インドの建築 第3回
初期のヒンドゥー寺院建築と ナーガラ様式
野々垣 篤
(愛知工業大学工学部 助教授)
 今回からはヒンドゥー建築の話である。建築史的には仏教建築を最初に扱うことが多いが、インド建築の本質はヒンドゥー建築の特徴から語られる。前2回の中でも度々触れてきたように、仏教建築は次第にヒンドゥー建築との区別がなくなっていく。インドで仏教が廃れるのは、イスラーム教等との関係を背景とする面もあるが、そもそも仏教成立・維持のための地盤が世俗的なヒンドゥー社会であり、世俗一般に受容される過程において、ヒンドゥー文化と流れを一にしていったためでもあろう。例えば密教はヒンドゥー社会の世俗儀礼を取り入れた仏教である。そうした宗教としてのヒンドゥーは多種多様な神々の存在が印象深いであろうが、こと建築についてとなると、残存する最初期例は極めて原初的である。
最初期のヒンドゥー建築
 現在知られるヒンドゥー教という宗教自体、4世紀頃グプタ王朝の時代に、様々な地方の土着信仰を取り込み、整理されたものといわれる。土着信仰としては自然崇拝が主体で、古代以来そうした神々が祀られていたと考えられるが、それらを祀る建築は、当初は永続性のない材料による祠もしくは住宅およびその部分であったのであろう。仏教建築の遺構は紀元前に遡って確認できるが、ヒンドゥーの神々の像を祀るモニュメンタルな石造もしくはレンガ造の建築は、発掘遺構などからも紀元後2世紀ぐらいの成立であろう。そして現存最古の石造のヒンドゥー寺院は5世紀以降のもので、マッディヤ・プラデーシュ州ウダヤギリ第6窟(@)やティーゴワーのカンカーリー・デーヴィー寺院(A)が挙げられる。前者は石窟形式であるが、ヒンドゥー寺院で最も神聖な部屋であるガルバグリハ(母胎の部屋を意味する祠堂内部空間)を岩から掘り、入口に装飾を施した非常に単純なものである。なおその石窟前庭には、痕跡から判断し、拝殿に当たる木造もしくは石造の構造物が付加されていた可能性はある。一方後者は石積み建築であるが、正面の入口以外開口のない直方体の祠堂建築である。入口側に柱・梁といった構築的な表現を持つ玄関ポーチがつくが、祠堂そのものの外観に構築的特徴が少ない。まさに石窟形式の祠堂を岩の中からそのまま切り出して地上に据えたかのような姿である。初期には外観よりも崇拝対象を祀る空間、ガルバグリハの実現が目的だったのである。
ヒンドゥー寺院の標準的特徴
 多様性の国インドのこと故、ヒンドゥー寺院も、地域や時代の違いにより、外観や平面構成、装飾が異なるが、ここで極めて標準的な特徴を示しておきたい。前述のように、崇拝対象を祀るガルバグリハが中心位置を占める。祀られるヒンドゥーの神々はシヴァ神とヴィシュヌ神が最もポピュラーである。そのガルバグリハの入口に接する形で前室が設けられるものは、前出のティーゴワーが好例だが、最小限の構成といえる。通常はさらに前方に拝殿(前殿)を設け、規模の大きな例では歌舞殿、供物殿等、「マンダパ」と総称されるホール状の建物が接続することが多い。ヒンドゥー「寺院」と記すことが多いが、神々を祀る「神殿」であり、日本建築の場合の神社の構成をイメージしていただくほうが実は理解しやすいだろう。マンダパにはガルバグリハに祀られる神の乗物(例えば、シヴァ神の場合はナンディ、すなわち牛)が通常本尊に相対しておかれる。ガルバグリハへ入室が許されるか否かは信者の身分により判断されるが、その入口は結界となり、極めて装飾的に飾られる。礼拝方法はガルバグリハを含む祠堂周囲を右回りでまわる「右繞」であり、仏教のストゥーパの礼拝方法と同様である。そのための繞道を祠堂周囲の外部、基壇上に設ける場合も多いが、巨大な寺院ではガルバグリハの壁体の周囲にさらに壁体を回し、その間を繞道空間とする。右繞礼拝に関係し、崇拝者の目に触れやすい祠堂外壁は次第に神々の像や説話に基づく浮彫表現等で埋め尽くされ、その集積が全体形を形づくる。しかし最も印象深い特徴は外観、特に祠堂上部の塔状構造物であろう。その塔の形で様式区別して考えることが慣例で、特に北インド(東・西インドを含む)中心のナーガラ様式と南インド中心のドラーヴィダ様式とに大別して説明される。後者やその他の様式については次回で扱うこととし、今回は前者を取り上げる。


@ウダヤギリ第6窟


Aティーゴワー カーンカリー・デーヴィー寺院
ナーガラ様式
 最初期のヒンドゥー寺院例として先に挙げた二寺院は共に北インドの例であるが、石窟から掘り出したかのような構築的表現の欠如は概してナーガラ様式の特徴といえる。それらの単純な直方体の構造物からナーガラ様式の最大の特徴である塔状構造(シカラと呼ぶ)を持つ姿への発達がいついかにしてなされたかについて明確ではない。無論、発達過程上、過渡期例と見なせるものはあるが、現時点では、本当に過渡期のものか、単に地方的な様式とすべきと考える見方もできるので単純ではない。またオリッサ州プリーの有名な祭で使われるような山車は木の骨組みに竹のような曲がる材料を用いて外形を整え、シカラを実現している例があるが、そうした祭礼時の仮設的な形が、ある時突如、石造とされはじめることも、証明は極めて困難であるが、あり得ない話ではない。
 ナーガラ様式のシカラ(B)は頂部装飾として縦溝のある円盤状の要素(アーマラカと呼ぶ)と壺が載るのが普通である。細部に目を向ければ、仏教石窟でも見られたチャイティヤ・アーチを蜂の巣状に配した装飾(C)が側面に施される。着目すべきは、チャイティヤ・アーチの表現が宗派に無関係なインド建築全般の特徴である点だが、ヒンドゥー寺院では祠堂前室上部の正面にあらわされる大アーチの表現に加え、軒要素の屋根窓表現として使われている。そのためシカラ側面の小さなアーチ群を数え切れない程の屋根の重なり、すなわち階層の表現と捉えることが可能であり、層状の須弥山を中心としたヒンドゥーの宇宙像の表現と関係づけることができよう。こうした特徴は次回扱うドラーヴィダ様式ではより明確である。


Bナーガラ様式のヒンドゥー寺院の各部名称(Dayalan, D., Monolithic Temples of Madhya Pradesh, Delhi, 1995,Fig.4に基づき作成)


Cブヴァネーシュヴァル ムクテシュヴァラ寺院シカラ詳細
ナーガラ様式の発展形
 ナーガラ様式の寺院は11〜12世紀にピークを迎える。その典型例はマッディヤ・プラデーシュ州カジュラーホの寺院群で見られ、中でもカンダーリヤ・マハーデーヴァ寺院(D)はその規模や完成度においては他に追随を許さない。平面構成としてはガルバグリハとその周囲の繞道を含んだ本殿、その前方にはマンダパも三つ連結したものとなる。外観も本殿上部に聳えるシカラの頂点へ向かって前方のマンダパの上部構造が段階的に高くつくられており、象徴性を際だたせている。各上部構造は大小のシカラ状要素を規則正しく束ねた姿で、全体と細部が同じ姿を持つ自己相似形を特徴としていることから、フラクタル図形との関係も考えられている。その他、オリッサ州ブバネーシュヴァル周辺にもナーガラ様式の寺院群があるが、それらのシカラは頂部付近になって肩を丸める砲弾状であるなど、カジュラーホのものとはやや異なる特徴を示す。そうした地方色を見出すのもインド建築を見る際の面白さであろう。


Dカジュラーホ カンダーリヤ・マハーデーヴァ寺院
ののがき・あつし|1965年生まれ。
1993年名古屋大学大学院工学研究科博士課程後期課程単位取得退学。博士(工学)。名古屋大学助手、名古屋大学講師を経て、
2004年より愛知工業大学工学部都市環境学科建築学専攻助教授。
専門は建築史。
著書に『インドを知るための50章』(明石書店)、『建築史の想像力』(学芸出版社)、『世界宗教建築事典』(東京堂出版)