食べもの文化考第3回
世界に誇れる日本の学校給食を考える
牧野登志子
(金城学院大学 生活環境学部 教授)
 あなたが初めて給食を食べたのはいくつの頃でしたか? 保育所では、集団給食が行われていますが、幼稚園では今も、お弁当持参のところも多いようです。それでも日本人なら、大部分の人が小学校では給食を食べたことでしょう。読者の中にも給食にまつわる悲喜こもごもの思い出を持っている方も多いのではないでしょうか?
 2000年5月現在で完全給食の実施状況は小学校では95.8%、中学校においては71.0%で、義務教育下では、日本中の大部分の児童・生徒がお昼に給食を食べているのが現状です。
 一方、学校給食については、小学生の64%、中学生の56%が学校給食を「好き・大好き」と答えており、また、保護者の90%が学校給食を歓迎しているという調査結果が出ています。日本の学校給食は栄養のバランス、味ともに良く、なおかつ経済的でもあり、子どもにとっても、ママにとっても、大歓迎されているようです。
学校給食のはじまり
 ここで日本の学校給食の歴史についてたどってみましょう。わが国の学校給食は1889年(明治22)山形県鶴岡市の私立小学校で、貧しくてお弁当を持ってこられない子どもたちのために、おにぎり、焼き魚、漬物の食事を提供したのが、はじまりだといわれています(右上写真)。その後も長い間、学校のお昼ご飯は、やはりお弁当が主流でした。1932年(昭和7)に文部省令によって初めて給食に1人当たり4銭が支給され、学校給食普及率が増加しましたが、それでも、まだ7%にもなっていませんでした。学校給食が全国的な規模で、本格的に実施されたのは、第二次世界大戦後のことです。
 第二次世界大戦後の日本はとても貧しく食べるものも思うままに得られませんでした。今では信じられないことですが、日本中が飢えていました。当時の小学6年生の体格は今の4年生くらいしかなかったといわれています。その頃の子どもたちの食料はとてもかわいそうなもので、おかゆに雑穀や芋などを混ぜて食べていたといわれています。こうした日本の子どもたちの悲惨な状況を見かねて、アメリカなどから「ララ放出物資(アジア救済公認団体)」という救援物資が送られてきて、戦後の学校給食が再びはじめられることになりました。
 ララ物資というのは聞いたことのある方もいると思いますが、脱脂粉乳や、小麦粉などが主なもので、パンと脱脂ミルクの学校給食はここからスタートしたのです。ところで、「ララ物資」の贈呈式は12月24日だったため、一月遅れの1月24日から1週間が学校給食週間と定められて、今でも、さまざまな「記念給食」の行事が行われているということです。地域の人々とともに脱脂粉乳とコッペパンの給食試食会なんてのもノスタルジックで良いかもしれませんね。当時の学校給食には、ユニセフからの援助物資なども使われていたということです。
 それから後、日本の目覚ましい復興と発展の中で1968年(昭和43)、学校給食が学級指導の一環として位置付けられ、今日の学校給食へと続いていくのです。ララ物資によって始められた戦後の学校給食の象徴は脱脂乳にコッペパンでありましたが、1976年(昭和51)からは、米飯給食が開始されました。その頃の日本はすでに飢餓からは脱して、余剰米に手を焼いていました。給食に米を使おうという声は前からありましたが、前号でも述べましたように、米は炊く手間もあり、また、食器にはりついて、洗うのも大変で、パンより集団給食には不向きということで、現場の賛同はなかなか得られなかったようです。
 そんな中で始まった米飯給食ですが、今ではすっかり給食メニューとして定着して、ご飯給食は子どもたちに大好評です。学校給食のメニューの中で何が一番の思い出であるかによって年齢が分かってしまうといわれていますが、あなたのこころの中の給食メニューの一押しはなんでしょうか? 中年世代の一番はカレーシチュー、鯨のステーキ(?)、それから、私はなぜだか、シャビシャビのお汁粉とパンという奇妙な組み合わせの献立が忘れられないメニューになっています。


給食の原型

学校給食

学校給食

学校給食

学校給食

給食風景
学校給食と食習慣
 こうして日本人にとって学校給食は子ども時代の食にまつわる思い出の中で大きな地位を占めるに至りましたが、世界の学校のランチタイムはどのようなものでしょうか? 世界中の多くの国では、学校給食は日本と同様にお弁当を持っていくことのできない貧困児童の救済から始まったところが多いようです。しかし、給食の普及率は日本程ではなく、今でもお昼は家に帰って食べる子や簡単なランチボックス持参の子どもたちも多いのです。
 そうした、世界の学校のお昼ご飯事情の中で、学校給食法で教育の一環と位置づけられている日本の学校給食は特異な存在であるといえましょう。単に栄養の供給とお腹を満たすためだけではなく、栄養についての知識、正しい食習慣、食事マナーを身につけるための指導や、社交性や良い人間関係の育成も給食の目的のなかには含まれているのです(すばらしい!)。
 第二次大戦後、飢餓の中の日本の子どもたちを救う目的で始められた、学校給食ですが、それぞれの時代に合った栄養教育が行われてきたといってよいと思います。生活習慣病の若年化が深刻になっているといわれていますが、子どもの頃から食事についての正しい知識や自己管理能力を養う教育なども、食育というかたちで給食指導のなかで行われているのです。
 戦後の学校給食はパン食で始まったため、戦後(?)育ちの日本人のパン食の普及とご飯離れに大きく貢献しました。日本の朝の食卓はパンの人、ご飯の人さまざまで、それが個食化に拍車をかける一つの要因となっています。学校給食の普及と給食メニューが第二次世界大戦を境とした、世代間の食文化のギャップと大いに関係があると考えることもできます。ところで、近頃の小学校の給食献立を席捲しているのは韓流だといわれています。はて、それは、子どもたちの将来の食生活にどんな影響を及ぼすのでしょうか?
学校給食の存廃
 最後に最近の給食費の未納問題について触れておきたいと思います。多いところでは、330人の全校児童数のなかで25世帯が未納の地域もあるということです。義務教育の制度の中で、給食は当たり前のように供給されています。確かに事前に契約書にサインもしないし、親から頼まれたわけでもないのです。しかし給食費を出さない子の分は出している子の負担になるので、デザートが減ったり、おかずが少なくなったりしているのが現状です。「頼んで食べさせてもらっている訳ではない」とか「NHKの受信料と同じ」だといった払わない親の言い分を、私たちはどのように受け止めていけばよいのでしょうか?
 何でも横並び文化の大好きな日本人的な発想について、そろそろ考え直してみる時がきているのかもしれません。
 給食供給契約書を取り交わし、保証人を立てて、給食費の確保をしていかなければならないのでしょか? 子どもたちの笑顔と笑い声が飛び交う楽しい給食を続けていくために大人たちにできることを真面目に考えていかなければなりません。未来を担う子どもたちのために。