保存情報第58回
遺したい故郷の文化遺産 甘強味醂旧本社事務所 山田正博/建築計画工房

蟹江川沿いの旧本社事務所

工場入り口と土蔵

所在地 愛知県海部郡蟹江町大字蟹江本町字開門96

阿弥陀車
甘強味醂旧本社事務所/RC造3階建、延床面積270u、塔屋付、1937年
甘強味醂工場/土蔵造2階建、瓦葺、延床面積1380u、1877年、1906・1913年増築
甘強味醂住宅主屋/木造2階建、瓦葺、延床面積520u、1923年、1937年増改築
甘強味醂住宅土蔵/土蔵造2階建、瓦葺、延床面積80u、1923年
■発掘者コメント
 甘強酒造は、1862年(文久2)山田平左衛門が創業し、蟹江川左岸、蟹江町の中心地で、本味醂を醸造してきた。
 2005年、旧本社事務所等4棟が、登録有形文化財の指定を受けた。工場・事務所・オーナーの住宅と蔵が建築群をなしている。かつて蟹江川の水運を利用して原材料や製品の運搬を行っていたため、これらの建物は、いずれも川からのアプローチがメインとなっている。
 工場は1877年(明治10)に新築されたが、濃尾地震で半壊したのちも、醸造方法の近代化に伴い増改築が施され、現在も味醂蔵として使用されている。住宅は1923年(大正12)の新築。当初玄関から東側の部屋は「みせ」としてつくられ、店鋪でもあり事務所でもあった。接客に使用した書院造の座敷、茶室もあわせ持つ。屋根は入母屋式で2階建ての近代和風建築である。
 旧本社事務所は1937年名古屋の水谷工務所の施工により新築された。1階に倉庫、2階に玄関・事務所、3階に和室・応接室がある。蟹江川の堤防道路に面しており玄関は2階に設けられている。渡り廊下で東側住宅2階にも通じている。北側に階段・トイレ・湯沸室があり「コア」を構成している。昭和初期のコアを持つオフィスの一例として重要である。屋上に至る塔屋があり、パラペットも高く常時人が上がり、船着場を見渡していたものと思われる。建物の外壁はスクラッチタイルが貼られ、玄関廻りはテラコッタが施されている。このスクラッチタイルは柚薬がかけられ明るい黄土色となっている。緑に映え、鮮やかな姿を川面に映している。
データ発掘(お気に入りの歴史的環境調査) 尾張四観音 荒子観音寺 保浦文夫/ヤスウラ設計

本道

多宝塔

所在地 名古屋市中川区荒子町字宮窓138
■発掘者コメント
 荒子観音は、浄海山円龍院観音寺といい、奈良時代聖武天皇の729年(天平元)に泰澄和尚によって開基され、本堂は1576年(天正4)に前田利家によって再建された。その後火災や天災により倒壊・再建を繰り返し、最近では1994年に本堂が焼失、1997年に再建された。1536年(天文5)に再建された多宝塔は、力強さをもつ山門に比べ、美しく女性的な建物であり、名古屋市最古の木造建造物として国指定の重要文化財になっている。また、観音寺に伝えられる大小千数百体の円空仏は実に見事である。
 徳川家康は名古屋城築城の際、名古屋城を中心として地域の四方に位置する荒子観音寺(西南西) ・笠寺(南南東)・甚目寺(北北西)・竜泉寺(東北東)を「尾張四観音」として、尾張の守護神と定めたそうだ。
 歳徳神という大吉の神様がいる方向を「恵方」とよび、恵方はその年の暦の十干によって定まり、5年周期・四方位となる。その年の恵方にもっとも近い観音様は恵方の観音様として、節分の日に恵方のお寺へお参りするとご利益があると言われ、江戸時代から庶民の参詣も盛んになり、現在でも多くの参詣者が集まる。
 普段は、賑やかな節分祭とはうってかわっての静かな境内。一歩踏み込むと空気が変わる。歴史の記憶が刻み込まれ、忙しい現在も静かに時を刻み何かを語りかけているようだ。賑わしい境内もいいが、静かな境内に身をおき心を癒してみるのもいいだろう。 民衆の手によって守られてきた建物も、今は「禁煙」、「自転車進入禁止」、「犬の散歩禁止」と、数々の看板に守られている姿は、少し興ざめだったが。