主の吉凶にもかかわり、マンダラに即して寸法等を正確に扱うべきこと、建築部分を適切に配置するべきことなどが建築書には述べられる。やや非科学的な印象も否めないが、それに基づく実際の設計の存在も考えられるため、インドや東南アジアの建築史研究では、ヴァーストゥ・プルシャ・マンダラと実際の寺院平面との関係を研究するのが一分野をなしている。まだ絶対的な評価段階には至っていないが、小倉泰氏の諸研究のように、新しいインド建築の捉え方が少しずつ提示されつつある。
 インドでは、祠堂は正方形平面が基本であるが、上記のマンダラが正方形だという点からも予想されるように、ヒンドゥーの宇宙像つまり理想の天上世界は正方形なのである。中国では、例えば天壇のように、天を円、地を方とする点と異なる。この際、日本の宇宙像について思い巡らすのはいかがであろう。

Dマンダラ
ののがき・あつし|1965年生まれ。
1993年名古屋大学大学院工学研究科博士課程後期課程単位取得退学。博士(工学)。名古屋大学助手、名古屋大学講師を経て、
2004年より愛知工業大学工学部都市環境学科建築学専攻助教授。
専門は建築史。
著書に『インドを知るための50章』(明石書店)、『建築史の想像力』(学芸出版社)、『世界宗教建築事典』(東京堂出版)