保存情報第61回
遺したい故郷の文化遺産 大矢田神社 澤村喜久夫/伊藤建築設計事務所



山門
■発掘者コメント
 大矢田神社は、建速須佐之男命と天若彦命を祀り、由緒碑によれば、第七代孝霊天皇の御代の創祀で、718年(養老2)、泰澄大師が天王山一山を開基し、広大な堂塔伽藍で、「お天王さま」の名で、遠近の人々から尊仰されていた。1556年(弘治2)、兵乱によって一山残らず焼失し、現在の本殿は1672年(寛文12)に再建された。明治維新の神仏分離の大命により仏堂などを撤廃して、旧牛頭天王社を大矢田神社と改称した。
 社殿は本殿と拝殿からなり、本殿は三間社流れ造り、正面千鳥破風向拝唐破風付で、総欅造り、檜皮葺きである。妻飾りは太い虹梁と大瓶束の力強い構成で、鶴や松などの精巧な彫刻が施され、江戸初期の建築様式をよく現している。由緒によれば、もとは極彩色が施されていたようだが、柱や梁桁などにその跡が残っているものの、当時の華麗な彩色を見ることはできない。拝殿は本殿よりも古いといわれ、梁間三間、桁行三間の切妻造り、檜皮葺きで、再建時、尾張藩の崇敬を受け、棟に葵紋章を付している。  神社入口の鳥居をくぐると、1723年(享保8)建立の楼門(市指定重要文化財)がある。三間一戸入母屋造り、檜皮葺きで、三手先組み物による軒は見応えがある。
 境内の楓谷は古くから紅葉の景勝地として名高く、もみじ祭り期間中、季節茶屋では五平餅や田楽などを味わうことができ、また神社祭礼には、五穀豊穣を祈願する、大矢田ひんここ祭り(国選択無形民俗文化財)が行われ、数百年前から伝わる珍しい人形劇を楽しむのもよい。

所在地 岐阜県美濃市大矢田2596
本殿・拝殿 国指定重要文化財(1989年)
楓谷ヤマモミジ樹林 国指定天然記念物(1930年)       
神社祭礼 4月第2日曜日、11月23日(祝)
データ発掘(お気に入りの歴史的環境調査) 向野跨線橋 谷口 元/名古屋大学

所在地 名古屋市中村区下米野町
設 計 不詳、
竣工 不詳
竣工年 1899年(保津川)、1930年(向野)
構 造 鉄骨造
■発掘者コメント
 名古屋市の景観アドバイザーを務めていた10年ほど前に、人道橋の鉄骨トラスの塗り替えの相談があり、この橋の存在を始めて知りました。そのとき市の職員からお聞きしたところでは、関西方面から移築したものであるとのことでした。トラス構造やRCアーチ構造などが次第に減り、単純でどちらかというと不細工な鉄骨梁が街中に増えつつある状況の中で、この橋の持つ、力の流れを素直に表現している構造美に少なからぬ感動を覚えた記憶があります。
 しばらくその存在を忘れかけていましたが、2006年6月4月付けの読売新聞の連載記事のひとつである「鉄道東海百選」に掲載されているのを発見し、その歴史的価値をあらためて知ることとなりました。その記事によりますと、1899年に京都・嵐山間の山陰線沿いの保津川橋梁として建設されたもので、1930年に移築されたようです。全長は85.3メートルの橋であり、1900年以前につくられた単体のトラス橋としては、国内に現存する最長のものであるとのことです。当時は鉄材が現代とは比較にならないほど貴重であったためでしょうか、保津川で解体され、おそらくは貨車に積まれて長い旅をし、この地に運ばれて組み立てられたのでしょう。JR関西と近鉄、あおなみ各線をまたぐためその長さの特徴が生かされています。各地に残る土木的な建造物も、我々の知らないうちにいつの間にか失っていく傾向があると思われます。それら近代遺産の歴史的価値、将来にわたる価値も確認していく必要があると感じられます。
【参考文献】 『鉄道東海百選,No.84』(大畑和弘/JR東海東海鉄道事業本部工務部)
        2006年4月2日付『読売新聞』