保存情報第65回
登録有形文化財 潮生館 藤田淑子/名古屋文化短期大学

潮生館本館

潮生館紅梅荘

客室竹の間の丸窓
■発掘者コメント
 昔、塩場ヶ谷、俗名「ションパーギ」と呼ばれ、作物の育たない土地に、約22度と低いが、温めると皮膚病に効果がある塩分の強い鉱泉が見出され、神池の泉として湯治療養に利用されてきた。
 この地に1887年(明治20)に創設された「潮生館」は、下坪宗二郎氏の経営のもとに大いに栄え、政界、財界の著名人がここを訪れたという。1933年に「香梅荘」が建てられ、1939年に「潮生館・本館」が改築、これらが2004年に「近代和風建築の造形美の規範になる」とのことで登録文化財に指定された。
 「香梅荘」は池の西側に建つ離れで、内部は数奇屋造、内外とも薄紅色漆喰壁、周囲の梅の木立を模って梅花模様の意匠である。床柱にはつつじの老木を用いるなど、仕口の納まりや銘木選びに棟梁の粋が伺える。廊下のガラス戸には、まるでP・モンドリアンの絵を先取りしたような細工の格子窓が廻らされている。 
 「潮生館・本館」の玄関は薄紅色漆喰壁、格式のある格天井である。右手に屋根付飾り棚のある応接室がある。正面の帳場を通り過ぎると反渡殿の懸かった坪庭へと続く。客室はすべて書院造で、曲木、変木が随所に取り入れられている。
 郷土の画人・青島蘭秀「志太温泉潮生館秋景」の一幅が掛けられた客室には、床から天井まで大胆に伸びた竹の背景に丸窓が設けられ、動と静を感じる佇まいは見事である。
 「使いながら保存する」を頑なに守る「潮生館」には、昔・今・未来のロマンを感じてわくわくさせるものがある。
[参考文献]『静岡県の近代和風建築』(静岡県教育委員会)、『静岡県志太群史』、『ふるさと百貨・藤枝事典』


所在地 静岡県藤枝市志太600-2-2
構  造 香梅荘;平屋・入母屋造、瓦葺
潮生館本館;総2階建・入母屋造、瓦葺
施  工 松永十九八
アクセス 東海道本線藤枝駅よりタクシー7分、      バス15分(志太温泉下車)
遺したい故郷の文化遺産 伊賀八幡宮 渡邉 勇/ユウコウ建築設計事務所

手前に神橋と蓮池、奥に随身門

随身門

所在地 岡崎市伊賀町東郷中86
建 立 1636年
■発掘者コメント
 岡崎には神社仏閣がかなり多くある。その中でも今回紹介する伊賀八幡宮は伊賀の八幡さんと親しまれ、岡崎の住民なら誰でも知っている神社である。1470年(文明2)、松平親忠(松平4代)が伊賀国から現在地へ移したのが始まりとされている。社殿の大部分は、1636年(寛永13)に徳川3代将軍家光の命で造営したものである。社殿は日光東照宮と同じ、江戸時代の神社配置形式(権現造り)である。岡崎市史によると、境内には本地仏薬師堂並びに鐘楼があったが、神仏分離のとき破却され、鐘楼の方は1871年(明治4)に吉良吉田の西福寺に移された。現在も残っている。現在国の重要文化財に指定されている建造物は、本殿・幣殿・拝殿・透塀・御供所・随身門・神橋および石鳥居である。  1941年に本殿屋根を、1952年に拝殿・幣殿・随身門・御供所屋根を葺き替えている。最近では1965年から3年がかりで随身門ほか4棟が解体修理されている。随身門はこの解体修理の時に、2階内部の柱に遠州浜松大工の墨書が2カ所に記されているのが見つかった。人名は記されていないが、1636年(寛永13)の棟札に記されている大工鈴木近江守長次は遠州浜松の住人であるから、この門も寛永の造営のままのものであることが裏付けられた。またこの随身門の前にある蓮池に石の橋がある。神橋である。石橋は反り橋で、木造建築の様式を取り入れた珍しい橋である。