保存情報第68回
遺したい故郷の文化遺産 北川民次画伯アトリエ跡 三輪邦夫/RE建築設計事務所


アトリエ外観


アトリエ内観


北川民次製作CBC東面壁画
■発掘者コメント
メキシコと焼き物の街・瀬戸をこよなく愛した北川民次画伯のアトリエ跡が瀬戸市中心部に近いところにひっそりと佇んでいる。  元二科会会長を務めた北川民次は1894年(明治27)静岡県金谷町に生まれ、若くしてアメリカ、キューバ、メキシコに渡る。当時のメキシコの芸術運動の影響を受け、1936年(昭和11)帰国、1943年(昭和18)夫人の出身地である愛知県瀬戸市に疎開をする。以後25年間、隣の尾張旭市に引っ越すまでこのアトリエで制作した。この時期に画伯の代表的な作品が生まれたと言われる。  アトリエは、坂の多い斜面を切り開いたわずかばかりの平地に建っている。東西に細長い敷地の西側に住まい、そして東隣にかつて「モロ」(室)と呼ばれた陶器工場を改造したアトリエがある。間口8間・奥行4間、周囲に壁を巡らし、窓が少なく、室内にはほとんど柱がない。比較的建ちの高い平屋づくりと「モロ」としての典型的な大きさの建物である。当初、土間はタタキであったがアトリエとして使うときに板張りに改造されている。梁は野ものが縦横に架かり、さぞ芸術家の創作意欲を駆り立てたことだろう。1921年(大正10)頃に建てられたと言われている。  老朽化も進み、建物全体の傷みがひどく一時は取り壊しの運命に晒されたが、画伯と親交があった人たちで守る会が1994年に結成され、年2回春と秋に一般公開しながら保存に努めている。瀬戸は斜面が多く、道が狭く、敷地が入り組んでいるところが多い。アトリエが建つ敷地は無接道の土地である。改修・保存となれば解決されなければならない問題が多くあるが、瀬戸市に残る数少ない文化遺産として是非残していただきたいと思います。

所在地 愛知県瀬戸市安戸町23
建設年 1921年(大正10)頃
設計者 不詳
構 造 木造平屋建て
データ発掘(お気に入りの歴史的環境調査) 水屋 後藤晃範/圓 空間設計工房

旧街道

水屋外観

水屋外観
■発掘者コメント
 大曽根より春日井方面へ国道19号線を北へ、矢田川近くの金虎酒造という蔵元を通り過ぎて天神橋を渡ると、左手、土手沿いから続く善光寺街道といわれる旧街道を行くと左には鎌倉時代創建、および開基された高牟神社、石山寺という立派な神社仏閣がある。さらに北へと進んで瀬古小学校の脇を通ると、先の蔵元とは違う東春酒造をみて西側の路地を覗くと見事な「水屋」の蔵を見つけることができる。
 街道は緩やかなカーブを描き旧道の面影を見せるが周りの状況を観察しても、ほとんど旧道の面影は残していない。先に述べたように立派な酒造会社があるということは、矢田川、庄内川に挟まれた、この地域は豊かな水系に恵まれたところであり当然であるが人も集まって営みがされていたことを、想像することはできる。しかし、水に恵まれているということは、低湿地で長い間繰り返されてきた、水害に対する備えで「水屋」を建てることにより、地域の人たちは、生活を守ってきた。敷地内に高い盛り土をし、周囲に石垣を設け避難場所として、または、食料の貯蔵庫として利用され、人々の生活の知恵が生み出した建物である。
 ただ、「水屋」も少なくなり、わずかに残された大事な「建築文化」がいつまで維持されていくのかと思ったのは私だけでしょうか。


所在地 名古屋市守山区瀬古東 地内