インドの建築 第4回
ドラーヴィダ様式の建築
野々垣 篤
(愛知工業大学工学部 准教授)
 前回は初期のヒンドゥー教寺院建築とその発展を扱ったが、主に北インドの建築の様式(ナーガラ様式)についてであった。今回は南インドの建築の様式(ドラーヴィダ様式)に目を向ける。
 ドラーヴィダ様式はその分布を考えれば現在のタミルナードゥ州の様式といった方がよりわかりやすいであろう。その残存する最初期例であり、かつ典型的ともいえるものは、6〜9世紀に有力であったパッラヴァ朝という王朝による遺構である。ここではタミルナードゥ州の中心都市チェンナイ(かつてのマドラス)の南56kmに位置する港町マハーバリプラムのものを対象として取り上げよう。
 この町の海岸近くの岩山には7世紀のヒンドゥーにかかわる石窟やレリーフが数多く刻まれ、それらも美術史的、建築史的にも魅力的だが、特に建築様式の説明に適した「5つのラタ」@と呼ばれる巨大な一枚岩から彫り出された丸彫りの寺院群を紹介する。ラタとは山車の意で、ここでは小寺院と考えてよい。興味深いのは、この「5つのラタ」がドラーヴィダ様式の特徴およびその様式で使われる様々な上部構造・屋根の姿を一度に示す点である。またヒンドゥー寺院でしばしば見られる牛や象、ライオンの彫像も隣接して刻みだされている。このような特徴に加え、マハーバリプラムが現在でも石工の町で、石工のための学校もあることなどから、我が恩師、小寺武久先生はこの5つのラタについて「建物と石工技術の見本として造られたのではないか」という仮説を示されていた。技術伝承を目的とした「寺院・彫刻展示場」のような近代的な発想のものが7世紀のインド古代にあったかもしれない、と考えさせる点でも非常に興味深い遺構である。
@「5つのラタ」左から、ドラウパディー・ラタ、アルジュナ・ラタ、ビーマ・ラタ
奥にダルマラージャ・ラタ、そしてもっとも右にナクラ・サハデーヴァ・ラタ
Aドラーヴィダ様式のヒンドゥー寺院の各部名称
 ドラーヴィダ様式の説明には、「5つのラタ」のうち、最初にドラウパディー・ラタを取り上げるのがよいであろう。この正方形平面の単純な一層の建物は起りのある宝形屋根を持つ。そして外壁面には隅部に屋根を支える構造としての比較的細い柱の形が刻み出され、柱上の持ち送りや軒を支える桁、そして垂木が表現されている。平面形が正方形ではなく、正多角形または円形の場合もあるが、これがドラーヴィダ様式の建築の「基本形」と言えるものである。着目すべきは、そのデザインが木造建築由来であることが明確な点である。対照的に、ナーガラ様式の建築の場合は、そのデザイン的な特徴から判断し、少なくとも木造建築を由来としたものではないと考えられるが、どのように成立したのかにいまだ多くの謎に包まれている。
 次にビーマ・ラタを取り上げる。特徴は横長矩形平面・切妻平入の建築を表現した点である。その妻側の破風は、仏教石窟で見られた「チャイティヤ・アーチ」の形をとり、かつて存在したであろう木造草葺の構造を現代に伝える。この形は寺院の門ゴープラムとの関連で語られるが、それについては後述する。
 「5つのラタ」にはナクラ・サハデーヴァ・ラタというもう一つ特徴的なラタがある。この建物は平面を後ろが丸くなった馬蹄形とし、屋根は「象の背中」と呼ばれる形状である。正面の妻面には、先のビーマ・ラタの妻飾同様、チャイティヤ・アーチ形の破風が表現されている。ちょうど仏教のチャイティヤ窟を地上に引っ張り出したような姿である。
 最上部の屋根形の違いに着目すれば、以上のように3つの形式があることがわかる。それを踏まえた上で、もう一つの特徴を示す。最初のドラウパディー・ラタは一層、ビーマ・ラタは二層、ナクラ・サハデーヴァ・ラタおよび次に挙げるアルジュナ・ラタは三層、より大きなダルマラージャ・ラタは四層の建物である。そうした層状構成こそ実は最も明確なドラーヴィダ様式の特徴である。ドラーヴィダ様式とナーガラ様式との違いを簡単に評すれば、前者が水平要素の勝ったデザイン、後者は垂直要素の勝ったデザインだと考えれば理解しやすいであろう。以下では具体的に説明しよう。
 ドラウパディー・ラタと同じ基壇上に彫り出されているアルジュナ・ラタは、ダルマラージャ・ラタとともに、水平層(ターラと呼ぶ)がピラミッド状に積み重ねられた姿をとっている。この姿はドラーヴィダ様式の祠堂建築の典型で、南インドの寺院建築は、多かれ少なかれ、この形式のヴァリエーションといっても過言ではないA。その積み重ねられた各層には、その中央に正方形平面の祠堂が配され、その周縁(軒先)にはパラペット(ハーラと呼ぶ)が立ち上がり、囲む形になっている。ハーラを詳細に見ると、ドラーヴィダ様式の小祠堂の列である。そして小祠堂は、前出の3つのラタと同様な特徴を持った正方形、矩形、馬蹄形の3種類の平面形を持ち、それらが各層各辺に規則的に表される。
 例えば、各辺の隅部にはドラウパディー・ラタ同様な正方形平面・宝形造の「基本形」の建物、中央部にはビーマ・ラタのような矩形平面・切妻平入の建物が配される。そして積み重なった最上層中央には、八角形平面という違いはあるが、ドラウパディー・ラタ同様の「基本形」祠堂が飾られるのである。このようにドラーヴィダ様式には「基本形」があり、その「基本形」を層状に集積させ、結果としての全体形も「基本形」と相似形となる自己相似的な姿からは、フラクタル的なヒンドゥーの宇宙像との直接的な関係を見いだせるのである。こうした宇宙像は海を渡ってスリランカや東南アジア諸国に輸出され、宗派を問わず影響を持った。例えば、著名なボロブドゥールは、仏教建築であるが、その延長上のものといえるであろう。
Bブリハディーシュヴァラ寺院(タンジャーヴール)
また、建築部分の名称に関していえば、シカラと呼ぶ部分がドラーヴィダ様式では最上層に載る祠堂の屋根の部分のみを指す。前回扱ったナーガラ様式では祠堂上部の塔状要素全体を指す言葉であった。北と南での用語の違いから建築の捉え方の違いも垣間見えたりするのである。
 パッラヴァ朝の後、南インドを治めたチョーラ朝のもとで、ドラーヴィダ様式の建築はより巨大に、より装飾的に発展した。その最たるものがチョーラ朝の都タンジャーヴールに11世紀初頭に建設されたブリハディーシュヴァラ寺院であるB。非常に多くの層を積み上げ、高さ60mにおよぶ塔をそびえさせている。最上層の屋根シカラ部分は重さ80tほどの単石とされるが、それを塔の頂に据えるために、6kmの斜路を築いて引き上げたともいわれる。


Cミーナクシー寺院 囲みとゴープラム(マドゥライ)      

               Dミーナクシー寺院 寺院配置図(マドゥライ)
 また南インドの伝統的都市景観にとっての最重要要素は巨大な寺院の門ゴープラムである。南インドのヒンドゥー寺院では時代が下ると中心祠堂が小規模なものとなるが、それに反比例するかのごとく、ゴープラムが巨大化した。建築の形は前述のビーマ・ラタを多層化したものといえる。例えばマドゥライのミーナクシー寺院(17世紀)CDのような大寺院では境内の囲みが幾重にもなるが、囲みのそれぞれの東西南北軸線上にゴープラムが並ぶ姿は、南インドの厳しい太陽光の下に浮き上がる極彩色の彫像装飾とともに、見るものにエキゾチックな印象を強烈に植え付けるのである。
ののがき・あつし|1965年生まれ。
1993年名古屋大学大学院工学研究科博士課程後期課程単位取得退学。博士(工学)。名古屋大学助手、名古屋大学講師を経て、
2004年より愛知工業大学工学部都市環境学科建築学専攻助教授。
専門は建築史。
著書に『インドを知るための50章』(明石書店)、『建築史の想像力』(学芸出版社)、『世界宗教建築事典』(東京堂出版)